profilephoto
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- - -
カフェ・アプレミディ/アプレミディ・セレソンの年末年始営業のお知らせ!

2017年もカフェ・アプレミディ/アプレミディ・セレソンにご来店いただきありがとうございました。年末年始は12/30〜1/2は休業、1/3と1/4は11:30〜20:30の営業、1/5より通常営業とさせていただきます。2018年もよろしくお願い致します!

 

アプレミディ・セレソンの休業期間中は、通販の受注のご確認、商品発送、お問い合わせへのご返信等の業務がお休みとなります。
また、通販の年内最終出荷は12/29(金)の午後となります。この締め切り時間内にご対応可能なご注文のみの発送となりますことを、予めご了承くださいますようお願い申し上げます。
なお、集荷時間を経過してしまいましたご注文につきましては、誠に申し訳ございませんが、翌年の営業日以降の発送となってしまいますことを、こちらも併せてご了承くださいますようお願い申し上げます。

information - -
橋本徹の推薦盤(2009年3月上旬〜2009年6月下旬)
2009年3月上旬

V.A. / JAZZ SUPREME ~ MODAL BLUE SKETCHES
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


モードから新主流派へ、という魅力的なストリームにおける既存のジャズ・ジャーナリズムの定説を、自分の感覚に基づいて未来に向けて更新していくこと。しかもクラブ・カルチャー、といったような視点にとらわれすぎることもなく。それは「ジャズ・シュプリーム」シリーズの選曲を始めてから日増しに僕の中で大きくなっていた関心事だが、このコンピレイションと5月リリースのEMI編『JAZZ SUPREME ~ MAIDEN BLUE VOYAGE』(仮題)によって、その願いは十分にかなえられようとしている。最近よく耳にするキャッチフレーズの反語を敢えて唱えるなら、“Jazz Not Jazzy”という精神のもとに。
オープニングに置いたデイヴ・ブルーベックは子供の頃から“TAKE FIVE”がCMソングとして流れていたが、高校生のときドナルド・フェイゲンの“NEW FRONTIER”の歌詞に登場したのを機に好感を抱くようになった。白人の“スクエア”なジャズ・ピアニストによる“UNSQUARE DANCE”は、クールで洒落た7拍子のハンドクラッピン・ジャズ。クラブ・ジャズ的偏見へのカウンター、というわけでもないが、僕は概してこういうイントロダクションを好む。
“TAKE FIVE”への返答、という趣きのデューク・ピアソンの“THE FAKIR”は、リリカルなピアニストとしても理知的な編曲家としてもブルーノートに数多くの名作を残した多才な彼が、66年のアトランティックで時代と化学反応を起こしたアラビックな5拍子のモーダル・ジャズ。スピリチュアルなソプラノ・サックスとフルートも異国の風景を垣間みせてくれる。
ジャマイカからイギリスに渡ったハロルド・マクネアの“THE HIPSTER”は、鮮烈なピアノと吹きすさぶフルートがその名の通りヒップな空気を振りまくワルツ・ジャズ。ロックやフォークやブルースと隣接する英国ジャズが打ち立てた金字塔で、クラブでのスリリングな熱気がよみがえる。
大学生のときはレニー・トリスターノ派の蒸留水のように透明な演奏を愛聴していたリー・コニッツは、クール・ジャズから旅立ち、イタリアへ渡った69年、モーダルな逸品“FIVE, FOUR AND THREE”を吹き込む。荘厳な気品をたたえた柔らかなワルツ・スウィングに、香り高いヨーロピアン・ジャズの精髄が息づいている。
ウェイン・ショーターの“MAHJONG”は、ジョン・コルトレーンに優るとも劣らない、深くエモーショナルなモーダル・ワルツで、個人的にはいちばん思い入れが強く、最もよく聴かせたいと考えていた。魔術のような吸引力を秘めたオリエンタル&メディテイティヴな名演で、ディスクガイド「Jazz Supreme」ではジャザノヴァのステファンが、コルトレーンの『至上の愛』を引き合いに出してトップにリストアップしていた。
デイヴ・グルーシンの穏やかで神秘的なワルツ“INEZ”は、知る人ぞ知る名品と言えるだろうか。凪の海をゆっくりと進むヨット、というような情景イメージ。僕はハービー・ハンコックの“処女航海”〜“ドルフィン・ダンス”を思い出す。
ファラオ・サンダースの盟友レオン・トーマスのたゆたうような歌声に慰撫される“THE CREATOR HAS A MASTER PLAN”(ルイ・アームストロングとのデュエットも傾聴すべき)は、スピリチュアルな優しさと慈愛に満ちた、心の鎮痛剤のようなピースフルな名唱。ノスタルジア77のベン・ラムディンが単行本「Jazz Supreme」で、「もう長い間、私の心の中の特別な場所に位置してきたものです」と感謝の意を表していたのが忘れられない。
ジョージィ・フェイムのブルー・フレイムスの一員でもあった英国のギタリスト、レイ・ラッセルの収録は、ある意味でサプライズ・セレクションかもしれない。僕の大好きなウェイン・ショーターの名曲“FOOTPRINTS”をカヴァーしていて、これが極めて60年代後半のイギリスらしいモーダルかつジャズ・ロックな好ヴァージョン。至高のオリジナルは、次作『MAIDEN BLUE VOYAGE』編の肝になるはずだ。
ロバート・アルトマン監督作のサントラ盤からのアーマッド・ジャマル“M*A*S*H THEME”は、最強のベース・ライン、神がかったフェンダー・ローズに魔法をかけられるような一曲。昔から特に好きなトラックだったが、INO hidefumiが「至上のジャズ」として大絶賛するのを聞いたときは、これ以上ない強い説得力を感じた。
続いて登場するのは、デューク・エリントンの最高の共振者としても偉大な(あの『MONEY JUNGLE』の荒ぶる幕開きに身震いしない人はいないはず)ジャズ・ベースの“怒れる”巨人、チャールズ・ミンガスの“BETTER GIT IT IN YOUR SOUL”。力強い爪弾き、鼓舞するようなメッセージ。嵐の中をそれでも舟は行く、そんなシーンと捉えていただきたい。僕はソニーでジャズ・コンピを作るならミンガスを、という気持ちの昂りを抑えることができなかった。自分の結婚式でこの曲をかけたというベン・ラムディンいわく、「カテゴライズできない音楽性を持つ、稀有なジャズ作曲家です。ブルージーでフォーキーでフリーでスウィンギンなのですが、その中で輝くのは彼の偉大なキャラクターであり、唯一無二のヴォイスです」。
マイルスに見出されたウエスト・コーストのモード・ジャズの旗手ポール・ホーンと、名ヴァイブ奏者エミル・リチャーズとの変拍子セッションからは、共に約12分の長尺となる“ABSTRACTION”と(その名も)“MIRAGE FOR MILES”のどちらを選ぶか、最後まで悩んだ。今回は結局、ゆるやかに波がうねる悠々たる大海原の風景描写が浮かぶ“ABSTRACTION”を選出。文字通り抽象的な短編フィルムのような印象ながら、優雅な気高さをたたえ3/4拍子と5/4拍子を行き来する、知的で叙情性に富んだ組曲風の秀作だ。
ビル・エヴァンスとの共演作としても名高いデイヴ・パイクの“WHY NOT”は、コルトレーン“IMPRESSIONS”のアダプテイションと言うべきモーダル・スウィング。イントロのウッド・ベースとリムショットを聴くだけで、クラブ・シーンに興味を持つようになった80年代末に戻ることができる。彼はもちろん、カル・ジェイダーやジョニー・ライトル、ロイ・エアーズやボビー・ハッチャーソンといった幾多のヴァイビストが、僕のクラブ・ジャズの扉を開けてくれたのだ。
そして追悼の意も込めてセレクトしたのが、フレディー・ハバードの“LITTLE SUNFLOWER”。ショーターやハンコックと共に、60年代半ばからはモード〜新主流派の中枢を担った愛すべき存在だが、これもまた颯爽と蒼い波間を行くような凛とした映像イメージに陶然となる。彼自身何度も再演している甘やかな憂いを帯びたスパニッシュ・モードのラテン・ジャズだが、スピリチュアルなレオン・トーマスのヨーデル・ヴォイスが琴線を震わせるルイス・ヘイズ版も、ぜひ『スカイ&グリフォン・フォー・アプレミディ・グラン・クリュ』で聴いてみてほしい。
最後は「usen for Cafe Apres-midi」のファンの方には絶大な人気を誇る、ルイス・ヴァン・ダイクの“WE'RE ALL ALONE”。まるで美しい“詩”と言ってしまいたくなる、オランダのピアノ・トリオによるボズ・スキャッグスの名曲のさざ波のようなワルツ演奏で、映画のエンドロールのように切ない余情を感じてもらえたら本望だ。水平線に夕陽が落ちていくような、小さな舟が港に戻るような光景を思い浮かべながら、もう一度アルバム・スリーヴを眺めていただけたら嬉しい。

JOYCE / VISIONS OF DAWN
JOYCE / JOYCE FOR CAFE APRES-MIDI
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


朝ふと目を覚まして春の訪れを感じるような穏やかに晴れた休日(そう、今日のような日です)、僕は毎年のようにジョイスの音楽を聴く。柔らかな陽射しに揺れるアコースティックな空気感。自然のリズムにも似た安らぎが息づく歌声。一陣の風に想いを託す清々しいギターと瑞々しいビート。それはゆっくりとそよ風を受けてまわる“かざぐるま”のような。
桜舞う季節に間に合わせるように、今年はとっておきのスペシャル・プレゼントが届いた。僕はもちろん、彼女のファンなら歓喜せずにいられないはずの、1976年パリ録音の未発表アルバム。ジョイスとかつての夫で音楽的パートナーでもあったマウリシオ・マエストロ、サラヴァやECMにも伝説的な吹き込みのあるパーカッション奏者ナナ・ヴァスコンセロスという、3人のブラジリアン・ミュージシャンによる親密なセッション。リリース元である英ファー・アウトは“The Original 'Lost' Brazilian Acid Folk Album”と謳っているが、確かに初期のミナスの匂いも漂わせるアシッド・フォーク的な雰囲気と、代表作『フェミニーナ』『水と光』の架け橋となるような素晴らしい内容だ。言葉のセンスにも優れているジョイスだが、僕はこのアルバム・タイトルにもひどく惹かれる。
そしてカチアの名作に準えるなら、これはもうひとつの『サウダージ・ドゥ・パリ』でもある。異国の地のサウダージ感覚を滲ませた、エストランジェイロ(異邦人)ならではの郷愁が、音楽にとても繊細な陰影を刻んでいる。オープニングを飾るのは、“ALDEIA DE OGUM”“FEMININA”と並んでクラブ・ジャズDJから熱烈に支持される“BANANA”の、芳しい原石のような光を放つ別ヴァージョン。続く“CLAREANA”のイントロの口笛で、僕は早くも涙が零れそうになった。やはり後に再演される、最愛の娘クララとアナに捧げられた優しい子守唄のような名曲だ。
彼女の十八番スキャットも冴えまくる“NACIONAL KID”は、本作の中でもとびきりのキラー・ナンバーと言っていいだろうか。誰もが微笑み、身体を揺らしてしまうはずのアコースティック・ブラジリアン・グルーヴ。さらに心を引き寄せられるのは、儚くミスティーで美しい、夢幻をさまようような組曲“MEMORIAS DO PORVIR (MEMORIES OF TOMORROW)”〜“VISOES DO AMANHECER (VISIONS OF DAWN)”。こういう幻想的・瞑想的な表情には、洗練された90年代以降のジョイスでは出会えない。僕には魔法がかった、宝石のようなトラックだ。
この作品が陽の目を見て、遠く東京まで届けられたことで、僕は20年前、ジョイスの音楽に初めてめぐり会ったときの感激を思い出した。1993年に『“フェミニーナ”そして“水と光”』のライナーに、気恥ずかしいほど一生懸命に彼女の音楽への想いを綴った、若き日の自分の青臭さも。その頃のフレッシュなときめきを忘れないように、と感謝の気持ちを込めて、僕なりに「これ以上のベスト盤はありえないはず」と彼女の名演をたっぷり詰め込んだ『ジョイス・フォー・カフェ・アプレミディ』を今CD棚から取り出して、不意に、すでに退職してしまったEMIの西元ディレクターの顔が浮かんだ。この盤も、マルコス・ヴァーリやパウリーニョ・ダ・ヴィオラのカフェ・アプレミディ盤も、メイズやボビー・ウーマックのフリー・ソウル盤も、『ジェット・ストリーム〜サマー・フライト』も『カフェ・アプレミディ・クリスマス』も、彼女が制作してくださったのだ。本当にありがとうございます。ご無沙汰していますが、元気でやっていらっしゃいますか?
追記:今月は新譜も、カフェ・アプレミディ中村が紹介するアグスティン・ペレイラ・ルセーナや、アプレミディ・セレソン武田が紹介するモッキーなど、素晴らしいアルバムばかりなので、音楽の春を満喫することができそうです。

2009年3月下旬

KERO ONE / EARLY BELIEVERS
KERO ONE / WINDMILLS OF THE SOUL
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


Here Comes The Springtime For Music!
「サバービア系ヒップホップの最高峰」(単行本「公園通りみぎひだり」参照)あるいは「メロウ・ビーツ本命盤」というように多くの支持を集めた2005年のファースト・アルバム『WINDMILLS OF THE SOUL』以来となる、待ち望んでいた人も多いはずのケロ・ワンの新作が到着。ジョー・フェンデル“NICE 'N EASY”のギター・アルペジオを使った“WINDMILLS INTRO”、アーマッド・ジャマル“DOLPHIN DANCE”のピアノ・ループが絶品のメロウネスを生んだ“IN ALL THE WRONG PLACES”、新たなB-Boyアンセムとなった“CHECK THE BLUE PRINTS”など、忘れがたいトラック満載だった前作のファンの期待に応えるジャジーでソウルフルでポップな充実の一枚。芽吹きの季節に相応しい爽やかなグッド・ヴァイブに満ちている。
とりわけベン・ウエストビーチの歌声と軽やかなジャズ・ギターをフィーチャーした“WHEN THE SUNSHINE COMES”は、この春を象徴するサニー・グルーヴとして、きっとFMなどでかかりまくるだろう。僕はケロ・ワン主宰プラグ・レーベル屈指の名曲、友人とすごす時間のかけがえのなさを歌ったアロー・ブラック&キング・モストによる“WITH MY FRIENDS”(スタンリー・カウエル“TRAVELIN' MAN”を巧みに再構築したハンドクラッピン・ソウルで、『MELLOW BEATS, RHYMES & VISIONS』に収録)を思い出さずにいられなかった。
北欧のスティーヴィー・ワンダー、と言われたりもするトゥオモが歌う、ハイ・サウンドのメロウ・ビーツ解釈という趣きのアル・グリーンのカヴァー“LOVE AND HAPPINESS”、軽快なボサ・ブレイク“BOSSA SOUNDCHECK”、痛快なオメガ・ワッツとのマイク・リレー“STAY ON THE GRIND”(ケロ・ワンはディスクガイド「エッセンシャル・メロウ・ビーツ」で、オメガ・ワッツの“THE FIND”を聴くとアル・グリーンを思い出すと記していた)あたりも話題を呼ぶに違いないが、個人的に特に気に入っているのは、70年代的な温かみのあるファンキー・インスト“A SONG FOR SABRINA”から、ベン・ウエストビーチが再び登場する僕には感動的なラヴ・ソング“GOODBYE FOREVER”までの流れ。中でもクラウン・シティー・ロッカーズのカット・オウアノの柔らかに揺れるフェンダー・ローズに溶けるような“I NEVER THOUGHT THAT WE”は、先週末の九州DJツアーでも熊本〜福岡と連日プレイした快適メロウ・グルーヴだ。
「エッセンシャル・メロウ・ビーツ」でケロ・ワンが、エディー・グリーンの弾くフェンダー・ローズにしびれるカタリストの“NEW-FOUND TRUTHS”を真っ先にリストアップして、「こういうフレッシュな音楽、土曜の朝、部屋を片づけてるときに聴くのに最適だ」とコメントしているのを読んだときも、この男はメロウでジャジーなテイストだけでなく、音楽の紹介の仕方までサバービアだな、と感じたが、その印象は今作でも裏切られることはなかった。このニュー・クラシックの誕生によって、ヒップホップの緑色革命がまた一歩、確かに前進したことを讃えたい。

P.E. HEWITT JAZZ ENSEMBLE / WINTER WINDS
FOUR-UM / JUST US
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


レア盤リイシュー・シリーズ「DEEP JAZZ REALITY」から届いた私家録音の名作2枚を紹介。まずはストーンズ・スロウ/ナウ・アゲインのイーゴン(マッドリブのマネジャー、と言った方が通りがいいかな)がディスクガイド「Jazz Supreme」でトップに挙げていた、60年代からベイエリアを拠点に活動するピアノ/ヴァイブ奏者P.E.ヒューウィット。オリジナル盤のプレス枚数はたった100枚、というのが僕が推薦する理由ではないが、耳にできてよかったと素直に思う。
イーゴンが大プッシュしていた熱いアルト・サックスにラテン・リズムの“BAON QUE BASH”、粋でヒップな高速ワルツ・ジャズ“OMA RAKAS”に食指を動かされるのは当然だが、僕としては、スピリチュアルな女声コーラスとエネルギッシュなアンサンブルが魂を震わせる魔術的な“MORE THAN ANYTHING”や、前作『SINCE WASHINGTON』からボーナス収録された“IT DOESN'T MATTER...YES IT DOES, ...BUT I CAN'T STOP”などにも強く惹かれる。このアナログに大枚はたいたDJ/コレクター諸氏はどんな曲を気に入っているのだろう。ヒップだったり、ラウンジーだったり、メディテイティヴだったり、多面性に富んだ他の演奏も決して聴き逃せない。
もう一枚はソフト・ロック・マニアの間でも密かに知られてきた男女混成ヴォーカル&インストゥルメンタル・グループのフォーラム。カヴァー曲のセレクションからも明らかなように、アメリカの地方都市のバーやライヴハウスで、ご機嫌な気分でパーティー・バンドの一夜のステージを楽しむような雰囲気が捨てがたい。
ここへ来て人気急上昇の要因はもちろん、オープニングを華やかに飾るバート・バカラック“WHAT THE WORLD NEEDS NOW”の爽快なジャジー・スウィング・カヴァー。ヴィンス・アンドリュースやラファエル・チコレルが引き合いに出された評を、何度か見かけたことがある。やはり彼ららしいレパートリーと思わずにいられないエルトン・ジョンの“YOUR SONG”もアレンジに冴えを見せ、ジョージ・ガーシュウィン作のスタンダード“SUMMERTIME”もクラブ映え抜群のフルート入りジャジー・スウィングでキラー・チューンに。アレサ・フランクリンの“DAY DREAMING”、アシュフォード&シンプソンが書いたマーヴィン・ゲイ&タミー・テレルやダイアナ・ロスで名高い“AIN'T NO MOUNTAIN HIGH ENOUGH”といったソウル・ミュージックからの選曲も僕好みだ。ちなみにこちらはオリジナル・プレス500枚、とのこと。アルバムの真価とはさして関係ありませんが、付け加えておきます。

2009年4月上旬

HENRI TAXIER / AMIR
DON CHERRY - LATIF KHAN / DON CHERRY - LATIF KHAN
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


遂にアンリ・タクシア入荷! この半年ほどの間、これほど欲しかったアルバムはない。やっと手に入れた感激もあって、マイ・ベッドルームのCDプレイヤーでかかりっぱなしになっている。
昨年9月、ディスクガイド「Jazz Supreme」を作っていたときに、ジャザノヴァのアレックスが“HOMME ROUGE”という曲を自らのPCで聴かせてくれた印象が忘れられない。音楽を聴いて震えが来たのは久しぶりだった。彼に敬意を表して、その紹介文をここに掲げよう。
「フランスのベース・プレイヤーによる隠れた名作。ヨーロピアンとアラビックを行き来する音階やヴォイシングのレイヤーが、ジョン・ルシアンにも通じるフィーリングを醸し出し、コズミック&ヒッピーなフライング・アウェイ感覚に誘われるビューティフルな作品。ちょっと変わったモダンなアレンジはクラブ・ミュージックとしても通用するほどですが、一枚通してメディテイション〜アンビエント・アルバムとしても素晴らしいです」
まだまだ知らない名盤ってあるもんですね。コントラバスなどの弦楽器にフルートとパーカッション。幽玄のスキャット・ヴォイスに導かれる諸行無常の響き。僕がひとことで表すなら“ミナス・ミーツ・スピリチュアル・ジャズ”という趣きのメディテイティヴな一枚。1975〜76年パリ録音で、テイストは違うけれど、僕はブライアン・イーノ『THURSDAY AFTERNOON』に匹敵するアンビエント作品として重宝しています。
瞑想的なアンリ・タクシアに対し、もう少し覚醒的な気分のときによく流しているのが、ドン・チェリーとインドのパーカッション奏者ラティフ・カーンの共演作。1978年にパリで制作され、ワールド・ミュージックの立役者として知られるマルタン・メソニエが80年代前半に世に送り出したアルバムだが、このたびヘヴンリー・スウィートネス(ダグ・ハモンド『A REAL DEAL』やアン・ヴァーツ『INFINI』などをリリースしているパリの良心的レーベルです)から待望のCD化が実現した。旧知の仲であるオーネット・コールマン“UNTITLED”に始まり、スピリチュアルなワードレス・ヴォイシングがジョン・コルトレーン“NAIMA”を彷佛とさせるような“AIR MAIL”、この世のものとは思えないほど(ユートピアの音楽、とさえ思える)美しくエキゾティックでヘヴンリーな調べを奏でる“ONE DANCE”と、愛と平和を座右の銘としたドン・チェリーらしい自作曲が連なる「MUSIC SIDE」。音に身を委ねるだけで時空を越えた境地に誘われる、ラティフ・カーンの美しくもトライバルなタブラが輪廻転生の響きのように、インドの伝統音楽と現代アンビエントの蜜月を示す「SANGAM SIDE」。僕は聴いているとジョー・ハリオット/ジョン・メイヤー/アマンシオ・デシルヴァらによる60年代英国産ラーガ・ジャズの名品群に思いを馳せたくなるし、ドン・チェリーの妻で北欧ラップランド人のモキ・チェリーによるカヴァー・アートにも不思議な魅力を感じてしまう一枚です。
追記:余談というか自画自賛になりますが、中村智昭のカフェ・アプレミディ卒業記念に、僕はドン・チェリーの『ORGANIC MUSIC SOCIETY』を贈りました。この間たまたま近所の「YELLOW POP」で、美麗オリジナル盤を驚くほど安くゲットしたのです。“UTOPIA & VISIONS”“THE CREATOR HAS A MASTER PLAN (PEACE)”といった心洗われる不朽の名曲を収録していることもありますが、橋本徹とカルロス・ニーニョとCALMを結ぶ三角形の中心に位置するようなレコードで、彼へのはなむけに相応しいプレゼントだと思いません?

JOE BARBIERI / MAISON MARAVILHA
CORDES SENSIBLES / CONSTELLATION
DADAMNPHREAKNOIZPHUNK / TAKE OFF DA HOT SWEATER
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


「もうすぐ人間は恐竜みたいに緩やかに滅んでいくね(キッパリ)。でも、そういう時にこそ、良い音楽が生まれるんじゃないの!? まともな人は、よりちゃんとしたものを作るだろうし」(スチャダラパー)
最近“NO MUSIC, NO LIFE”のポスターを見かけるたびに、この言葉に深くうなずいてしまうが、2月下旬のこのコーナーで熱烈に推薦したジョー・バルビエリの新作は、そんな警句を実感させてくれる一枚だ。4/22にいよいよ日本盤がリリースされるが、僕がステッカーに寄せたコメントはこんな感じになった──「本当に溜め息が出るほど素晴らしい、旅や映画のように心に灯をともしてくれる音楽。遠く過ぎ去った夏を思うような音楽。何かに疲れたとき、何かに救われたとき、一生聴き続けるだろう。フェリーニにオマージュを捧げたカエターノ・ヴェローゾや、“ESTATE”(夏)を歌ったジョアン・ジルベルトへの、イタリアからのまろやかな返答。美しい」。
誕生日プレゼントに先日、高校の同級生からクラシック作曲家・芥川也寸志の「音楽を愛する人に」という古本をもらい(昭和42年の筑摩書房らしい、と言いたくなる装幀が素敵です)、その直球なタイトルがここ数日、頭から離れない。音楽を愛する人、というフレーズから僕は何となく小西康陽さんのことを思い浮かべたが(レコードを愛する人、と言うべきだろうか)、先週末タワーレコード渋谷店に行くと、僕も愛聴していたコルド・サンシブル(フランス語で繊細な弦、という意味です)の『CONSTELLATION』に、“小西康陽氏・絶賛!”というキャプションが付いていた。確かに小西さんも絶賛するだろうフレンチ・ジャズ・コーラスの2007年の名作で、ジャケットのシルエットからしてゴダールの「男性・女性」で可憐なシャンタル・ゴヤがスタジオで歌うシーンを思い出す、60年代フランスのヌーヴェル・ヴァーグ・フィルムに合わせたくなるような音なのだ。
まずいきなり、ウェイン・ショーター“SPEAK NO EVIL”のヴォーカリーズ版で始まるのが嬉しい。僕はソロで聴かせるジョン・コルトレーン“NAIMA”のカヴァーをよく選曲しているが、基本的に洒落たスキャットを交えた女声デュオで、ソフィスティケイションとアンニュイ具合とジャズの香りのバランスが絶妙。ホレス・シルヴァーのラテン・ジャズ“NICA'S DREAM”を取り上げても最高にクールでチャーミングだし、ジョビンのナンバーも“白と黒のポートレイト”を始めフランス人好みの3曲、と言うことない。少しくぐもった空の日に息をひそめて聴きたい素晴らしい作品集で、正直なところ僕はスウィングル・シンガーズより断然、その儚げな空気感に惹かれます(ちなみに彼女たちは2003年の『INVITATION』にも、“ALONG COME BETTY”などとびきりお洒落な曲を吹き込んでいます)。
そして僕より歳下ながら、もうひとりの音楽を愛する人、Nujabesが絶賛、とやはりタワーレコード渋谷店のキャプションに書かれていたのが、ようやく日本でCD化された僕の近年のヘヴィー・ローテイション盤、ハードフロアの変名プロジェクトによる『TAKE OFF DA HOT SWEATER』。ハードフロアと言えばアシッド・テクノのパイオニアというイメージが強いかもしれないが、これは稀に見るメロウ・ブレイクビーツ/メロディアス・ダウンビートの奇跡の傑作。ダビー&ジャジーな音像に絶品のリズム・ワークが光る、まるでよくできたミックスCDのようなアルバムだ。僕も“SOCKS AND STRINGS AND SP12”“SILICON LOAFER”と共に白盤12インチでたびたびDJプレイしていた“CROCODILELEATHER T.I.E.”は、NujabesやDJ KENSEIのお気に入りでもあったと今回知ったが、何と言ってもサバービア・マニアな貴方は、甘美なピアノとヴァイブをフィーチャーしたロジャー・ニコルス作“WE'VE ONLY JUST BEGUN”の珠玉のアダプテイション“I LOST MY SUITCASE IN SAN MARINO”で即死でしょう。日本盤ボーナス・トラックとして、気鋭Olive Oilによる、その曲のプレフューズ73を思わせるエクスペリメンタルなリミックスも収録されています。
追記:6月リリース予定の日本のトラック・メイカーによるメロウ・ビーツ・コンピ『MELLOW BEATS, FRIENDS & LOVERS』のリード曲として、Nujabesが現在制作中のシャーデー“KISS OF LIFE”のカヴァーは、フィーチャリング・ヴォーカルがジョヴァンカ&ベニー・シングス(!)に決まりました。続報・詳報はまた改めて!

2009年4月下旬

RENATO MOTHA & PATRICIA LOBATO / DOIS EM PESSOA
RENATO MOTHA & PATRICIA LOBATO / ANTIGAS CANTIGAS
RENATO MOTHA & PATRICIA LOBATO / PLANOS
RENATO MOTHA & PATRICIA LOBATO / SHABDS PARA A PAZ
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


カルロス・ニーニョ率いるビルド・アン・アークの新曲“THIS PRAYER FOR THE WHOLE WORLD”があまりにも素晴らしすぎて、心浮き立っている今日この頃。本当に心洗われるグルーヴィーでピースフルな一曲で、1日に10回聴いてます。タワーレコードとアプレミディで6/10に先行発売されるコンピ『MELLOW BEATS, PEACE & DREAMS』の1曲目にエクスクルーシヴ収録できればと思っていますので、お楽しみに!
さて最近は、アプレミディ・グラン・クリュ、鎌倉・光明寺、青山・CAYと3か所でそれぞれ趣向を変えたライヴを観ることができた、ヘナート・モタ&パトリシア・ロバートにも改めて心酔している。彼らを見ていると、ビルド・アン・アーク同様、まともな人間が今の時代に音楽と誠実に向き合う姿を感じることができる。そう、一切の不純物のない音楽。
ボサノヴァ以来の“詩的体験”と謳われた現代版ミナス・サウンド。たおやかな表情と清らかな美声。ポルトガル語圏の偉大な詩人フェルナンド・ペソアの詩をオリジナルのメロディーにのせた『DOIS EM PESSOA』を聴いていると、穏やかな午後の時間が流れていく。それは心の鎮静剤のような響き。ヘナート・モタが店のインテリアをしきりに褒めてくれたのが嬉しかったグラン・クリュでのウェルカム・パーティーで、マイクを通さずに歌ってくれた“DEPOIS DE AMANHA”は忘れられない思い出になるだろう。音楽の奇跡に震えるような、親密な瞬間。その口笛の美しさは言うまでもなく、吉本宏くんも指摘しているように、ヘナート(とパトリシア)の声はノンPAでさらに透き通り、崇高な輝きを増すのだ。
『ANTIGAS CANTIGAS』に収録されていたような、古いブラジルのワルツ、クラシックや教会音楽の影響色濃い曲、ヨーロッパ文化をルーツとするブラジルの伝承歌には、無性にノスタルジーで胸を締めつけられた。彼らの珠玉のオリジナル・ソング集『PLANOS』に収められた名曲に倣って、その心象を表すなら“CHEGA DE MELANCHOLIA”。中島ノブユキのピアノも室内楽的な佇まいによく合っていたCAYでの“プレンダ・ミーニャ”には、カエターノ・ヴェローゾに優るとも劣らない優美な感激がこみ上げた。マイルス・デイヴィス版を意識しているはずの、間奏のトランペットの音色を模したヴォーカライズも素晴らしかった。
ヨーガの中で瞑想中に繰り返し唱える聖句“マントラ”に曲をつけた『SHABDS PARA A PAZ』の世界を具現化したような光明寺での演奏は、今の僕が最も必要としている、心の平安をもたらしてくれる音楽だった。ミナスでラーガでスピリチュアルな、前回紹介したアンリ・タクシアやドン・チェリー&ラティフ・カーン、あるいはECMのコドナやザキール・フセインにも通じるメディテイティヴな雰囲気。でもそれだけじゃない、ブラジル音楽とヨーガの美しき出会いが生んだ“平和のための揺らぎ”だ。昨晩どうしてもCDが見つからなかったので、また一枚買ってしまった。それほど、いつも自分のそばに置いておきたい音楽だ。僕は今、ヘナート・モタを心から尊敬している。私淑したいと思っている。彼らは理想の夫婦、とさえ思う。

V.A. / NICOLA CONTE PRESENTS “SPIRITUAL SWINGERS” 
ANITA O'DAY / COOL HEAT
AHMAD JAMAL / JAMAL AT THE PENTHOUSE
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


ここ数年ディープ&モーダルへの傾倒を強めていたニコラ・コンテが、自らのパブリック・イメージを塗り替えるほどアフロセントリックで、本人の作品以上に“スピリチュアル”という感性への共鳴が伝わる素晴らしいセレクションのCDを発表した。日本のジャズ・マーケットでは、こうしたテイストはベストセラー・コンピとして成立しづらいことは百も承知だが、僕はこの方向性を強く支持する。モーダル・ジャズが内包するアフリカや東洋の民俗音楽(彼自身の言葉を借りるなら“フラメンコからバルカン・サウンドまで”)と通底する神秘的なスピリチュアリティー、ジョン・コルトレーンやファラオ・サンダースが求道的に音楽表現を掘り下げていったその背景を見事に浮かび上がらせている。
オープニングの流れから象徴的だ。まずディー・ディー・ブリッジウォーターの名唱も忘れがたい“AFRO-BLUE”を、マックス・ローチ夫人だったアビー・リンカーンが歌う。続いて、『JAZZ SUPREME ~ MODAL WALTZ-A-NOVA』では幽玄美の極み“PAVANNE”を冒頭に置いたジェイムス・クレイ×ヴィクター・フェルドマンのもうひとつのオリエンタルな名品“NEW DELHI”。そして圧巻の長尺ライヴ版も忘れられないワルツ・ジャズ、アーマッド・ジャマル×リチャード・エヴァンスの“BOGOTA”へ。さらにハープとフルートがエキゾティックに絡み合うドロシー・アシュビー×フランク・ウェスの“TABOO”、ロレツ・アレクサンドリアが後にも名演を吹き込むアフロ・スピリチュアルの極北と言える霊的なムードをたたえた “BALTIIMORE ORIOLE”が連なり、ユセフ・ラティーフ“JUNGLE FANTASY”のようにラテン音楽の古典がアフリカ的なモティーフでプリミティヴに演奏される曲も目につく。
ジャズとソフト・ロックが交差する意欲的なコーラス・プロジェクト、サウンド・オブ・フィーリングによるフラワーな“MY FAVORITE THINGS”(アレンジはオリヴァー・ネルソン)から、ロイ・ヘインズ×フランク・ストロジャーによる両者らしいフルート入りモーダル・ジャズ・ビーツ“MODETTE”への展開も鮮やか。音源のレアリティーに気を配った様子がうかがえる後半は、スイスのジョルジュ・グルンツによるスパニッシュ・モードの“SPANISH CASTLES”、ドイツのクラウス・ヴァイスによるバルカン民謡“SUBO”あたりが、真のヨーロピアン・ジャズ好きなら嬉しいはずだ。ラストのパット・ボウイ“FEELING GOOD”など、ブルージーなヴォーカル曲の配し方もコンピレイション・コンセプトに相応しい。
ニコラ・コンテとは真逆のヴェクトルだが、「小西康陽。200CDセレクション。」と題されたリイシュー・シリーズからも2枚紹介しよう。選盤の基準は“最も初期サバービア的な”アルバム。アーティスト・イメージに別の角度から光を当てるような、新たな価値観を提示するような、カウンター・カウンター・カルチャーとでも言うべき精神が息づくセレクト。どちらも50年代の古き佳きアメリカの香りを残すジャケット写真が素敵な“スクエアなジャズ”だ。
アニタ・オデイの『COOL HEAT』は、今回の再発ラインナップを知った一昨日の夜、さっそくターンテーブルにのせてみた。実に20年ぶりという感じだろうか。きれいにヴィニール・コーティングされたレコードで、僕の前は几帳面なジャズ・ヴォーカルのコレクターが所有していたのだろう。もちろん美しい色合いのスリーヴに惹かれて購入したのだった。クールな唱法のハスキーな女声とジミー・ジュフリーによる洒落たアレンジメント。僕にはスキャットで始まる“GONE WITH THE WIND”が最高、という印象が強かったが、改めて聴くと、スキャットと編曲で颯爽とウエスト・コースト・ジャズの軽やかなスウィングを体現したような“HERSHEY BAR”や、メル・トーメ×マーティー・ぺイチを思い出す快速な“THE WAY YOU LOOK TONIGHT”も好ましい。
アーマッド・ジャマル『JAMAL AT THE PENTHOUSE』の復刻は、彼のピアノの熱心なファンでアーゴ・レーベルの作品もコレクションする僕でさえ驚かされた。というのも、これはいわゆる“ウィズ・ストリングス”、あの究極の名盤『THE AWAKENING』を最高峰とするクラブ・ジャズ〜ヒップホップ・ジェネレイションの物差しからは距離を置く、瀟洒でラウンジーで小粋な一枚だからだ。もちろん彼ならではのセンスとインテリジェンス──自在に呼吸するようなタッチや間合いの美学は味わえるが、僕らが大好きなヒップでクールでルーツ・オブ・メロウ・ビーツなジャマルとは一線を画すソフィスティケイテッドぶり。彼をこよなく愛したマイルス・デイヴィスも取り上げた“AHMAD'S BLUES”に始まるB面を僕は好んで聴いた覚えがあるが、小西さんはどんなところを気に入っているのだろう。いつも豊かなイメージを与えてくれる小西さん自身の言葉による“OFF THE RECORD”な推薦文を読んでみたかったが、アニタ・オデイ×ジミー・ジュフリーについてと同じく、残念ながらライナーには記されていない。もうすぐ「マーシャル・マクルーハン広告代理店。ディスクガイド200枚。小西康陽。」という本(凄いタイトルですね)が出るそうだから、早く読める日が来るのが待ち遠しい。

2009年5月上旬

V.A. / JAZZ SUPREME ~ MAIDEN BLUE VOYAGE
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


とにかく1曲目からしびれます。儚い透明感を宿した繊細なピアノとギター、切々とした哀愁を漂わせるヴォーカル、震える心の鼓動のようなリズム。ビートルズとミナス・サウンドの美しき出会い、ナンド・ローリアの“IF I FELL”のイントロが流れてくると、僕は“地球の涙”(Tears Of Our Earth)という言葉を想う。ジョー・クラウゼルのセイクリッド・リズムからリリースされたメンタル・レメディー『THE SUN・THE MOON・OUR SOULS』にあったフレーズ。このコンピレイションは、選曲をしていた頃に深く心を動かされたそのレコードへの、僕なりの返答であり、共感と愛情の表現だ。言葉に尽くせぬほど胸を打つビートルズ・カヴァーで船出する、美しく荘厳な音楽の航海。
続くロバート・グラスパーの“J-DILLALUDE”は、若くして世を去ったJ・ディラへの感涙のオマージュ。最近聴いたカルロス・ニーニョによる室内楽スタイルのトリビュート『SUITE FOR MA DUKES』にもこみ上げるものがあったが、Nujabesも熱烈に愛する、スラム・ヴィレッジ“FALL IN LOVE”の旋律が泣ける。ヒップホップ世代ならではのブレイクビーツ的なリズム感覚やコラージュ・センスも備えるグラスパーだが、実は新主流派的でもある真のジャズ・ピアニスト。
ロイ・エアーズの“RICARDO'S DILEMMA”は、1963年の初リーダー作からのウエスト・コースト・ヴァイブなモーダル・ワルツ。ここ数年は彼の作品中このアルバムを最もよく聴く。名コンビと言っていいピアノのジャック・ウィルソンとの共演、カーティス・エイミーのソプラノ・サックスは往時のジョン・コルトレーンを彷佛とさせる。
崇高で力強く、かつ瞑想的なブロウに聴き惚れるウェイン・ショーターの“FOOTPRINTS”は、新主流派の旗手が打ち立てた金字塔。マイルス・デイヴィス版はもちろん、ロニー・リストン・スミスを始めカヴァーにも、それなりの覚悟が感じられる名演が多い。“MAHJONG”を収めた『JUJU』と並んで最も聴く1966年のアルバム『ADAM'S APPLE』から。
優美なアンサンブルがクールで静謐な凪の海を描くようなハービー・ハンコック“SPEAK LIKE A CHILD”は、掛け値なしに永遠のフェイヴァリット。ディスクガイド「Jazz Supreme」でスリープ・ウォーカーの吉澤はじめ氏いわく「変則3管+ピアノ・トリオの水彩画のような瑞々しいサウンドが、まさに絶妙を極める」、Nujabesいわく「ジョアン・ジルベルトの作品にも通じるコード感と、無音よりも“Calm”とも思える心地よさ。何度聴いても飽きない、手が込んでいながら見事にソフィスティケイトされた進行」。全くの同感だ。
哀悼の意を込めてコンピレイションの中心に据えたのが、フレディー・ハバードの“BLUE SPIRITS”。ブルーノート屈指の凛とした気高さをたたえたワルツタイムのモーダル・ジャズだ。颯爽と蒼い波間を行くドルフィン・ダンスのようにたおやかでしなやかな憂愁と悠久の調べ。マッコイ・タイナーのピアノ、ジェイムス・スポールディングのフルートも素晴らしい。
続いてデューク・エリントン+チャールズ・ミンガス+マックス・ローチ。ピアノ・トリオの極北。単行本「Jazz Supreme」で菊地成孔氏は、「癇癪という哲学と暴力という病理の完璧な音化。“怒り”を表現の原料とする全ての芸術(絵画や犯罪も含む)の中でも熱量、エレガンス、野蛮さに於いて最高傑作でしょう」と表していた。ここに収録した“FLEURETTE AFRICAINE”は、そんな野蛮なエレガンスが生んだ奇跡のような名品。神秘の音霊が揺らめくようで、僕にとって彼らのベスト作であると同時に、ノスタルジア77のベン・ラムディンも「Jazz Supreme」で特別に絶賛していた。この曲のカヴァーを含む中島ノブユキの名盤『エテパルマ〜夏の印象』を愛する貴方も、絶対に聴いてください。
やはり魔法がかったような神秘的なフルートに導かれるデューク・ピアソン“THE MOANA SURF”は、クールなリリシズムに貫かれるモーダル&スピリチュアルなラテン・ジャズ。ボビー・ハッチャーソンのヴァイブが幻想的な彩りを与え、パーカッション群が芳醇なリズムを奏でる隠れた逸品で、ライナーのアーティスト解説で小川充氏が「モーダル・ジャズとラテン・ジャズが最高の形で出会った」と書いてくれたのが嬉しい。
黒人らしいグルーヴ感や精神性とクールな理論派的側面が同居するボビー・ハッチャーソンは、ショーターやハンコックと共に新主流派をリードしたヴァイビスト。“LITTLE B'S POEM”は天国の子守歌のような美しいモーダル・ワルツだが、後に歌詞がつけられ、『JAZZ SUPREME ~ SPIRITUAL WALTZ-A-NOVA』に収めたディー・ディー・ブリッジウォーターや、『FREE SOUL. the classic of BLACK JAZZ』に収めたダグ&ジーン・カーンによる名唱で、スピリチュアル・ジャズの聖典としても名を残している。
ボビー・ハッチャーソンもそうだが、ホレス・シルヴァーはコンピにエントリーしたい曲が多すぎて、正直セレクションの際に結構悩んだ。結局『BLUE NOTE FOR APRES-MIDI GRAND CRU』と被るのを承知で選んだのは、男性スピリチュアル・ジャズ・ヴォーカルの顔アンディー・ベイが歌う“WON'T YOU OPEN UP YOUR SENSES”。カーティス・メイフィールドなどニュー・ソウルとも共振する哀切のワルツで、かつて4ヒーローがカヴァーしていた。“LES FLUER”“NAIMA”“SUPERWOMAN”といった例を挙げるまでもなく、彼らがリメイクする曲はどれも間違いがない。
そしてグラント・グリーンの“MY FAVORITE THINGS”。コルトレーン・カルテットの至上の名演の素晴らしさを踏襲しながら、よりグルーヴ感を増した好ヴァージョン。マッコイ・タイナーとエルヴィン・ジョーンズも“らしさ”全開。この曲については、8月リリース予定の「Chill-Out Mellow Ensemble」ジャズ編プロジェクトのために今、神田朋樹くんが作っているトラックがあまりに最高なことも付け加えておこう。
ロイ・ヘインズ×フランク・ストロジャーによるバート・バカラックの名ワルツ“WIVES AND LOVERS”のカヴァーは、この両者ならではのフルート入りモーダル・ジャズ・ビーツ。いかにも60年代パシフィック・ジャズという風情の軽快な躍動感が好ましい。
一方で、同時期同レーベルながら、レス・マッキャンの“DAMASCUS”は荘重かつダイナミックなオリエンタル・ジャズの傑作だ。若きジャズ・クルセイダーズと組んだ1963年の『JAZZ WALTZ』からのアラビックな至高のワルツ・グルーヴ。僕とモーダル・ジャズの趣味が極めて近い(というか同じ)アズ・ワンことカーク・ディジョージオがフェイヴァリットに挙げているのを知って、ずっと聴き直そうと思っていたのだが、長らく我が家のレコード部屋では行方不明だったので、個人的には嬉しい収録。
ラストは他社からのライセンスでわざわざ許諾をいただいたマックス・ローチの“EQUIPOISE”。ディスクガイド「ムジカノッサ・ジャズ・ラウンジ」でも“スパルタカス”に続けてまるごと一章を捧げられていた、スタンリー・カウエルが書いた永遠不朽の名曲。ビルド・アン・アークからジャック・ディジョネットまで、様々なカヴァーが忘れられないが、これはゲイリー・バーツとチャールズ・トリヴァーの2管にカウエルもピアノ参加した、プレ・ストラタ・イーストとでも言うべきスピリチュアル・ジャズの源流となる1968年アトランティック・セッション。どこまでも崇高で優しく、メロウで美しい。「知的でかつワイルド、今の時代に欠けているものがここにはあると思います」(by松浦俊夫)なマックス・ローチは、「Jazz Supreme」にとって要人・恩人。彼の死も改めて追悼します。

LLOYD MILLER / ORIENTAL JAZZ + 5
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


心安らぐオリエンタルな音色・旋律とモダン・ジャズ・ピアノのミラクルな融合。その最高峰にそびえ立つ1968年録音の奇跡の名作が、ロイド・ミラー本人提供による自主制作盤をもとに、ボーナス5曲を加え限定プレスで復刻CD化。最初にタワーレコード渋谷店で見かけたときは目を疑ったが、その内容の素晴らしさを実際に耳にした感激は、これまでこのコーナーで紹介してきたどのアルバムにも優るほどだ。
キンドレッド・スピリッツの『FREE SPIRITS VOL.1』、ジャズマンの『SPIRITUAL JAZZ』といったコンピで僕には馴染み深かった“GOL-E GANDOM”が、何と3ヴァージョンも収められ、魔法のような輝きと吸引力を放っている。イランのトラディショナルなメロディーを、民俗楽器サントゥールの印象的な響きを中心にアレンジした傑作中の傑作で、どの吹き込みも甲乙つけがたいが、僕は今、高速ワルツのオリジナルにも増して、たおやかな幽玄美をたたえた72年のテイクに心惹かれている。僕には瞑想と覚醒のモザイクであり、美しい恍惚の音楽なのだ。
そしてその曲以上に、僕にとって特別な存在になったのが、ロイド・ミラーの自作曲“NJONJA MIRAH & YONA”。ラヴェルやサティをも思わせるような、神秘とセンティメントの宝石。とりわけセカンド・ヴァージョンは、聴いていて後半、不意に涙を誘われた。これもまた“地球の涙”(Tears Of Our Earth)なのか。鎮魂歌(レクイエム)という言葉が頭に浮かぶ。
他にも、やはりクラシカルな“NATANIE”や、夢幻の境地を彷徨うような“IMPRESSION OF BHAIRAVA RAGA”など、このアルバムを聴いている間は、禅のように自分の中に入り込み、過去と現在、太古の記憶と未来の観念を行き来することができる。CD化にあたって、オリジナル・レコードを適価で譲ってもいい、という方がいましたら、ぜひご連絡をお待ちしております。

2009年5月下旬  

V.A. / MELLOW BEATS, SUNSHINE & TWILIGHT
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


アプレミディ・セレソン武田が紹介してくれている『MELLOW BEATS, FRIENDS & LOVERS』がスペシャル企画だとすれば、こちらは奇しくも同日発売となったレギュラー盤の最新作。ジャズとヒップホップの蜜月が生んだ21世紀の至上のメロウ・グルーヴ。GW直前に、タワーレコードのバイヤー陣からのリクエストを反映させながらPヴァイン音源を使って、という話が舞い込み、特急進行で完成した一枚。彼らのリクエスト(つまりお客さまのリクエスト、と考えています)は幸いなことに僕も好きなトラックが多く、全21曲中11曲をその中から選ぶことができた。
夏前のリリースに相応しい爽やかなテイストで、という声も多かったので、ケロ・ワンfeat.ベン・ウエストビーチ“WHEN THE SUNSHINE COMES”、ホーカス・ポーカスfeat.オマー“SMILE”といった、この季節に心地よいサニー・ソウル・タッチの爽やかヒット・チューンを選曲のフックとしている。窓を開け放ってカーステレオからラジオを流しているような気持ちのよいイメージで、その両曲の間に並ぶのは、スターヴィング・アーティスツ・クルーの変名×テス・ワンの“FOUR SQUARE”とライドアウト&テリー・コールの“WE GOT TO LIVE TOGETHER”という、シャープなボサ・ヒップホップとピースなフラワー・ヒップホップの究極のキラー・ナンバー(共にかつてこのコーナーでも大プッシュされていましたね)。最近の僕のコンピレイションの中では、かなり陽性な印象を受けるだろう。
トピックとなる先行収録音源は、オープニングを飾るフランスのブレイクビーツ・クリエイター、キラ・ネリスの極めつけにジャジーな“JUDY IN JUNE”(僕はエレガントなワルツ・ブレイク“SCAMPERING”もたびたびDJプレイしていましたが)、新しいアンセムになるに違いないオランダのスキジー・ラップスの“TODAY”(ポーグスがもしラップしたら、みたいな伸びやかな雰囲気です)、そしてカナダからシンク・トゥワイス制作の新曲でボビー・ヘブ“SUNNY”をアダプトしたサマー・ヒップホップの逸品“IT'S ABOUT TIME”。
カナダ勢は「メロウ・ビーツの至宝」と言うべきスペシフィックスの楽曲群からも何を選ぶか嬉しい悲鳴だったが、メランコリックな名曲“WITH J”を大切な2曲目に置き、まさに夏のヴァカンスを思わせる音色に陶然となる、フランスのジャズ・リベレイターズによる天国で奏でられたような至福の楽園サウンド“VACATION”への架け橋とした。
オデッセイ“OUR LIVES ARE SHAPED BY WHAT WE LOVE”を使ったサイン、ナイト・ライターズ“K-JEE”を使ったドラゴン・フライ・エンパイア×モカ・オンリー、コールド・ブラッド“VALDEZ IN THE COUNTRY”を使ったパット・D&レディー・パラドックスなど、フリー・ソウル・ファンならずとも思わず声を上げてしまう場面も何度も訪れるはずだ。確信的なメロウ・サンプルから歯切れよいマイク・リレーまで完璧なスターヴィング・アーティスツ・クルーの絶品“FEED THE HOMELESS”も、もちろんそんな一曲。そしてここからの後半への流れこそ、僕の選曲の真骨頂だと思っていただきたい。
ピート・ロックの名声を決定づけた“THEY REMINISCE OVER YOU”(メアリー・J.ブライジも引用しましたね)へのJ.ロウルズによる素晴らしいオマージュ“A TRIBUTE TO TROY”は、トム・スコット“TODAY”のホーン・リフが哀愁をたたえ鳴り響く。キンドレッド・スピリッツ発ジャネイロ・ジャレルの“LOCK DOWN”は、乾いたビートとサンプリングの妙に病みつきになり、テス・ワン率いるピープル・アンダー・ザ・ステアズの“FLEX OFF”も、やはりクール極まりない。そして「ジャジー・ヒップホップの最高峰」と断言したいドラゴン・フライ・エンパイア“SPEAK TO ME”は、真性ジャズ・マニアにも絶対聴いていただきたい、黒い煙漂う激渋チューン。この辺りの展開は、麻薬的と言っていい魅力と吸引力を持っているはずだ。ジャズ・リベレイターズ〜ホーカス・ポーカスに続く新星と期待されるモアーのフレンチ・メロウ・ジャム“LES MOTS”のヴィブラフォンは、その余韻と火照りを穏やかに鎮めてくれるだろう。今回も収録時間はたっぷり79分59秒、存分に楽しんでください!

CARLOS NINO & MIGUEL ATWOOD-FERGUSON / SUITE FOR MA DUKES 
J. PERIOD / Q-TIP THE[ABSTRACT]BEST VOL.1
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


『MELLOW BEATS, SUNSHINE & TWILIGHT』は当初、カルロス・ニーニョ率いるビルド・アン・アークの素晴らしい新曲“THIS PRAYER FOR THE WHOLE WORLD”を1曲目にエクスクルーシヴ収録させていただき、タイトルも『MELLOW BEATS, PEACE & DREAMS』とできればと考えていたが、残念ながら時間切れで、契約が間に合わず実現しなかった。そこでその代わりに、カルロス・ニーニョの近作として、あまりにも尊い、胸を締めつけられずにいられない一枚を紹介する。僕はこのところ毎晩、眠りにつく前に静かにこの盤に耳を傾けている。
それは、今は亡きJ・ディラの32回目の誕生日を祝うというコンセプトから生まれた『SUITE FOR MA DUKES』。“MA DUKES”とはディラと同じ血栓性血小板減少性紫斑病に苦しむ彼の母親のことで、今年2月に彼女のためにカルロス・ニーニョがプロデュース、ミゲル・アットウッド・ファーガソンの指揮とアレンジによりロサンゼルスで行われ、とても感動的だったというコンサートのCD版。B+によるジャケット写真も物哀しさを誘い、ハープやヴァイオリンやフルートを含む室内楽アンサンブルの組曲に、という趣向も秀逸。目を閉じて聴いていると、ひっそりとした丘に、深い森に、遠い海に、誰に知られることもなく密やかに降り続ける雨のことを思ってしまう。静粛で厳かな鎮魂の調べ。ディラへのレクイエムに相応しい響きだ。
曲目は、ディラがウマー名義で制作したトライブ・コールド・クエストの最終作『THE LOVE MOVEMENT』のリード・シングルだった“FIND A WAY”、カルロス・ニーニョが手がけたドゥワイト・トリブル&ザ・ライフ・フォース・トリオの“ANTIQUITY”(コモン“AQUARIUS”の改作)とディラ在籍時のスラム・ヴィレッジの人気作にして名曲“FALL IN LOVE”という、『JAZZ SUPREME ~ MAIDEN BLUE VOYAGE』に収めたロバート・グラスパー“J DILLALUDE”でも印象的に奏でられた名旋律、そしてソウルクエリアンズとして参加したコモン屈指の名盤『LIKE WATER FOR CHOCOLATE』の“香”を意味する瞑想的な名トラック“NAG CHAMPA”。ディスクガイド「エッセンシャル・メロウ・ビーツ」へのカルロス・ニーニョの寄稿文を初めて目にしたときの感激がよみがえる好セレクトだ。僕は彼のヒップホップ観(そしてジャズ観)に心から共鳴している。これは個人的にビルド・アン・アークのファースト『PEACE WITH EVERY STEP』に匹敵する、思い入れ深い作品になるだろう。数多く出たディラのトリビュート盤の中でも、最も心を打たれる。
最後にもうひとつ、ニューヨークから届いたJ.ピリオドによるQ・ティップへのトリビュート・ミックスCDも現在へヴィー・ローテイションであることを付け加えておこう。何と全48トラック、あの曲もこの曲も入っていて、ヒップホップ文化の黄金時代の記録として、これ以上のモニュメントはないかもしれない、とさえ思う。そしてヒップホップもまた、やがてロックやジャズのように死んでいくのだろうかと考える。
追記:僕もこの機会に、自分なりの思いを込めて、J・ディラを追悼するスペシャルCD-R『MELLOW BEATS TRIBUTE TO J DILLA』を作ってみようと思い立ちました。僕にとって彼の真髄は、どれほど進歩的でも必ず人肌の温もりを宿したビートと、その音楽への飽くなき情熱。彼の名前を胸に刻むきっかけになったファーサイド“RUNNIN'”(スタン・ゲッツ&ルイス・ボンファをループしたボサノヴァとヒップホップの出会いの記念碑)やデ・ラ・ソウル“STAKES IS HIGH”(あのアーマッド・ジャマルの3小説ループの衝撃)はもちろん、ボビー・コールドウェルの引用が耳に残るコモン“THE LIGHT”やステレオラブ使いで話題を呼んだバスタ・ライムス“SHOW ME WHAT YOU GOT”、エリカ・バドゥやルーツ、ビラルにアンプ・フィドラーにスティーヴ・スペイセックまでのプロデュース曲(ソロとスラム・ヴィレッジのファーストやJ-88“THE LOOK OF LOVE”、彼を見出したQ・ティップ&トライブ・コールド・クエストは言うまでもありません)、ブラン・ニュー・ヘヴィーズやジャネットやブラック・スターなどのリミックス曲、さらに彼と激しく共振する他のアーティストの才気に富んだ先鋭的なトラック(エイフェックス・ツインの「THE WAXEN PITH」とかね)まで集めてみようと思っていますので、お楽しみに!

2009年6月上旬

橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


アプレミディ・レコーズ第2弾は、女性ヴォーカルでめぐる世界サマー・ソング紀行、という趣きの一枚。瑞々しさと美しさと切なさ。“輝き”を大切にした選曲方針は変わらない。忘れられない思い出と共によみがえる音楽。新しい物語が生まれるような音楽。音楽は清々しい、と心から感じてもらえるはず。
スティーヴィー・ワンダーの“BIRD OF BEAUTY”“SUMMER SOFT”、アメリカの“VENTURA HIGHWAY”、バート・バカラックの“CLOSE TO YOU”、トニーニョ・オルタの“AQUI O”、クリストファー・クロスの“SAILING”、ロバータ・フラック/マリーナ・ショウの“FEEL LIKE MAKING LOVE”といった人気曲の素晴らしいカヴァー・ヴァージョンを、今回も数多く収録している。前作同様、穏やかな叙情的な幕開きから、ゆっくりと幸福に向かって心が動き出すように色彩感とリズム感を増していくオープニングにもこだわった。パトリシア・バーバー“EARLY AUTUMN”〜バーバラ・ライモンディ“SHAKER SONG”〜セシリー・ノービー“GENTLE ON MY MIND”〜ヘレン・サッシュ&レックス・ジャスパー“SOON IT'S GONNA RAIN”(クープ“SUMMER SUN”ネタ!)という展開で沸き上がる多幸感の広がりには、これ以上の至福はない、とさえ思う。前作の冒頭3曲の胸躍る感じを思い出す方も多いだろう。
ミナスの風を感じさせる、情景が浮かぶような曲が多いのも今作の特徴だろうか。トニーニョ・オルタのカヴァーとトム・レリス&トニーニョの共演の連なり、そして、この春のアプレミディ・グラン・クリュでの生演奏がかけがえのない思い出になったヘナート・モタ&パトリシア・ロバートに参加してもらえたことも、僕にとってはちょっとしたメモワールだ。
このテイストでこれより素晴らしいコンピレイションは作れるわけがない、とさえ思った前作を作り終えて改めて感じた、少しでも多くの人たちに聴いてもらいたいという気持ちも、今回のセレクションに反映されているだろう。アコースティックでメロディアスな音楽性はそのままに、フリー・ソウル〜クラブ・ジャズ〜クロスオーヴァーといったクラブ系リスナーにも親しみやすいグルーヴ感やスウィング感に富んだアーティストが顔を揃えている。ロマン・アンドレン/クララ・ヒル×マーク・マック/エイドリアナ・エヴァンス/ホセ・パディーヤ……どれも正真正銘の名曲ばかりだ。
とりわけバー・サンバ“SO TIRED OF WAITING”の黄昏アコースティック・チルアウト・ミックスは絶品中の絶品で、ここからのエンディングへの流れは特に気に入っている。夕暮れ感と夏の終わり感。新しい季節を迎えた嬉しさを表現した爽やかな前半に対し、後半へ進むにつれて過ぎゆく季節を惜しむような感傷的な風景を映し出せればと考えた。それは旅の始まりの高揚する気分と、楽しかった旅が終わりにさしかかるときの言葉にできない感情、と言い換えてもいいだろう。チェット・ベイカーの残像がよぎるラストのホドリゴ・ホドリゲス“MOONLIGHT IN VERMONT”には、すべてが過ぎ去った後の、優しい寂寥感のようなものを託した。
ジャケット・デザインの美しい日本の伝統色は、『春から夏へ』の“萌黄”に代わり“露草”に、季節の星座は“コップ座”から“こと座”になった。図柄の中央には天の川が流れている。空高く住んでいる僕は、星降る夏の夜、ひどく天の川に惹かれてしまうのだ。織姫と彦星。ロミオとジュリエット。スタークロスト・ラヴァーズ。
最後に、僕としては大自信作だった前作について書かれた文章で、いちばん胸を疼かされたフレーズをここに引用する。それは(案の上、と言うべきか)アプレミディ・セレソン武田によって書かれたものだった。
世界のいろいろな場所では、まだまだ知らない素晴らしい音楽が存在し、日々新しい歌が生まれ続けている。「usen for Cafe Apres-midi」のチャンネルに耳を傾ければ、今日もまた、そんな知らない世界の街のどこかで、誰かが古いレコードの中の美しい曲に心ときめかせ、誰かが素敵なメロディーやハーモニーを紡ぎだしているんだと想像が膨らみ、なんだかとても幸せな気分に包まれます。
届いたばかりの新しいコンピレイションを聴きながら、僕も今、全く同じようなことを考えていました。それともうひとつ、友人の吉本宏が教えてくれた、神戸ディスク・デシネ(祝ジョルジオ・トゥマ日本盤化!)の橋田純さんのブログにとても感激し、勇気づけられたことも付け加えておきます。普段は独りレコードを聴く毎日の僕ですが、久々に音楽の素晴らしさを分かち合う歓びを感じることができて、フリー・ソウルやカフェ・アプレミディのコンピを始めた頃の軽やかな風に吹かれたような気がしました。どうもありがとう。今回も、パトリシア・バーバー“EARLY AUTUMN”やセシリー・ノービー“GENTLE ON MY MIND”なんか、きっと気に入ってもらえるんじゃないかな。大事なものと大事じゃないものが少しずつ見えてくるような(by 西寺郷太)、そんな気がする今日この頃です。
※HMVのウェブサイトには、橋本徹による『音楽のある風景〜夏から秋へ〜』と『音楽のある風景〜春から夏へ〜』の全曲解説とアプレミディ・レコーズについてのインタヴューが掲載されています。ぜひご覧ください!

FINK / SORT OF REVOLUTION
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


個人的には今年上半期のNo.1アルバムかもしれない傑作。とても地味な一枚なので、誰にでもお薦めするというわけではないが、独り暮らしの男には強く推薦する。前回紹介したカルロス・ニーニョ&ミゲル・アットウッド・ファーガソンと共に、このところ最もよく聴いているCDで、人生に疲れたとき飲みたくなる一杯の酒のように、じんわりと沁みてくる。
それは夢遊病者の点描画のような、憂いを帯びた黙示録のような音楽だ。心の奥底で琴線に触れるブルースとメランコリー。つぶやくような歌と印象的な言葉、淡々としたギターはモノローグのようであり、未来のロード・ムーヴィーの音楽のようであり、華やかな経歴を持つ男が独り静かに人生の機微を見つめているような佇まいで響く。
そう、フィンクという男の歩みを振り返るとき、そこに真摯なミュージシャンシップ、というようなものを強く感じずにはいられない。マーティン・テイラーやエイミー・ワインハウスのプロデュース、坂本龍一やニティン・ソーニーのリミックスなどで、最先端のエレクトロニクスを駆使したサウンド・クリエイターとしてこれ以上ない名声を博した彼が、ニンジャ・チューンから突然アコースティック・ギター1本を抱えて再出発して今作で3枚目。つくづく「信用できる」アーティストだな、と感じる。
一聴してホセ・ゴンザレス(やミア・ドイ・トッド)、あるいはボブ・ディランからベン・ワットまでを思い浮かべる方もいるかもしれないが、研ぎ澄まされたリズム・センスによるダビーな音像と立体的で乾いたビートが醸し出すブルージーでメランコリックなアンビエンスは、他の誰でもないフィンクならではだ。1曲目のタイトル・チューンから言葉を失くすほど素晴らしい。儚い浮遊感、叙情的でありながらセンティメントに流されない凛とした強さが胸を打つ。続く“MOVE ON ME”はジョン・レジェンドが奏でる美しいピアノが夢幻の響きのように波紋を広げ、静かに心の扉をノックするように曲は終わる。“NOTHING IS EVER FINISHED”はエレクトロニカ世代のディランのようであり、“SEE IT ALL”は骨太なヴィニ・ライリー(ドゥルッティ・コラム)のようであり、ディアンジェロにインスパイアされたという“Q & A”はクールなハンドクラップと神秘的なピアノに音霊が宿る。パーカッシヴなギターに始まる“IF I HAD A MILLION”はやはりホセ・ゴンザレスを彷佛とさせ、一刻も早く彼のライヴ・ステージを間近で観てみたいという気持ちを募らせる。ラストは70年代のジェフ・バリーの名曲“WALKIN' IN THE SUN”の潔いようなカヴァー。ディアンジェロからトミー・ゲレロまでを愛する貴方なら、惹きつけられないはずはない。
ダビーなフォーク・ソングやメランコリックなダウンテンポのブルース。夢と現実の境界線で鳴るようなこうした音楽を、朝までぐっすり眠れることのない僕は、夜中にふと目を覚まして、もう一度眠りにつこうというときに、必ず聴く。夢のつづきを見るように。
もう少し外が明るくなりかけている時間なら、今はテリー・キャリアーの新作の4曲目“THE HOOD I LEFT BEHIND”に耳を傾ける。故郷シカゴへの思いを歌った真に感動的な名唱だが、歌詞にも綴られたカーティス・メイフィールドのことはもちろん、最近はどうしてもケニー・ランキンの姿がフラッシュバックする。音楽を聴いて涙が零れそうになるのはこういうときだ。
追記:目を覚まして午前8時をすぎているときには、ダイアン・バーチの“NOTHING BUT A MIRACLE”という曲をよく聴いています。久しぶりに気に入っている新人の女性シンガー・ソングライター。窓の外には小学生の声が聞こえる。そろそろ起きなきゃ、新しい一日が始まるのだから。そんな気分に相応しいデビュー・アルバムです。

2009年6月下旬

TUTU PUOANE / SONG
SATHIMA BEA BENJAMIN / DEDICATIONS
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


最高に洒落た、そしてたおやかに心に染み込むジャズ・ヴォーカル。オープニングのボブ・ドロウのカヴァーから一気に引き込まれました。彼女はサティマ・ビー・ベンジャミンの再来か。あるいはノーマ・ウィンストンやジョニ・ミッチェルをまろやかにした感じ? 歌声、楽曲、演奏アレンジ、そのすべてに感激です!
というのが、このトゥトゥ・プワネのファースト・アルバム『SONG』の日本盤CD化にあたり、僕が寄せたステッカー・コメント。初めて聴いたときの素直な感想をそのままシンプルに綴ったものだが、それから何度となく繰り返し聴いた今も、その好印象は変わらぬばかりか強まる一方だ。「usen for Cafe Apres-midi」でも超ヘヴィー・ローテイションしている。
南アフリカ出身で現在はベルギーのアントワープを拠点にブリュッセル・ジャズ・オーケストラでも活躍しているトゥトゥ・プワネは、マーク・マーフィーやジョージィ・フェイム、ロイ・ハーグローヴらとも共演経験があり、ビリー・ホリデイやサラ・ヴォーンを愛する黒い肌の女性ジャズ・シンガー。ただしライナーで渡辺亨氏も指摘しているように、濃密な歌声やブルージーなフィーリングで魅了するタイプではなく、そのヴォーカルは軽やかで、爽やかで、可憐さを宿し、ニナ・シモンやディー・ディー・ブリッジウォーターと同じスピリットを持ちながら、その味わいは端麗な日本酒のよう、とも表現できる(蛇足ながら付け加えると、先頃のジョー・バルビエリしかり、僕が推薦文を書き、渡辺さんがライナーを寄稿しているCDは、どれも内容を信用してもらって構わない)。
個人的には聴き込むにつれて、一聴して心弾ませ、たびたびDJプレイしてきたスウィンギーなボブ・ドロウのカヴァー“JUST ABOUT EVERYTHING”以上に、やはり「たおやか」と形容したい歌とピアノに魅せられる2曲のスタンダード・ナンバー“THAT'S ALL”と“YOU ARE MY SUNSHINE”の輝きが増している。そして南アフリカの情景が浮かぶリズムとコーラスが素晴らしい“MANGO PICKER”も。いずれも同郷のサティマ・ビー・ベンジャミンのメロウ&スピリチュアルな名作“MUSIC”や“AFRICA”を僕には彷佛とさせる(サティマはダラー・ブランドの妻だが、トゥトゥの夫もこのアルバムを確かな腕とセンスで支えている名ジャズ・ピアニストだ)。トゥトゥがフェイヴァリット・アーティストのひとりに挙げている、同じく南アフリカ出身で“WHAT'S WRONG WITH GROOVIN'”が人気のレッタ・ムブールの名を引き合いに出したくなる方もいるだろう。
また、どことなくフェアリーかつクールな雰囲気が漂う英国ジャズの妖精ノーマ・ウィンストンが歌詞をつけた表題曲や、敬愛するジョニ・ミッチェルの名盤『BLUE』からの“A CASE OF YOU”も、しなやかな思慮深さがうかがえる彼女らしいレパートリーだ。メロディー・ガルドーの最良の瞬間にも優るようなフォーキー&ジャジーなバラード“FOR THE TIME BEING”では、ベルギーを代表するトランぺッター、ベルト・ヨリスの滋味深いプレイも聴き逃せない。日本盤ボーナス・トラックとして収録されたライヴ録音2曲も、彼女のさりげない個性を過不足なくフレッシュに伝えてくれて嬉しい。とにかく声が好きで曲が良くて演奏アレンジが適切、という僕には女性ジャズ・ヴォーカルの鏡のような大推薦盤。僕にとっての一生の愛聴盤、サティマ・ビー・ベンジャミンの『DEDICATIONS』と一緒にぜひどうぞ。

MEANDERTHALS / DESIRE LINES
V.A. / CAFE APRES-MIDI FILE ~ EVERLASTING SUMMERDAYS, ENDLESS SUMMERNIGHTS
THE LAST ELECTRO-ACOUSTIC SPACE JAZZ & PERCUSSION ENSEMBLE / SUMMER SUITE
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


セカンド・サマー・オブ・ラヴから20年、この夏の暑さを和らげてくれそうなチルアウト盤三題。DJハーヴィーと並ぶ90年代以降のUKニュー・ハウスの立役者イジャット・ボーイズと、リンドストロームとの共作やホセ・ゴンザレスのリミックスなどでも知られるノルウェイ・ディスコの要人リューネ・リンドバークによるバンド・ユニット、メンダーサルズの話題の一枚『DESIRE LINES』は、ジャケットの印象そのままの爽やかな透明感に貫かれた、コズミック&サイケデリックな意匠とダビーなトリートメントが施されたアンビエント・ダウンテンポ集。クワイエット・ヴィレッジやマップ・オブ・アフリカへの回答とも評される、生演奏のエディットやエフェクト処理の美しさ、ヨーロッパ的なバレアリック感覚は言うまでもないが、特筆すべきはその「ネオアコ的」と言ってもいい清涼なセンス。夢の国へのドライヴのような楽園トラック“KUNST OR ARS”による幕開きから、アコースティック・ギターやスティール・パンの音色が遠い夏の思い出のように輝く。
続くタイトル・チューンは、往時のドゥルッティ・コラムを思わせる儚く繊細なギターの美しい旋律に、心地よくパーカッションが絡んでいく。コラボレイションのきっかけになったという彼ららしいネイミングの“ANDROMEDA (PRELUDE TO THE FUTURE)”は、DJでかけるならこれかな、という感じのタイトで幻想的な一曲だが、クラブ・プレイということを抜きにすれば、スティール・パンのイントロに始まる次の“1-800-288-SLAM”が個人的にはベスト・トラックか。白昼夢のようなレイドバック・ダブ・トリップ、柔らかな光のシャワーと音の波、そんなイメージ。ラヴェルやサティを思わせるピアノが古い映画の中のオルゴールのように琴線に触れてくる“BUGGES ROOM”は、夕暮れどきや朝方に聴いていると涙が出そうになる。
メンダーサルズを聴いていると、自然に手が伸びてしまうCDが、昨年選曲させていただいたファイルレコード20周年記念コンピレイション『CAFE APRES-MIDI FILE ~ EVERLASTING SUMMERDAYS, ENDLESS SUMMERNIGHTS』だ。去年の夏は掛け値なしに100回以上はリピートしたが、今年は何度聴くことになるのだろう。日本が世界に誇れる永久保存級の名作ばかりを収めているが、chari chariやナチュラル・カラミティはもちろん、藤原ヒロシ+川辺ヒロシやサイレント・ポエツのチルアウト・メロウなナンバーは、メンダーサルズの音楽とある種の恍惚を伴って共振するものだ。
そしてもう一枚、マッドリブの生演奏プロジェクト、“ザ・ラスト・エレクトロ・アコースティック・スペース・ジャズ&パーカッション・アンサンブル”名義による、その名も『SUMMER SUITE』。本来はイエスタデイズ・ニュー・クインテットの2007年作『YESTERDAYS UNIVERSE』(傑作!)リリース時にファンクラブ向けに作られたもので、このたびめでたく再プレス。リューネ・リンドバークの「このアルバムは何というかカリフォルニア的な、太平洋岸を走るハイウェイのようなものであるべきだ」という発言にもかかわらず、ヨーロッパならではの美意識が香るメンダーサルズに対し、こちらは正真正銘アメリカ西海岸の風を感じさせる、トミー・ゲレロの新譜に先駆けたようなアコースティック&パーカッシヴな40分の夏組曲。ヴァイブやフルートをフィーチャーしたヒップで涼しげなチルアウト・アンサンブル。ジャズとソウルとラテンとブラジリアンと。とりわけフリー・ソウル・ファンにはダニー・ハサウェイ/コールド・ブラッドでお馴染み“VARDEZ IN THE COUNTRY”のエキゾティックな演奏は出色で、“SUMMER MADNESS”なメロウ・エンディングまで、マッドリブは何をやってもマッドリブだなあ、とそのクールな冴えっぷりに改めて感心。彼がやはりシャープな感性と知性の持ち主であることを実感しています。
monthly recommend - -
橋本徹の推薦盤(2009年7月上旬〜2009年10月上旬)
2009年7月上旬

MAXWELL / BLACK SUMMERS' NIGHT
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


2009年、楽しみにしていた復活作Top 3と言えば、マックスウェル/ディアンジェロ/シャーデーという感じだが、その先陣を切って、8年ぶりとなるマックスウェルのニュー・アルバムが到着。そのニュースを知った日、僕はさっそく、かつて彼の担当ディレクターだったソニー・ミュージックの芦澤紀子さんに電話をかけ、音を手配してもらった。僕は彼女の情熱的な協力・尽力で、タワーレコードのフリー・マガジン「bounce」の編集長を務めていた1998年、『EMBRYA』の発売タイミングで彼の素晴らしい表紙&インタヴュー特集を作ることができた。懐かしさに誘われて、その夜はマックスウェルの旧作を順に聴きながら、当時の「bounce」のバック・ナンバーを何冊も読みふけった。誌面も自分自身もとても充実していた幸福な時代だったと思う。
思えばデビュー作『URBAN HANG SUITE』は、僕が最初に「bounce」を手がけた1996年4月のリリースだった。彼やディアンジェロの活躍によって、クリエイティヴにオリジナリティーを求めるミュージシャンたちは大きな希望と勇気を与えられ、“ソウル・ルネッサンス”の動きは加速し、僕らはそのスタイルとスピリットを支持し続けた。新人アーティストとしては異例の抜擢だった翌年の『MTV UNPLUGGED』では、ケイト・ブッシュ“THIS WOMAN'S WORK”の神秘的なカヴァーも忘れられない。ジャジー&アーバンなファーストに引き続きシャーデーとのコラボレイションが実現し、愛とスピリチュアリティーをテーマにした『EMBRYA』は、エリカ・バドゥの世紀の名盤『BADUIZM』とグラミー賞最優秀R&Bアルバムを競った。ソウル・ミュージックが1970年代前半以来の輝きを取り戻した佳き時代だった。
そして数日後に我が家に届けられた待望の新作。僕などは1曲目冒頭のファルセット・ヴォイスだけで胸が熱くなってしまう。全体としては、よりシンプルでダイレクトで、アフロ・へアを切ったジャケットのポートレイトに象徴されるような、清々しい聴後感。初の全米No.1ヒットとなった前作『NOW』を発表した2001年以降、ピュアな作品制作のために自らの成功によって築いた環境から離れる必要があると感じた彼は、もう一度純粋な経験で音楽と向かい合いたいという思いから自分自身のために時間を使っていたというが、そんなニューヨークに生まれ育った等身大の黒人シンガー・ソングライターの素直な気持ちが、ライヴ感あふれる10ピースのバンド録音に結実している。
一方で、あの密室的な官能性や妄想性、マーヴィン・ゲイ〜レオン・ウェア(マックスウェルは彼とも以前コラボレイトしている)的な『I WANT YOU』感からは遠のいた印象を受けるかもしれないが、一聴して惹きつけられた“HELP SOMEBODY”や“COLD”を耳にして、僕がまず思い浮かべたのは、やはりマーヴィン・ゲイだった。オルガンやホーンの効いたアンサンブルから、アル・グリーンとハイ・サウンドを思い浮かべる方も多いことだろう(マックスウェルのカムバックのきっかけになった1年前のBETアワードでのアル・グリーン“SIMPLY BEAUTIFUL”のカヴァーは、全米のソウル・ミュージック・ファンの間で2008年最高のパフォーマンスと絶賛されているという)。こうした音楽性の変化は、共同作業のパートナーがスチュアート・マシューマンからホッド・デヴィッドに代わった影響も大きいはずだ。カーティス・メイフィールドのようなアコースティック・ギターに寄り添うように歌われる“PLAYFUL POSSUM”は、慈愛と優しさが滲む、まさに“シンプリー・ビューティフル”なバラード。そして胸のすくようなラヴ・ソング“LOVE YOU”を聴いていて僕が思い出すのは、例えばプリンスのファースト・アルバム『FOR YOU』。あの“青さ”、奔放でソウルフルな天才のフレッシュネスが、ここにも瑞々しい滝の流れのようにほとばしっている。
ある意味では、今の(バラク・オバマ登場以降の)ニューヨーク感、アフロ・アメリカンの心情が、個人的な感情表現の中に自然に反映されたアルバムとも言えるかもしれない。それがこの作品の潔さ、力強さにつながっていて好ましい。初めて“アンプラグド”を聴いた12年前から思っていることだが、どうにか日本でのライヴを実現することはできないのかなあ。
追記:マックスウェルの来日は決まりませんが、この夏はソウル・ミュージックを愛する日本の音楽ファンにはたまらない日々が続きそうです。「ブルーノート東京」でのラファエル・サディークの圧巻のソウル・レヴューの熱気がまだ冷めやらずという感じですが、レオン・ウェアそしてメイズという、マックスウェルやマーヴィン・ゲイが好きなら絶対に観逃せないはずの、とっておきのソウル・レジェンドのステージが、丸の内の「Cotton Club」で決定しています。さらにイギリスからは、スタイル・カウンシルと共に80年代UKソウルを牽引したドクター・ロバート率いるブロウ・モンキーズや、昨年のベン・シドランとの公演もご機嫌だったモッド・ヒーローのジョージィ・フェイムも。詳しい日程などは「Cotton Club」(03-3215-1555)にぜひ問い合わせてみてください。
そういえば、六本木・東京ミッドタウンの「Billboard Live」でのマリーナ・ショウのライヴももうすぐですね。今回はチャック・レイニーやデヴィッド・T・ウォーカーなど、あの名作『WHO IS THIS BITCH, ANYWAY?』を支えた面々がバックを固めるそうなので、ジャジー&メロウな夏の夜をいっそう楽しみにしています。その翌週にはベイビーフェイスもやってくることですし、東京の音楽シーンを何とか“チェンジ・ザ・ワールド”していきたいものですね。

BABADU / BABADU! 
V.A. / FREE SOUL 〜 FLIGHT TO HAWAII
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


心地よく髪をなびかせる潮風の香りに包まれ、ゆるやかな波のうねりに身をゆだねる。きらめく海面に照り返されて乱反射する光の筋が虹のように弧を描く。そんな風景をさりげなく切り取った夏のスケッチのようなカーク・トンプソン制作の一枚。ビリー・カウイに捧げられた“WORDS TO A SONG”、レムリアのカヴァー“ALL I'VE GOT TO GIVE”。椰子の葉を揺らすメジャー・セヴンスのマジック。
「Suburbia Suite; Evergreen Review」に掲載した、ハワイ・オアフ島のシンガー・ソングライター、ババドゥの1979年のアルバム『BABADU!』の紹介文だ。マッキー・フェアリーと共に初期カラパナを支えたカーク・トンプソンによるプロデュース。パーカッションは『CURTIS/LIVE!』からプーチョ&ザ・ラテン・ソウル・ブラザーズまで、20年前の僕は彼のクレジットを頼りに好きなレコードを探していたマスター・ヘンリー・ギブソン。あの夕陽に染まり黄金色に輝く波しぶきを写したレムリアの名盤と同様の布陣だ。ピアノのキット・エバースバック(と読むのかな?)は、甘く爽やかで軽やかな“COUNTRYSIDE BEAUTY”で人気を呼んだ、あのテンダー・リーフのプロデューサーでもある。
フルートが快いオープニングの“WE'RE NOT TO BLAME”から、美しい砂浜で大きな波を眺めながらハワイアン・ブリーズに吹かれるようだ。弾むような珠玉のメロウ・グルーヴ“WORDS TO A SONG”は、メンバー全員がドラッグで亡くなったというハワイの愛すべき切ないグループ、カントリー・コンフォートのビリー・カウイに捧げられている。続く“LOST IN A DREAM OF LOVE”ではソウル・ミュージックやオールディーズ・ポップス、“FORGET LEAVING”ではボサノヴァやサンバへの無邪気な憧憬が微笑ましい。ラストに置かれた“ALL I'VE GOT TO GIVE”は、その瑞々しい曲調やミディアムのグルーヴ感の相似から、僕には大貫妙子さんの“都会”と並べてDJプレイした12年くらい前の思い出が甘酸っぱい。そういえば“WORDS TO A SONG”はその頃、ハワイのパラダイス・プロダクションから発表されたロイヤル・ガーナーの高揚感あふれる“DESTINY”に続けてよくかけていた。
さて、ババドゥを推薦するなら、それ以上にこちらも推薦しなければならないのが『FREE SOUL 〜 FLIGHT TO HAWAII』。6年前に自分が選曲したコンピレイションなので恐縮ながら、“WORDS TO A SONG”“ALL I'VE GOT TO GIVE”クラス(というか断然それ以上ですね)のハワイ産の甘やかでグルーヴィーなAOR×ソウルの名作が全22曲たっぷりと詰まっていて、潮風がメロウな音の波を優しく包み込むような、初めてなのに懐かしい、そんな感覚に惹かれる僕は、夏が訪れるたびに思い出したように聴いている。先ほどマッキー・フェアリー・バンド(星屑のように瞬くホノルルの夜景が美しい)のCD化に際して自分が書いたライナーを久しぶりに読み返していて、思いがけなくこのCDのセレクションを手がけたときの気持ちがよみがえる文章に遭遇した。
思いつくままに頭に浮かべるだけで甘酸っぱい気分に駆られる夢中で耳にしたレコード。マッキー・フェアリーが在籍したカラパナの最初の2枚。カーク・トンプソンが立ち上げたレムリアと、やはり彼が制作しビリー・カウイに捧げられた“WORDS TO A SONG”やレムリアとの競作“ALL I'VE GOT TO GIVE”が素晴らしいババドゥ。ルイやテンダー・リーフの胸がキュンとするようなアコースティックなロコAOR。ハワイでコーヒーハウスをやっていたMFQのサイラス・ファーヤーがプロデュースしたカントリー・コンフォートやホーム・グロウナーたちの編集盤。セシリオ&カポノ、シーウィンドといったメインランドでも活躍したグループ。レイ・グーリアックやリチャード・ナットなどのシンガー・ソングライター。スウィートなソサエティー・オブ・セヴンに、若さあふれるサマーやクラッシュやノース・ショア・アピール。そしてマッキー・フェアリーの極めつけの名曲“YOU'RE YOUNG”を彼とそのバンドをバックにカヴァーした桑名晴子……。
というような感じですが、いかがでしょうか。それでは皆さん、メロウ&ブリージンなアイランド・ミュージックで、素敵な夏を!
追記:ちなみにババドゥをCD化したのは、日本を代表する再発レーベル、セレストですが、次は(来年こそは)何としてもルイの復刻を実現してほしいものです。この15年ほど、セレストを始め幾多のレーベルから相次いで陽の目を見てきたサバービア掲載アイテムの中でも、これは最後に残された秘宝、と言っても過言ではない素晴らしさなのですから(ハワイに限らなければ、デブラ・ジョイスのホワイト・ジャジー・ソウルなども乞う復刻、ですが)。音のトレジャー・アイランドでもあるハワイ指折りの至宝に、「Suburbia Suite; Evergreen Review」で僕は、こんな讃辞を捧げています。
どこまでも澄みきった水色に輝く空と海。真っ白に広がる砂浜。風の匂いや波のささやきが甘やかな瞬間を封じ込めた、旅先からの絵葉書のようなアルバム。まろやかに語りかける歌声と柔らかく溶け合うアコースティック楽器の温もり。“MY LOVER”“OH, OH”はときめくような、切なさに胸を締めつけられるような名曲。すべてがピュアでロマンティックで美しい。

2009年7月下旬

FREE SOUL MOE ~ MELLOW LOVERS' TWILIGHT AMOUR
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


今年2月にリリースされた『FREE SOUL MOOMIN ~ MELLOW LOVERS' MOONLIGHT DANCEHALL』にはいろいろな方から「良かったですよ」という声をいただき(とは言っても男からの支持が圧倒的でしたが)、ひどく嬉しかったのだが、中でも「感動しました」というメッセージと共に自らが手がけてきたアーティストの音源をまとめて送ってくださったポニーキャニオンの村多ディレクターの言葉には、意気に感じずにはいられなかった。そうしたあれこれをきっかけに今回実現に至ったのが、日本の女性シンガーのフリー・ソウル・コレクションとしてはMONDAY満ちる/birdに続く3作目となる『FREE SOUL MOE ~ MELLOW LOVERS' TWILIGHT AMOUR』。10年ほど前のいわゆるディーヴァ・ブーム時からどこか異彩を放つ伸びやかな個性を振りまいていた嶋野百恵のメロウ&グルーヴィーな傑作選だ。僕が村多さんの意志に応えるべく、誠心誠意真剣に、選曲に取り組んだことは言うまでもない。恋愛至上主義な彼女のキャラクターに、ムーミンの姉妹編という意識も反映させたタイトルも、とても気に入っている(“モエ”というのもシャンパンみたいで良いでしょ?)。
しかもオープニングを飾るのは、アルバムのメロウなトーンを決定づける水先案内役として、リード曲はこれしかないでしょ、とニュー・レコーディングを敢行した吉田美奈子の“恋は流星”のとろけるような浮遊感あふれるカヴァー。アプレミディ・セレソン武田の言葉を借りるなら、「星の瞬く夜空を夢見るように滑り抜けていく、切なく胸を焦がす永遠の名曲」。続いても揺れるようなエレピが印象的な、“baby baby, Service”の大沢伸一によるリミックス。曲が進むにつれてトラックとヴォーカルが官能的なほどの相性を示していく様は、まるで魔法のようと言っていいだろう。遠い夏の記憶がよみがえるようなボサ・ブレイク“ためらいの糸”も、birdなら“Souls”の〈Peach Bossa Mix〉に例えられるような好リミックス。スウィンギーかつタイトなビート、キュートでメランコリックな音像に親密な歌の表情が溶け合う“キイドア”は、DJ FUMIYA(リップスライム)制作の愛すべき逸品。ブラジリアン・ギター&コーラスが駆け抜けていく“最後の蜜”は、ホセ・フェリシアーノ“GOLDEN LADY”やNoa Noaを思わせるようなインコグニート作のサウタージ・チューン。そしてやはりインコグニートの軽快で華やかなミックスが冴える“Hot Glamour”は、アシッド・ジャズ全盛期を彷佛とさせるダンサブルなナンバーで、もし僕がDJでかけていたら、ブラン・ニュー・ヘヴィーズの“YOU ARE THE UNIVERSE”につなげたくなることは間違いない。
ロマンティックなスウィング・ビートのスマッシュ・ヒット“BlackEye”は、風格さえ漂う王道R&B。“Jr. Butterfly”の今井了介による素晴らしくクール&スムースなリミックスからの中盤は、クワイエット・ストーム〜メロウ・ジャム的なしっとりと柔らかな情感に包まれるドリーミーな展開。パトリース・ラッシェン“REMIND ME”をアダプトした“amour after amour”も、90年代後半のR&Bを象徴するようなメロウ・サウンディングの極みだ。“Hot Glamour”でのMUMMY-D、“Next Lounge”でのD.O.I.と、名匠それぞれのビート・センスが色濃く投影されたリミックスも光っている。ひと夏の終わりのような穏やかな甘酸っぱさが余韻のように広がるエンディングの“ヒカリ”まで、僕は先週末、都内をドライヴしながら、夕暮れから夜にかけての情景とこのCDが奇跡的なほどマッチすることを確認したばかりだ。“トワイライト・アムール”という選曲のスタイリングは大正解だったと思う。
思えば僕は、もう10年ちょっと前に、渋谷の「GLORIA」(昼はレゲエのレコード・ショップ、夜はバーに生まれ変わる石川貴教氏がやっていた大好きな店でした)のバー・カウンターで何度か顔を合わせて以来、嶋野百恵と会っていない。彼女は当時、まだデビューしたての初々しさだったが、その後これほどの音楽を作っていたのか、と感慨深さが募る。そしてあの頃の毎晩楽しかった「GLORIA」にタイムスリップしたい、という思いに強く駆られる。「あれから10年以上経って、こんなアルバムができましたよ」と、僕は今すぐ石川さんにこのCDを届けたい気持ちだ。
MUMMY-DとKREVAとKOHEI JAPANによる屈託のないライナー・トークにも明らかなように、フリー・ソウル・シリーズとしては異色とも言える、公園通りより道玄坂、神南より円山町(かな?)という色恋のムードもまた、魅力的に響いてくれたらと願っている。ちなみに、嶋野百恵の歌詞はすべて実話に基づいているそう、ということも最後に付け加えておきましょう。赤裸々なラヴ・ソング、というか僕が正直な感想をひとことで言うなら、かなり“濃い”です。恋愛経験の未熟な僕としては、男女の情のギャップを痛感し、生理的にうろたえるところもありますが、この機会に勉強させてもらいます!

MARVIN GAYE / I WANT YOU [DELUXE EDITION]
LEON WARE / MUSICAL MASSAGE
MAZE / FREE SOUL DRIVE WITH MAZE
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


8/21〜8/23の丸の内「Cotton Club」でのレオン・ウェアの来日公演を祝して何か紹介したいと考えていたのだが、やはり真っ先に挙げるべきは、彼がプロデュース/ソングライティングを手がけたマーヴィン・ゲイの名作『I WANT YOU』だろう。僕にとって間違いなく好きなソウル・アルバムのベストテンに入る一枚で、『FREE SOUL. the classic of MARVIN GAYE』を選曲した際には何とここから7曲もエントリーしたほどだが、ちょうど2枚組デラックス・エディションが紙ジャケットでリリースされたばかりだ。
センシュアリティーの小宇宙とも言えるこの『I WANT YOU』、マーヴィンが17歳下の恋人ジャニス・ハンターに捧げた愛の歌が詰まったオリジナル・アルバムが“メイク・ラヴ”のための音楽の最高峰であることは言うまでもないが(あの吐息はマーヴィン流の彼女の愛し方なのだろう)、デラックス・エディションに追加された17曲も、僕にはどれも興味深く聴き逃せない。
レオン・ウェアがマイケル・ジャクソンに書いたヒット曲“I WANNA BE WHERE YOU ARE”のカヴァーは、原盤では1分強だったのが6分強もあり、“AFTER THE DANCE”〈VOCAL〉と合体したテイクまであって、どちらもDJプレイすると必ず「このヴァージョンは何ですか?」と訊かれたものだ。シンセの代わりにフルートをフィーチャーした“AFTER THE DANCE”〈INSTRUMENTAL〉、サム・クックのようにソウルフルな胸がいっぱいになる名曲“ALL THE WAY AROUND”や“SOON I'LL BE LOVING YOU AGAIN”、ファーサイドのサンプリングが感動的だった“SINCE I HAD YOU”といった完成形は緻密で官能的なメロウ・サウンディングの金字塔という趣きの作品群の、フレッシュで奔放な表情にも惹かれる。やはりメロウ極まりないレオン・ウェアの旋律に甘美なピアノのきらめきとマーヴィンの語りが心地よい“IS ANYBODY THINKING ABOUT THEIR LIVING?”も嬉しいプレゼントだ。同時に、これらを聴くことで、オリジナル盤がレオン・ウェアのリズム・アレンジとコールリッジ・パーキンソンのホーン&ストリングス・アレンジの冴えに加え、マーヴィンの妄想的とも言える私小説性によって特別な魔力を秘めたことも実感できる。アーニー・バーンズによる印象的なカヴァー・デザインがその魔力を劇的に具現化していることも。
マーヴィンが惚れ込んだ“I WANT YOU”(彼は「まるでこの曲は自分で書いたような気がするんだよ」と言っていたという)の作者として、音楽史上に永遠にその名を刻むことになったレオン・ウェアだが(彼もまた「マーヴィンはこの曲をまるで自分で書いたかのように歌っていたね」と述懐している)、彼のオリジナル・アルバムで何がNo.1かと問われたら、大いに悩むソウル・ミュージック愛好家も多いのではないだろうか。本来なら僕がベスト盤やカヴァー曲を集めたソングブックを作っているべきなのだろうが、不思議とこれまでそういう機会はなかった。そんな僕が敢えて一枚だけ推薦するとしたら、やはり『I WANT YOU』と双子の兄弟と言える1976年作『MUSICAL MASSAGE』。ジェイムス・ギャドソン/チャック・レイニー/デヴィッド・T・ウォーカーらミュージシャンの多くも重なる、もうひとつのベッドルーム・マスターピースだ。そしてこのCDもまた、『I WANT YOU』セッションからの5曲のボーナス・トラックが僕には宝物のようだ。
自演版の“I WANNA BE WHERE YOU ARE”が最高なのはもちろん、“COMFORT (A.K.A. COME LIVE WITH ME, ANGEL)”はマーヴィンの名唱に優るとも劣らない感極まるミニー・リパートンとの共演。“LONG TIME NO SEE”は“SINCE I HAD YOU”の原型、“DON'T YOU WANNA COME”は“AFTER THE DANCE”、“YOU ARE THE WAY YOU ARE”は“ALL THE WAY AROUND”のデモなのだ。『FREE SOUL PARADE』に収録した“JOURNEY INTO YOU”やマーヴィンとボビー・ウーマックが参加した“HOLIDAY”といった原盤のナンバーも、“ミスター・メロウネス”の称号に相応しい逸品揃いだ。
自ら“Sexual Minister”(官能修道士)を名乗り、セックスとロマンスこそを宗教(哲学)とする男レオン・ウェアは、他のアルバムの曲やプロデュース作、他アーティストにカヴァーされた曲も傑作が目白押しなので、簡単に触れておこう。まず決定的な一曲と言えば、『FREE SOUL RIVER』に収めた、AORファンからも人気が高いマンハッタン・トランスファーのジャニス・シーゲルとのデュエット“WHY I CAME TO CALIFORNIA”だろう。夕暮れの海辺のロマンティックな情景が浮かぶラヴ・ソングで、やるせなく物憂い哀愁をたたえた彼の作風の真骨頂だ。クインシー・ジョーンズの『BODY HEAT』でミニー・リパートンが歌った“IF I EVER LOSE THIS HEAVEN”も代表曲としていいだろう。マキシン・ナイティンゲイル/ナンシー・ウィルソン/アヴェレイジ・ホワイト・バンド/セルジオ・メンデス/G.C.キャメロン/コーク・エスコヴェードらの好演でフリー・ソウル・コンピの常連となっている、いわゆる“こみ上げ”メロウ・ソウルの名曲だ。
ミニー・リパートンの『ADVENTURES IN PARADISE』で歌われた“INSIDE MY LOVE”“FEELIN' THAT YOUR FEELIN'S RIGHT”“BABY, THIS LOVE I HAVE”(トライブ・コールド・クエストによるサンプリングも忘れられない)も、どれも胸を焦がされる名作。狂おしいほどに切ない歌の数々を、ぜひ『FREE SOUL. the classic of MINNIE RIPERTON』で聴いてみてほしい。“I WANNA BE WHERE YOU ARE”は、マイケル/マーヴィン/レオン自身はもちろん、9/16発売予定の『MELLOW VOICES 〜 BEAUTIFULLY HUMAN EDITION』に入るカーリーン・アンダーソン&ポール・ウェラー、『FREE SOUL AVENUE』で聴けるズレーマやホセ・フェシリアーノの哀感こみ上げる歌でも堪能すべきだ。
フリー・ソウル文脈ではさらに、シリータやメリサ・マンチェスター、さらにララ・セント・ポールあたりの70年代後半のプロデュース・ワークも見落とせない。マリーナ・ショウ“SWEET BEGINNINGS”やマイケル・ワイコフ“LOOKING UP TO YOU”(『FREE SOUL AVENUE』所収で、ジャネイ“HEY, MR. DJ”でお馴染み)も彼ならではのメロウ・マジックが冴えている。80年代前半以降はマルコス・ヴァーリとの交流に端を発するブラジリアン・フレイヴァーが心地よく、90年代に向けてルース・エンズ/ミーシャ・パリス/オマー/カメール・ハインズらUKソウル勢との好コラボレイションが増えていく。そして忘れてはいけないのが、マックスウェルのファースト・アルバムでの“SUMTHIN' SUMTHIN'”の共作。2002年の来日ステージではオープニングでこの曲を自ら歌い、ダニー・ハサウェイが名盤『EXTENSION OF A MAN』で歌ったレオン作の重要曲“I KNOW IT'S YOU”も披露してくれた。マルコス・ヴァーリと書いた人気曲“ROCKIN' YOU ETERNALLY”のカヴァーに参加を請われたジャザノヴァの最新作での活躍も、記憶に新しいところだ。
レオン・ウェアに続いて日本にやってきて、やはり丸の内「Cotton Club」で9/22〜9/26にライヴを行うメイズについても、引き続き強く推薦しようと思っていたのだが、ずいぶん長い文章になってしまったので、また改めて近々このコーナーで紹介することにしよう。マーヴィン・ゲイへのオマージュとして、幾多の名カヴァー以上に素敵だな、と僕が好感を抱いているのは、“WHAT'S GOING ON”を下敷きに“Silky, Silky Soul Singer”と歌い天国の恩師を讃えたメイズのフランキー・ビヴァリーであり、『FREE SOUL DRIVE WITH MAZE』(高橋芳朗氏によるライナーがとても素晴らしい)の冒頭を飾る“FEEL THAT YOU'RE FEELIN'”“THE LOOK IN YOUR EYES”は、マーヴィンの弟子を自認する彼が生み落とした最良のメロウ・グルーヴだと思う。
追記:僕は来年、マーヴィン・ゲイが死んだ歳になる、と今ふと気づいて、手許にあったムーディーマンがもう10年以上前にKDJから発表した12インチ“THE DAY WE LOST THE SOUL / TRIBUTE!”に針を下ろしました。“我々がソウルを失った日”──マーヴィンが彼の父に射殺されたラジオ・ニュースの音に始まるその曲には、僕も25年前、高校3年になろうとしていたあの日に感じた空虚な気持ちが濃密に漂っていて、やはりこの“不機嫌な男”(ムーディーマン)は信用できる、と思わされます。
僕がムーディーマン関連のCDでマーヴィン・ファンに何か一枚お薦めするとしたら、2005年リリースの彼が主宰するレーベルのショウケース盤『MAHOGANI MUSIC』でしょうか。ドゥウェイン・モーガンのメロウに哀しげに疾走する“EVERYTHING”はDJでも何度かスピンしましたし、ピラーニャヘッドの“EMILY”では“スパルタカス〜愛のテーマ”が奏でられ、カーティス・メイフィールド“KUNG FU”のカヴァーもあり、アンドレスやランドルフといった今をときめく顔ぶれも名を連ねています。何よりもその“気だるい黒さ”にたまらなく魅了されてしまうのです。
再追記:この間、僕が編集長をしていた頃の「bounce」を読み返していて、マーヴィン・ゲイについて書かれた文章の中でも最も好きな一節を発見しました。それは、全190ページと「bounce」がピークを迎えた1998年12月号の「people tree」というページで、マーヴィンの特集をした際に渡辺亨氏によって書かれたものです。
葛藤。マーヴィン・ゲイの生涯は、この言葉と切り離すことはできない。イギリスのジャーナリスト、デヴィッド・リッツは、マーヴィン・ゲイの伝記を「Divided Soul」と題したが、事実、彼の魂は常に引き裂かれていた。“善”と“悪”、“聖”と“俗”、“愛”と“肉欲”……さらに言うと、マーヴィン・ゲイは常に男らしさや強いもの、換言するなら、“父権”に対する憧れと恐れを同時に胸に抱き続けていた。そしてこの引き裂かれた感情は、マーヴィンの音楽に深い陰影を与え、人々はその孤独な影に感応した。
ただ単に甘い蜜のような歌を歌い、女性の体を火照らせるソウル・シンガーなら、他にもたくさんいる。が、マーヴィンのように聴き手の魂のくぼみを刺激し、胸を掻きむしらせるソウル・シンガーは、そういない。大の大人が泣き崩れる音楽──ここではあえてソウル・ミュージックを、こう定義しよう。なぜならマーヴィン・ゲイが残したのは、このような音楽なのだから。

2009年8月上旬

V.A. / 親子できく、どうようフリーソウル。
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


子供向けの作品に、実は良質で気が利いていて、大人も子供と一緒に楽しめるものがある、と気付くようになる瞬間は、誰にも経験があるのではないでしょうか。絵本や知育玩具だけではありません。音楽にだって素晴らしいものがたくさんあります。そこで今回、親子で聴きたい子供の歌=“どうようフリーソウル”という観点から、コンピCDを作らせていただきました。一緒に歌える、一緒に踊れる、というフリー・ソウルの魅力を意識しながら、1960〜70年代に吹き込まれた傑作をたっぷり集め、グルーヴィーかつ心に残る一枚に仕立てています。(ライナーより抜粋)
高揚感あふれるイントロで幕を開けるオープニング曲は、70年代ソウル的なグルーヴィーなリズムに華麗なストリングスとダイナミックなホーンが映える“手のひらを太陽に”。その永遠に若々しいポジティヴな輝きに強く胸を突かれる、いずみたくのペンによる名作だ。続いて鈴木茂によるシタールとフィリー・ソウル調のサウンドが冴える“森のくまさん”、スカ風味のリズム・アレンジが小気味よい山本直純・作曲の“うたえバンバン”と輪唱系クラシックが連なり、石井好子・訳詞によるフランス民謡“クラリネットをこわしちゃった”の鈴木茂・編曲/ティン・パン・アレー演奏の最高のヴァージョンで、早くも最初のピークを迎える。
そして登場するのが、僕が一聴して計り知れない衝撃を受けた、タイトなブレイクビーツがリードするファンキー極まりない“証城寺の狸ばやし”。ピアノ・ソロもご機嫌な、深町純の編曲による、幾多のレア・グルーヴにも優る快演だ。ダンサブルな原曲にも増してアメリカ南部のノスタルジックな香りを漂わせた“五匹のこぶたとチャールストン”は、例えばクボタタケシが好んでDJプレイしそうな好テイク。続く“猫ふんじゃった”も冒頭のブレイクから耳を奪われるが、クレジットを見るとやはり鈴木茂・編曲/ティン・パン・アレー演奏。ウエスト・コースト・ジャズ的な爽快なホーンも心地よいアクセントだ。ラウンジーな“どんぐりころころ”、楽園的な“南の島のハメハメハ大王”あたりの流れでは、歌詞に70年代の細野晴臣に通じるユーモア感覚が滲むのも、僕には興味深い。
ロジャース&ハマーシュタイン作の名ミュージカル・スタンダードにペギー葉山が多幸感あふれる訳詞を施した“ドレミの歌”は、子供の頃から大好きだった歌。これも鈴木茂・編曲/ティン・パン・アレー演奏による逸品だ。パーカッシヴなイントロに導かれる“あきのこびとオータムタム”は、“TIGHTEN UP”フィーリングの隠れた名品と言えるだろう。谷川俊太郎が詞を書いた“月火水木金土日の歌”も、甘い子供声とフランク永井の包容力に富んだ歌のやりとりが耳に残る。まるでベッドの脇でおやすみ前に童話を読んで聞かせてあげるような親密な雰囲気なのだ。
小坂忠らしい大らかでメロウな“おおきなけやき”は口笛も印象的で、僕がまだ小学校に上がる前の昭和40年代の「風街ろまん」な空気を感じさせる。クレモンティーヌもカヴァーした“おお シャンゼリゼ”は、何か素敵なことが始まりそうな予感に胸が躍る。安井かずみによる訳詞に都会的でハイカラな感性が息づいているせいか、思わず「キャンティ物語」に手を伸ばしページを繰りたくなってしまう。さらに極上のラテン・ジャズ・アレンジがボニージャックスの歌を包む“おもちゃのチャチャチャ”、小学生のときクラスで合唱した思い出が甘酸っぱいリズミカルな“アルプス一万尺”、カフェ・アプレミディ・コンピに入っていてもおかしくないような瀟洒なブラジル民謡“花輪をあげましょ”、山川啓介らしい歌詞が儚く胸を締めつける“こおろぎ”など、個人的な感想を綴れば果てしない。
全33曲79分43秒、すべての曲に触れることはできないが、どれも人の心にそれぞれ何がしかの「思い」を残すだろう歌ばかり。エンディングは“ビューティフル・サンデイ”が懐かしい田中星児が歌うしみじみと切ない“大きな古時計”、そして再び“森のくまさん”で大団円を迎える。かつて僕のDJ に来てくれていた方なら、「もう一回」のかけ声に続く「ラララ ランランランランラン」に、みんなで大合唱したセルジオ・メンデス&ブラジル'66の“TRISTEZA”を思い出すだろうことは想像に難くない。大人になっても、親になっても、恥ずかしがることなんて全くありません。思う存分、歌って踊ってください!
追記:[staff blog]のページにも書きましたが、グルーヴィジョンズが制作してくれた40ページに及ぶCDブックレットが本当に素敵すぎるので、このポール・ランドを思わせるような洒落た絵本のためのサウンドトラック、という感じで聴いていただいても嬉しいです。また、このコンピレイションの紹介文としては、アプレミディ・セレソン店長の武田が[information]のページに書いた解説の方が、僕の文章よりはるかに優れていますので、ぜひそちらも読んでみてください。「ディズニー映画音楽や懐かしいポップス・スタンダードなどを愛する感覚で触れられる」という形容がいいですね、特に。子供の頃の気持ちを忘れていない大人に捧げます。

SARA TAVARES / XINTI
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


「島音楽」という言葉に惹かれ、ほのかな憧れを抱く音楽ファンは僕だけではないだろうが、これは今年の夏休みのささやかな思い出の一枚。アフリカの西に浮かぶ旧ポルトガル領のカボ・ヴェルデ共和国の女性シンガー・ソングライター、サラ・タヴァレスの涼やかで、しなやかで、甘やかなアルバム。やりきれないような日々の一服の清涼剤のようなアコースティック・サウンドが麗しい。
西アフリカとポルトガルとブラジルの文化の芳醇なメルティング・ポット、カボ・ヴェルデの歌姫と言うと、まずセザリア・エヴォラを思い浮かべる方が多いかもしれないが、HMV渋谷店の試聴機ではすぐ隣りに、以前このページで紹介したマリ共和国のロキア・トラオレが並べられていた。もちろんどちらのファンにも心から推薦できる。僕は去年の夏の嬉しい発見、Ousman Danedjoのことも思い出した(2008年7月上旬のこのコーナーをご覧ください)。サラ・タヴァレスもまた、長く大切に聴き継いでいくニュー・アプレミディ・クラシック、マイ・サマー・クラシックになるだろう。ベース/ドラムス/パーカッションに、ギター/ウクレレ/ヴァイオリン/ピアノ/ヴァイブ/バンブー・フルート/アコーディオンという清らかでたおやかなアンサンブル。そして何よりも可憐な歌声とメロディー。風がそよぎ、光が零れるように全曲があまりにも素晴らしく、何もしないでぼんやりとすごす時間にも永遠に聴いていられる(断言)。まるで風鈴の音のようなエンディングがとても印象的で、ついまた再生ボタンを押してしまうのだ。
茶褐色のアートワークも素敵な、夏のかげろうや浜辺の蜃気楼に溶けていくような音楽。ワールド・ミュージックやジャズといった枠を越えて、すべての音楽愛好家に届いてほしい名盤の誕生。そう、これはシャーデーやキャロル・キングやジョイスを愛する貴方はぜひ、とお薦めしたくなるような、心まで美しくなる音楽なのです。

2009年8月下旬

橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


今回はまもなくリリースされるアプレミディ・レコーズの第3弾をいち早く紹介。ジャケット・デザインの季節の星座は“ペガサス”、日本の伝統色は“茜”。深まりゆく秋をイメージし、起承転結の“転”という意識もあったからか、これまでに比べ女性ジャズ・ヴォーカルの比重が高い一枚になった。紅葉の季節、穏やかな午後がゆっくりと西陽に照らされ美しく染まる夕景から、星空を眺めて眠りにつくまでの時の流れを描くつもりで曲順を組んだ。ライナーで吉本宏がモティーフとしているロベール・ドアノーの写真や、古いモノクロームの映画のような陰影やメランコリーを、このシリーズならではの“輝き”と共に刻むことができたなら本望だ。
絶品のビートルズ・カヴァーに始まる叙情性豊かなオープニングは、そんなこのコンピレイションの象徴的存在と言えるだろうか。カナダの女性歌手サラ・ガザレクによる“BLACKBIRD / BYE BYE BLACKBIRD”。そう、マイルス・デイヴィスやチェット・ベイカーでもお馴染みの名スタンダードの一節を挿入しながら、透明感のある歌声と幻想的なチェロやめくるめく美しさのピアノが、浮遊感あふれるミナス・サウンドを思わせるような雰囲気を漂わせる。
続いて登場するのはフィリピン人のヴォーカリスト、ロアーナ・シーフラが歌うスパイロ・ジャイラ〜マンハッタン・トランスファーの人気曲“SHAKER SONG”。『夏から秋へ』に収めたイタリアのバーバラ・ライモンディ版と甲乙つけがたい、颯爽としたスキャットに導かれるグルーヴィーに躍動する好ヴァージョンで、多くのマニアが驚きの声を挙げるだろう。
ピアノのイントロから切ないスウェーデンのソフィア・ペターソンによる“WHEN ABOUT TO LEAVE”は、コリーヌ・ベイリー・レイの“BUTTERFLY”を聴いているときのようにピュアな情感に胸が詰まる、永遠に瑞々しいラヴ・ソング。つぶやくようなスキャットとこみ上げるメロディーが胸を焦がす、フィンランド出身のジャニータのクール&キュートなボサ“BE YOURSELF”への流れは、もうここ数年、僕のフェイヴァリット・リレーになっている。
そしてミナス・サウンドとビートルズの美しき出会いの結晶、ナンド・ローリアの“IF I FELL”へ。ジョン・レノンの心の震えが伝わるような、胸を締めつける求愛の歌。その哀切の旋律が風に乗ってさすらうように吹き抜ける、歌唱・演奏・アレンジすべてが僕には完璧な、言葉に尽くせぬほどの名演だ。続く“TWO KITES”も、アントニオ・カルロス・ジョビンが書いた胸疼き心洗われるロマンティックな求愛の歌。『春から夏へ』に収めたジョー&トゥッコ版を筆頭に名カヴァーは多いが、ここに収録した英国ジャズの才媛ノーマ・ウィンストンも聴き逃すことはできない。
そのノーマ・ウィンストンが歌詞をつけた“SONG”を表題曲とするファースト・アルバムが最高だった(6月下旬のこのコーナーで大推薦しましたね)南アフリカからベルギーに渡った新星トゥトゥ・プワネは、やはりボブ・ドロウの代表作をカヴァーした心弾む快速スウィング“JUST ABOUT EVERYTHING”をエントリー。クープ“WALTZ FOR KOOP”“BABY”への客演で名高いスウェーデンのセシリア・スターリンの“EVERYTHING MUST CHANGE”も、ベナード・アイグナー作のメロディーを軽快なアコースティック・アレンジで乗りこなし、曲が進むにつれて夜の灯のように輝きを増していく歌声が圧巻で、イェレーヌ・ショグレンが寄せた讃辞にも深くうなずいてしまう。
こうしたクラブ・ジャズ・ファンならずとも食指が動くに違いない疾走感あふれる展開に乗って、スティーヴィー・ワンダーがマイケル・ジャクソンに書いた人気ナンバー“I CAN'T HELP IT”のリサ・カヴァナによるキラー・カヴァーもセレクト。印象的なリフ、憂いを秘めながらもチャーミングな女性ヴォーカルに、数年前はDJプレイすると必ず「これは誰のヴァージョンですか?」と訊かれたものだ。
デンマークのヘルガ・ソステッド・グループ(と発音すればいいのかな?)の“I'M THE ONE”もスピーディーな女声ボサ・ジャズで、吹き抜ける風のようなフルートがどこまでも心地よい。セシリア・スターリンもしかりだが、こうしたテイストとは、大好きなイェレーヌ・ショグレン“THE REAL GUITARIST IN THE HOUSE”の21世紀版を探し求める中で、数多くの素敵な出会いに恵まれた。中でもこれは、北欧のひんやりとした情景と洒落た大人の熱気が同居する知る人ぞ知る逸品だ。一方で、柔らかな風に包まれるようなカラオケ・カルクの歌姫ドナ・レジーナの“HOW BEAUTIFUL”は、知ってる人は知ってるはずの名曲。スウィートマウスやキングス・オブ・コンヴィニエンスの女性ヴォーカル版、というような惹句を捧げればいいだろうか。アコースティック・ギターの刻み、メランコリックなフック、アリソン・スタットンを彷佛とさせる体温低めの澄んだヴォイスがネオアコ心を疼かせる。
弾むピアノと鼓動のようなリズムがリードするポルトガルのポーラ・オリヴェイラによるセルジオ・メンデス“SO MANY STARS”のカヴァーは、ロマンティックな星降る夜空が広がり、都会的で洗練されたバーバラ・モンゴメリーの“WHEN WE FIRST MET”も、フリューゲルホーンが月夜に美しい放物線を描く。どちらも「usen for Cafe Apres-midi」グラン・クリュ・タイムを彩ってきた極上の女声ボサ・ジャズで、この連なりも以前から僕のお気に入りのルーティンだった。
ベルギーのベノワ・マンションの“LE MARCHE AUX PUCES”は、ピエール・バルーを思わせる滋味深い男性フランス語ヴォーカルによるワルツの名品。やはりフリューゲルホーンとの粋な会話という趣きで、香り高く芳醇な熟成感がたまらない。「ブラジリアン・テイク・ファイヴ」という出色のコンセプトが燻し銀の輝きを放つトゥー・フォー・ブラジル“TAKE FIVE”にも、同じしなやかなダンディズムが息づく。ポール・デスモンドのペンによるデイヴ・ブルーベック・カルテットの妙味を踏まえながら、まるでケニー・ランキンやジョアン・ドナートのようなスキャットに惹かれる。そしてコン・ヴォセによるジョビンの名曲“WAVE”のカヴァーへ、というバトンタッチも「usen for Cafe Apres-midi」などで耳憶えのある方がいるかもしれない。典雅なピアノと女性ヴォーカルもさることながら、何よりシャープなリズム隊によるワルツタイム・グルーヴの愉悦に酔いしれてしまう。
いつも「余情」を大切にしたいと思っているエンディングへの流れはまず、歌詞にジョビンへのオマージュも綴られた21世紀ボサノヴァを代表する名作、セルソ・フォンセカの“SLOW MOTION BOSSA NOVA”。繰り返される“You're So Good To Me”というフレーズが胸を打ち、カーティス・メイフィールドの同名曲を思い出す。ハミングも素晴らしい余情を感じさせるアウトロのピアノは、中島ノブユキ『エテパルマ』を愛する貴方なら、ぜひ耳を澄ませてほしい。
“My Slow Motion Bossa Nova Dream”に思いを馳せ、神秘的なメロウネスに浸った後は、カナダのピアニストであるロン・デイヴィスが、儚くも甘美なエリック・サティ“ジムノペディ”の旋律を奏でる。そしてメドレーのように“MOON RIVER”へ。映画「ティファニーで朝食を」のためにヘンリー・マンシーニが書いた、慈しむようなメロディーのオードリー・ヘプバーンのテーマ。安らかな郷愁を誘う瞑想的な音色がジョン・コルトレーンのソプラノ・サックスのように染みてきて、やがて幽玄のフィナーレを迎える。

V.A. / 公園通りの秋〜Cafe Apres-midi meets Rip Curl Recordings
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


この秋『音楽のある風景〜秋から冬へ〜』をぜひとも聴いていただきたいのは当然だが、実はもう一枚、僕が選曲の機会を与えられて個人的にとても気に入っているコンピがあって、特別にこのページで詳しく紹介しよう。それは、アプレミディ・レコーズの制作担当ディレクターでもある稲葉昌太氏がインパートメント内で主宰するレーベル、リップ・カール・レコーディングスの音源を使ったカフェ・アプレミディ・コンピ。レーベルのプロモーションを兼ねた非売品だが、このたび『音楽のある風景〜秋から冬へ〜』の購入特典として配布される(つまり1枚の値段で2枚とも手に入れられるということ!)。双方のショップとオフィスが公園通りを歩いて2〜3分の距離にあることから、『公園通りの秋』と題している。
東京を台風が通過していった8/31、僕はぼんやりと窓の外の雨を眺めながら、ゆっくりと一日かけてリップ・カールのCDと向き合った。半分以上はすでに聴いたことのあるものだったが、サンバあるいはラウンジーなボサ・ブレイクスというレーベルの陽性なイメージ、言わば表の顔よりも、僕の心をとらえたのは、儚い感傷が滲むような、翳りや愁いをたたえた楽曲群だった。内省的な気分にもフィットするような、言ってみればネオアコ的な感性のボサノヴァや女性ヴォーカルを中心に22曲を選び出し、僕がしみじみと家でひとり聴きたい順序に並べた。何となく「ちいさい秋みつけた」という言葉が浮かんだ。優しさと無常感が入り混じったような気持ちになって、クレプスキュール〜チェリー・レッド〜エルといったレーベルの作品集を編んだようなメランコリックな感覚に包まれた。
ブラジル人ながらべヴァリー・ケニーなどのコケティッシュな白人女性ジャズ・ヴォーカルの親密で温かい魅力をよみがえらせたデリカテッセンに始まり、マルシア・ロペスによる“MOON RIVER”(ヘンリー・マンシーニの名曲)、ホドリゴ・ホドリゲスによる“I GET ALONG WITHOUT YOU VERY WELL”(チェット・ベイカーの名唱)、アドリアーナ・マシエルによる“VIDA EM MARTE (LIFE ON MARS)”(デヴィッド・ボウイの名曲/セウ・ジョルジのポルトガル語詞)と、心のひだまで染みてくる筆舌に尽くしがたい好カヴァーが連なる。特にデヴィッド・ボウイ“LIFE ON MARS”のリメイクは一昨日の夜、この曲順で聴いていて思わず涙が滲んでしまい、それ以来どうしても聴くたびに涙腺がゆるむのを待ってしまうようで、センティメントのやり場に困っている。
続いて、充実のデビュー作『ASTROLABIO』が記憶に新しいアレクシア・ボンテンポが、スティーヴィー・ワンダーの人気曲“MY CHERIE AMOUR”を夏の日の記憶のように慈しみをこめて歌う。ライラ・アメジアンの“SINGAPORE”は、ルイ・フィリップ・プロデュース/デニス・ボーヴェル・ミックスによる万華鏡のようなソフト・サイケデリア。さらに僕にはアナ・コスタの最高傑作、と言いたくなるメロウなパウラ・リマとの競作“NOVOS ALVOS”、オースティンのキュートなアコースティック・フレンチが続き、ブラジルのジャック・ジョンソンとも言われるピエール・アデルネとアドリアーナ・マシエルとのデュオによるサウダージ・ソングへ。
そして、このコンピのキーマンのひとり、元オス・ノヴォス・バイアーノスでカエターノ・ヴェローゾやジョルジ・ベンのバンドでも活躍し、今はマリーザ・モンチを支えるMPBの生き証人ながら、実はネオアコ心も併せもつ(と僕が思っている)ダジが登場。郷愁と涙を誘う感動の一曲“PASSANDO”だ。続いては、カエターノ&ガルの名盤『DOMINGO』でも歌われた“AVARANDADO”と、アントニオ・カルロス・ジョビンのしなやかな名旋律“TRISTE”をメドレーにしたベト・カレッティ。ボサノヴァの心を宿したアルゼンチンのシンガー・ソングライターで、最近ブエノスアイレスで一緒にジョビンに捧げるコンサートを行っているという同郷のアグスティン・ペレイラ・ルセーナの再来として、僕の音楽仲間の期待と信頼は厚い。
晩年のジョビンと親交が深かったマリオ・アジネがしっとりと歌い奏でる、言わずもがなのマイ・フェイヴァリット・ソング“TWO KITES”を経て、フォーキーでメディテイティヴな一面も見逃せないブラジルの気鋭シンガー・ソングライター、ホドリゴ・マラニャオンのこみ上げるメロディーが胸に迫る“CAMINHO DAS AGUAS”へ。ここからは、それぞれ個性的なお気に入りのサンバが続く。シコ・ブアルキの妹アナ・ジ・オランダは可憐でピースフル、ミナスの雄トニーニョ・オルタのアレンジでセウ・ジョルジが作曲に絡んだパウラ・サントーロは優美で聴くほどに味わい深い。
傑作揃いだったファースト・アルバム『JJ』で脚光を浴びたジョアキン・ジャニンは、ベルギー在住のフレンチ・ボサ〜スウィングの人気者だが、『音楽のある風景〜秋から冬へ〜』に参加してもらったベノワ・マンションと大の仲よしというエピソードを最近聞いて、とても嬉しかった。ここでは口笛が心地よい“MA FOI”をセレクト。デリカテッセンの一度聴いたら忘れられない逸品“MY MELANCHOLY BABY”は、僕にはサティマ・ビー・ベンジャミンのボサ・ジャズ・ヴァージョンも思い起こさせ、無性に琴線を震わされる。ジョイスの娘アナ・マルチンスと実の父ネルソン・アンジェロの心和らぐ共演“NADA PARECIDO COM VOCE (THERE WILL NEVER BE ANOTHER YOU)”は、チェットの歌でジョアンもジョビンも愛した名曲のポルトガル語版だ。
そしてここからエンディングへ向かう4曲の流れが、僕を悠久の安らぎへと導いてくれる。他にも収録したい曲が多かったダジの“BEM AQUI”はマントラのように心の平穏をもたらす柔らかな瞑想感に惹かれ、カエターノ親子のペンによるモレーノ+2の名作をアドリアーナ・マシエルが白日夢のように歌う“SERTAO”に桃源郷へと誘われ、アレックス・キューバ・バンド“LO MISMO ME AMAS”の天上の響き、宝石のようなピアノと切ないストリングス、地平線の彼方に沈みゆく夕陽のように大らかな歌には、どうしようもなく胸を締めつけられ涙してしまう。この3曲はどれも、魂の平安を祈る鎮魂歌のように僕の心を打つのだ。
最後のオースティンの“DORMIR”はフランス語で「おやすみなさい」という意味。優しく愛をささやき合うような男女デュエットで、コンピレイションは静かに幕を閉じる。僕はこのところ毎晩、森有正の書簡集「バビロンの流れのほとりにて」を4年ぶりに読みながら(4年前以上に彼の言葉が深く重く染みてきます)、『公園通りの秋』に繰り返し耳を傾け眠りについているが、もしこれに代えて聴きたい音楽があるとすれば今は、ようやく完成したキングス・オブ・コンヴィニエンスの新作『DECLARATION OF DEPENDENCE』だけだ。このふたつの作品は、とてもよく似た情感を持っていると感じる。僕にとって2009年のNo.1アルバムかもしれないキングス・オブ・コンヴィニエンスの新作(ベン・ワットの『NORTH MARINE DRIVE』級です)については、また近いうちに改めて書くことにしよう。

2009年9月上旬

V.A. / MELLOW VOICES ~ BEAUTIFULLY HUMAN EDITION
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


「メロウ・ビーツ」歌もの編の冠を借りた「2000年代版フリー・ソウル・コンピ」、その第2章。前作の『MELLOW VOICES ~ WONDER LOVE COLLECTION』はこの1年、初対面の方や(例えば家族や学生時代の友人の紹介のような)音楽にそれほど突っ込んだ興味を抱いていない方に、僕が選曲したCDを何か一枚差し上げる、というようなときに最も重宝してきた。そういう意味でこのシリーズは、日々の生活のシーンの中で(ドライヴやリヴィングルームでの寛ぎのひとときはもちろん、通勤・通学中まで)、個人の趣味性を越えて訴えかけるもの、ハートに伝わる情感を秘めていると感じている。特に今回の『BEAUTIFULLY HUMAN EDITION』は、ライセンス音源の充実もあって参加アーティストの顔ぶれが凄く(ディアンジェロ/コリーヌ・ベイリー・レイからポール・ウェラー、そしてタイトルの由来になったジル・スコットまで)、誰にでも自信を持ってお薦めできる、新しい名刺代わりの一枚ができた、と僕自身がいちばん喜んでいるのかもしれない。
まずは愛すべきミニー・リパートンの面影がよぎる、アプレミディ・セレソン武田の言葉を借りるなら、「爽やかな風に運ばれてくる甘い香りに包まれるような天上のメロウネス漂う」イントロダクション。続いて21世紀の幕開きを祝福したブラジリアン・ソウルの輝かしい金字塔、ドニーのスティーヴィー・ワンダー・フレイヴァーあふれる“DO YOU KNOW?”へ。選曲の流れのイメージ上、ぜひ2曲目にキャッチーでグルーヴィーな名作が欲しかったので、モータウンから特別にライセンスしていただいた(しかもこの曲はそろそろ寝かせ頃でしょ?)。そして『WONDER LOVE COLLECTION』では“BEAUTIFUL LOVE”がオープニングをハートウォームに飾ったマイロンのもうひとつの名曲“BRIGHTER DAY”。やはりスティーヴィーの全盛期を彷佛とさせるこの曲を聴いていると、僕は傷心のときにも何となく少し勇気が湧いてポジティヴな気持ちになれるのだ。
名唱の多いペヴェン・エヴェレットは、以前ムジカノッサ中村がこのコーナーで“CAN'T DO WITHOUT”を「スティーヴィー・ワンダー・マナーの新世代メイル・シンガーの作品として、僕にとってはドニーの“DO YOU KNOW?”以来の衝撃的な素晴らしさ」と絶賛していたが、僕がチョイスするのは断然“THIS JUST IN”。やはり中村が「フリー・ソウル・アンダーグラウンド」ではこちらを、と紹介して「一瞬“WORK TO DO”を想わせるメロウなこみ上げオーガニック・グルーヴ」と書いていたのが印象に残っている。続くヤング・ディサイプルズの歌姫カーリーン・アンダーソンとポール・ウェラーの共演も、中村を始めとするフリー・ソウル・サポーターには夢の顔合わせだろう。しかも楽曲はレオン・ウェアが書いてマイケル・ジャクソンがヒットさせた“WANNA BE WHERE YOU ARE”。マーヴィン・ゲイやホセ・フェリシアーノ、ズレーマやメリサ・マンチェスターなどのヴァージョンでもフリー・ソウル・ファンに愛される真のこみ上げ名曲だが、これも聴けば聴くほど胸をつかまれる名演。JB第2世代女性シンガーのカーリーン・アンダーソンのソウルフルな魅力は言うまでもないが、塩からい声のウェラー、ソウルマンとしてのウェラーも僕の心を熱くする。思えば90年代初頭、トーキング・ラウドNo.1の名盤、ヤング・ディサイプルズの『ROAD TO FREEDOM』は、スタイル・カウンシルのふたりが参加し、ソリッド・ボンドで録音されたのだったが、その固い絆は10年以上の時を経ても決してゆるぎない。
楽曲を自由に使うことができた、オーガニック・ソウルの代名詞的存在のフィラデルフィアの名門レーベル、ヒドゥン・ビーチの作品群からは、まずインディア・アリーをフィーチャーしたキンドレッド・ザ・ファミリー・ソウルの“STRUGGLE NO MORE”を選んだ。まるで宝石のように美しいピアノ・ループに彩られた最高のメロウ・ビーツ・トラックと、心を晴れやかにしてくれる伸びやかな歌声が至福の歓びをもたらしてくれるから。続くジル・スコットは21世紀ネオ・ソウルの夜明けを告げたフィリーの至宝。シーンの象徴的名盤『BEAUTIFULLY HUMAN』から、前曲との親和性を重視して“WHATEVER”をセレクトした。エモーショナルな歌と次第に深まりゆくグルーヴ、という感じで、メロウ&ファンキーな会心のつなぎになったと思う。そしてジル・スコットと並ぶネオ・ソウルの旗手、ポスト・ディアンジェロとも謳われるデトロイトの雄ドゥウェレへ。J・ディラ制作のコモン“THE LIGHT”で引用され、そのメロディーをエリカ・バドゥも歌ったボビー・コールドウェルの“OPEN YOUR EYES”が、極上のファルセット・ヴォイスでフィンガースナッピンなバラードに仕立てられている。
次のクリティカリー・アクレイムド&ケヴ・ブラウン“WALLFLOWER”は、実はこのコンピの最重要曲かもしれない。というのも、この曲が前半と後半の大切な(効果的な)パイプ役を果たしたことによって今回の選曲は成功した、と聴くたびにいつも確信するから。キュートでメロウなピアノ・サンプルが印象的なチャーミングなラップ・チューンだが、これだけ前後に良い曲が揃っていても、この曲の存在がなかったら、これほど美しく素晴らしい流れにはならなかっただろう、と僕は思う。
続くディアンジェロの“AFRICA”を収録することができたのは本当に嬉しかった。悠久の時の流れ、優しく慈しみ深い、言ってみれば皮膚で聴く(感じる)音楽。肉体が疲れているときほど心地よく響く、というのがとりわけこの曲の真価だと思う。ぜひ横になって聴いてください。カーティス・メイフィールドやプリンスでさえ、この境地に達せられる曲はないような気がするほどだ。
そんな雰囲気を受けて静かに奏でられる、唯一無二のメロディー・メイカー、ベニー・シングスの“OVER MY HEAD”も、メランコリーと内省感がじんわりと胸に沁みてくる。同じジャザノヴァ主宰ソナー・コレクティヴからのエントリーとなるシーフ“HOME”は、サーシャ・ゴットシャルクの滋味深いヴォーカルに涙する、まるでロバート・ワイアットやテリー・キャリアーのように胸を打つ名作。こうした翳りを帯びたフォーキー/サイケデリアな音像をメロウと解釈するのが21世紀のニュー・パースペクティヴだ。
さらに、美しい夕映えの光景を目にしたときのように震える想いがこみ上げる、コリーヌ・ベイリー・レイの胸を焦がす名曲“BUTTERFLY”が連なる。聴いているうちにフォト・アルバムのページを繰るようなセンティメントに包まれるが、ディアンジェロからこの曲あたりまでの流れは、僕には懐かしい記憶や夢の中で描かれる天国のドラマのようでもある。
続くふたりの女性シンガーも、敢えてコリーヌ・ベイリー・レイと並べたくなる(3人ともその存在感自体が素敵なのだ)、ミニー・リパートンのしなやかな知性と多感な恋心を併せもつような、聴く者を惹きつけてやまない歌声の持ち主。ベニー・シングスの秘蔵っ娘ジョヴァンカの“PURE BLISS”は、やはり夕暮れの浜辺に佇むような感傷がチャーミングに広がる。90年代前半に稀代の名曲“GOT ME A FEELING”でブギー・バック・レコーズから登場したときの感激が忘れられないミスティー・オールドランドの“ANGEL”は、アントニオ・カルロス&ジョカフィ“VOCE ABUSO”の心洗われるブラジリアン・サウタージ・メロディーを胸が詰まるようなメロウ・ソウルとしてよみがえらせた逸品。コリーヌ・ベイリー・レイの瑞々しいデビューに心ときめかせた頃、僕が真っ先に思い浮かべたのはミスティー・オールドランドとリンダ・ルイスだった。
先日の丸の内・Cotton Clubでの来日公演の際に、僕の音楽仲間と一緒に写真を撮らせていただき、このコンピレイションCDに“Peace, Love, Music”というメッセージと共にサインをしてくれたテリー・キャリアーは、最新作から僕のこの夏の愛聴曲“THE HOOD I LEFT BEHIND”を収めた。カーティス・メイフィールドの名も織り込まれた、故郷シカゴへの思いを綴ったアコースティック・ソウルで、その血の通った慈愛に満ちた歌声が心の底で何か大切なものに触れて、身体の奥から少しずつ体温が上がってくるようだ。
エンディングに向けては、再びヒドゥン・ビーチを代表してキンドレッド・ザ・ファミリー・ソウルにご登場願い、アシュフォード&シンプソンの現代版とでも言うべきおしどり夫婦ぶりが好ましい男女デュエット“WHERE WOULD I BE”で、親密でピースフルなムードを演出した。陶酔的な浮遊感を漂わせるジョージ・ベンソンのギター・サンプルもミラクルな、愛情に満ちあふれた名クワイエット・ストームだ。ラストは、生楽器によるレゲエとソウルとフォークのオーガニックな融合が魅惑的なサウンドで彗星のごとく現れた、スイス出身のシンガー・ソングライター、リー・エヴァートンの“COMFORT ME”。切なさと安らぎを滲ませながら精神が解き放たれるような、この柔らかなハートビートとハーモニーを紡ぐ一曲で、身も心もカンファタブルな地上の楽園気分をリラックスして最後まで味わってください。

Q-TIP / KAMAAL THE ABSTRACT
CHICO HAMILTON / CHICO THE MASTER
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


ジャズとソウルとファンクとヒップホップが力強く交錯するQ・ティップの最高傑作、と断言したい一枚ながら、「シングルがない」というレコード会社サイドの理由で、長らくお蔵入りになっていた幻の『KAMAAL THE ABSTRACT』が、遂に正規リリース。スライやプリンス、シュギー・オーティスなどを思わせるラフでタフなバンド・サウンド中心の乾いたトラック、ジャズの匂いが濃厚なキーボード・ワークに耳を奪われるが、実際これはQ・ティップがただただ音楽に没頭して作ったようなアルバムだと思う。ディアンジェロの『VOODOO』の気配を継いだようなサイケデリックでメディテイティヴな風情もたまらない。
その象徴とも言えるだろう絶品の一曲が、プリンスの最良の瞬間にも匹敵する(イントロから僕には“SIGN OF THE TIMES”を彷佛とさせる)“DO YOU DIG U?”。曲が進むにつれて、ゲイリー・トーマスのたなびくフルートが存在感を増し、いつの間にか幻想的なマインド・トリップへと誘われる。かつて“MIDNIGHT MARAUDERS TOUR GUIDE”のバックで流れていたカル・ジェイダーの“AQUARIUS”を思い出すトライブ・コールド・クエスト・フリークは、僕だけではないはずだ。
続く“A MILLION TIMES”〜“BLUE GIRL”の冥界を彷徨い夢遊するような流れにも強く惹かれるが、ビル・リー率いたディセンダンツ・オブ・マイク・アンド・フィービがストラタ・イーストに吹き込んだ名曲群を思い浮かべずにいられない、優しくスピリチュアルな黒人霊歌のような“CARING”から、懐かしき伝説『THE LOW END THEORY』に思いを馳せたくなる会心のジャズ・ヒップホップ“EVEN IF IT IS SO”、そしてやはりファーストからサードの頃のATCQのファンなら痺れるに違いないボーナス曲“MAKE IT WORK”へ、という凛としたエンディングの潔さにも、僕は魅了され続けている。
Q・ティップは近年のインタヴューで、「このアルバムはマイルス・デイヴィスの『KIND OF BLUE』みたいな作品にしようと作った」と発言しているが、確かにこれは彼の全作品の中でも特にジャズ・ファンにお薦めしたい一枚。そして聴いていて改めて思うのは、僕はQ・ティップのクレヴァーかつ天然なところが最高に好きだということだ。コモンとの「The Standard」、ラファエル・サディークとディアンジェロとの「Rinwood Rose」といったプロジェクトの音源が届くのも、首を長くして楽しみにしている。
さて、今回はもうひとつリコメンド盤があって、それは、僕がずっとQ・ティップがいつかサンプリングするのでは、と思っていたら、先にCALMが引用したのが印象深かった泣ける名曲“GENGIS”を収録した、チコ・ハミルトンの異色のファンキー・ジャム盤『CHICO THE MASTER』。MUROくんがセレクトしたスタックスのリイシュー・シリーズでようやく日本盤CD化されたのだ。チコ・ハミルトンと言えば、ジェリー・マリガンのピアノレス・カルテットや『BLUE SANDS』を始めとする自身の室内楽風の諸作など、パシフィック・ジャズでの活躍で名高いウエスト・コーストのドラマーで、映画「真夏の夜のジャズ」での神秘的な演奏シーンが脳裏に焼きついているが、1973年スタックス録音らしいこのアルバムには、ニューオーリンズ風味のセカンドライン・ファンクの名盤『DIXIE CHICKEN』(大好きです!)で当時隆盛を極めていたリトル・フィートのローウェル・ジョージ(スライド・ギター)やビル・ペイン(ピアノ)が参加し、スリリングな冴えまくりの一大セッションを繰り広げている。
というわけで、MUROくんが強くプッシュするファンキーで味わい深い“I CAN HEAR THE GRASS GROW”や、サンタナとの競作となった甘美なラテン・ナンバー“CONQUISTADORES '74”といった、熱気みなぎる充実のプレイが詰まっているのだが、そんな中でもやはり僕にとって特別な一曲は“GENGIS”。単行本「ジャズ・シュプリーム」でも紹介したが、儚すぎるほどの物哀しさに胸の奥が疼く、切ないフェンダー・ローズとベース・ラインに琴線を震わされるディープ&スピリチュアルな秘宝だ。Q・ティップ好きには、ロータリー・コネクション“MEMORY BAND”とミニー・リパートン“INSIDE MY LOVE”とランプ“DAYLIGHT”が溶け合ったようなメロウ・マッドネスな宇宙が広がる、と推薦しておこう。アナログ盤も最近はあまり見かけないようなので、この機会をお見逃しないように。

2009年9月下旬

KINGS OF CONVENIENCE / DECLARATION OF DEPENDENCE
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


2009年リリースの新譜の中ではすでに最もよく聴いているアルバム。待ちに待ったというか、最近いちばん楽しみにしていたキングス・オブ・コンヴィニエンスの5年ぶりの新作だが、これがもう頬ずりしたくなるような期待以上の一枚で、毎晩のように部屋の灯りを消して寝床にもぐりこむのと同時に聴き入っている。目を閉じて、息をひそめて。
そう、このアルバムは、深まりゆく秋から冬にかけての夜、ひとり聴くのが最も似合っている、そんな気がする。しかも、ゆっくりとポットに温かい紅茶を用意して、とか、恋愛小説のお供に、というのではなく、ただソファやベッドに横になってじっくりと、という感じなのだ。透き通るように儚く美しい音楽、その歌声とアコースティック楽器の音色が、心のひだまで染みとおってくる。
本人たちは今作を「知的なボサノヴァ」と表しているが、僕から見るとこれは、ボサノヴァを愛するノルウェイの男ふたりに奏でてほしい音そのもの。絶対にアナログ・レコードも欲しくなるジャケットの素晴らしさからも、そんな雰囲気は伝わるはず。メロディーやハーモニーは言うまでもなく、音の「響き」や「間」、空気の震えに細心のこだわりを払ったサウンド(最高のリヴァーブ!)の繊細な美しさには、彼らが作品に取り組む誠実な姿勢が宿り、知性と感性の絶妙なバランスがうかがえる。
とりわけ冒頭の“24-25”や“FREEDOM AND ITS OWNER”は、生きていたいという気持ちが少しずつ薄れていくようなときにさえ心に響く名曲だと思う。ベン・ワットの“NORTH MARINE DRIVE”やボブ・ディランのカヴァー“YOU'RE GONNA MAKE ME LONESOME WHEN YOU GO”がそうであるように。僕も大好きだった前作の人気曲“MISREAD”を彷佛とさせる“ME IN YOU”や、ホセ・ゴンザレス“HOW LOW”と共振するような心から共感できるメッセージ・ソング“RULE MY WORLD”、「自分の人生も空っぽになった夜のストリートでの暴動だな」という思いが静かなせせらぎ音のように沁みてくる“RIOT ON AN EMPTY STREET”、2本のアコースティック・ギターで紡がれる“All that is living can be hurt, and that's the end of innocence”という歌詞も印象的な“SECOND TO NUMB”に、アーランド・オイエが「まるでポーティスヘッドのカヴァーみたいだよね」と語る“SCARS ON LAND”なども胸を打つ。どの曲も、過去の思い出に慰めを見出し、夢や幻影だけが心を鎮めてくれる僕のような人間の肌に合うだけでなく、「苦み」や「痛み」を踏まえたうえで、強い意志のもとに鳴らされている音楽なのだ。この作品が「ふたり」の妥協ない共同作業によって生まれたことも、そうした凛とした感触に大きく寄与しているだろう。
だから、一聴すると、どこまでも優しくハートウォームな彼らの音楽について、僕が敢えて特筆したいのは、このアルバムのほろ苦い後味のことだ。孤独や寂寞を知り、甘さや切なさだけが心の栄養ではないと気づいてしまった、少年の心を持ちながら人生を重ねた大人の音楽。2001年のアルバム・デビュー以来、キングス・オブ・コンヴィニエンスの作品はリミックス盤も含めすべて好きだが、僕にとって今作は特別。コーネリアスやファイストとの交流で彼らを知ったという方も、ぜひ聴いてみてください。

JIM O'ROURKE / THE VISITOR
IAN O'BRIEN / KOKORO
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


キングス・オブ・コンヴィニエンスの新作を2回繰り返し聴いても眠ることができず、夜明けが近づいてしまった頃に僕が手を伸ばすのが、やはり最近リリースされたばかりのジム・オルークの『THE VISITOR』。ジョン・フェイヒィを思わせるようなアコースティック・ギターの爪弾きと揺れるピアノに彩られた、フォーキー・アンビエント(〜フリー・ジャズ)な40分のワン・トラック・アルバム。一昨年の細野晴臣トリビュート盤でのカヒミ・カリィとの“風来坊”も素晴らしかったが(あのスティール・ドラムの音色が今でも夢の中で鳴っているようです)、彼の作品中で最も好きな一枚かもしれないという予感があって、ゆっくり聴き込んでみようと思っている。音楽の美しさに心が真空になる瞬間を求めて(キングス・オブ・コンヴィニエンスの“24-25”にはそんな感じがあるのです)。本来であれば、僕自身もアプレミディ・セレソン武田による推薦文をじっくり読んでみたいのだが、とりあえずタイミング的に、まずはここで紹介させていただくことにした。
そしてもう一枚、音楽について文章を書くときに、最近「心」という言葉を使いすぎているかな、と思っていた矢先に、CDショップで不意討ちのように出会ったイアン・オブライアンの編集盤『KOKORO』。昨年出たDJミックス盤『mi-mix』は、あの“NATURAL KNOWLEDGE”を筆頭に彼の変拍子トラックを熱烈に愛する僕には7割の満足度だったが、イアン自ら「自分の魂の一部」と語る選りすぐりのナンバーばかり揃ったこのコンピレイションは、まさに裏ベストと言っていい充実ぶりが嬉しい。
何と言っても“MONKEY JAZZ”をCDで聴けるというだけでも、この盤の価値は絶大だろう。彼にとっては“MAD MIKE DISEASE”と並ぶUR/マッド・マイクへのオマージュであり、ワールド・2・ワールド〜ギャラクシー・2・ギャラクシーの遺伝子を継いだ、これぞ“HI-TECH JAZZ”の理想的なクローンと言えるエレクトロ・ジャズの名作だ。
リミックス・ワークでは、ジャザノヴァ流のテック・ハウスとして高い評価を得た“DAYS TO COME”を、イアンらしいフロアが燃えるシャープなビートに仕上げているのはもちろん、ジョン・コルトレーンの名曲“NAIMA”を女声コーラスとフェンダー・ローズ、フルートをフィーチャーして都会的かつ爽やかで麗しいダンス・チューンに仕立てているのも注目。ちょうど4ヒーローもこの曲をカヴァーしたブロークンビーツ全盛の頃、ウエスト・ロンドンのローズ・オブ・モーションから発表されたこのヒプノティック版のリミックスに、彼は自分から名乗りを上げたのだという。
『THE SOUL OF SCIENCE』の編纂コンビであり、ビューティー・ルームでもコラボレイトしたアズ・ワンことカーク・ディジョージオとの共作“NIGHT ON THE PROMENADE”も、両者らしいジャズ〜フュージョン色の濃いメロディアスでコズミックなロマンティシズムが香るが、このコンピの目玉とも言えるだろうロス・ヘルマノスとの共作を含む新曲・未発表曲はどれもピュアなデトロイト・テクノ直系のスタイル。そんな中でも最新作だという“THE NIGHT BEFORE”は、僕好みのメロウでスペイシーでアンビエントな作風だ。
いずれにせよ、ここに収められているのは、ダンスフロアで「心」を感じられる、人間味に満ちたトラックばかり。“The Password Is Courage”という大きくうなずけるメッセージを胸に、身体を揺らし、宇宙に思いを馳せることにしよう。

2009年10月上旬

MILES DAVIS / KIND OF BLUE
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


深まりゆく秋。そんな夜長に何か一枚というようなとき、何を今さらと言われるかもしれないが、僕は2009年、このアルバムをいちばん手にしている。静かな思索のひとときに、「孤愁」の青い夜に、哲学的な佇まいで遠い星の輝きのように響く。
ジャズの名盤ガイドなどでは、判で押したように、マイルスとコルトレーンがモード・ジャズ芸術を確立した記念碑と崇められているこの作品だが(そのわりに肝心のモード・ジャズについての説明が煮えきらないことが多くて、若い頃の僕はもどかしく感じたものだ)、個人的なリスニング体験を綴った文章には意外に出会ったことがない。僕がこの秋よく針を下ろしているのは“BLUE IN GREEN”と“FLAMENCO SKETCHES”。目を閉じて聴いていると、一音一音の美しさが神経を和らげるように染みてきて、まぶたの中に深遠な小宇宙が広がる。どちらの曲もマイルスのミュート・プレイはもちろん、ビル・エヴァンスの真珠のようなリリカルなピアノが優しく空気を震わせる。ディスクガイド「Jazz Supreme」ではNujabesも、“FLAMENCO SKETCHES”を推薦して、「マイルスのトランペットは脳の後ろ側からサラウンドに響き渡り、神経をゆらがせてくれる」と書いていた。静寂に溶け込むような“BLUE IN GREEN”は、僕が1992年に初めて手がけたTokyo FMの選曲プログラム「サバービアズ・パーティー」の後枠の、山田詠美さんの番組のタイトルがこの曲名だったことを、あるとき懐かしく思い出した。考えてみればとても詩的な言葉で、ひどく真夜中に相応しいネイミングだな、と今になって感心する。
思えば「ジャズで踊る」シーンに夢中だったその頃は、まず耳を奪われたのがオープニングの“SO WHAT”だったのも懐かしい。ロニー・ジョーダンがこの曲の渋いジャズ・ギターによるカヴァーで登場してきたときは震えが来た。同世代の音楽仲間ほとんどがそうだったに違いない。そしてその後15年以上にわたって最も好きだったのは“ALL BLUES”。中毒性の高いモーダル・ワルツの珠玉の名品だが、今秋そのトップ・フェイヴァリットの座を前述2曲に譲った、というわけだ。僕が歳をとったからなのか、人生に疲れたからなのか。
ジャズ至上に燦然と輝くこの名盤中の名盤は今年でちょうど50歳を迎えた。財布に余裕のある方は50周年記念ボックスを手に入れるのがいいだろうが、安く出廻っている中古盤でもいっこうに構わない。ジャズ・ファンならずとも、今一度ぜひ耳を傾けてほしい。あまりによく聴くので僕は輸入盤CDも買った。最近は朝起きてまず最初に聴く一枚にもなっている。秋ぐらい、こんな一日の始まりがあってもいい。

LLOYD MILLER / A LIFETIME IN ORIENTAL JAZZ
加藤和彦 / パパ・ヘミングウェイ
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


そして『KIND OF BLUE』の後によく聴くのが、最近ジャズマンが編集したロイド・ミラーのベスト盤『A LIFETIME IN ORIENTAL JAZZ』で、と話を進めるつもりだったが、加藤和彦氏の遺書の内容を知って、原稿を急遽さしかえることにした(10/20)。オリエンタル・モード・ジャズの至宝ロイド・ミラーについては、5月上旬のこのコーナーで僕が強く推薦しているので、ぜひそちらを読んでみてほしいが、今回のコンピレイションはさらに曲の粒が揃っている。
ポジティヴで社交的ながら、自分の美学には厳格でひどく繊細だったはずの加藤さん(面識はないが、そう呼ばせていただく)は、命をかけて、僕たち音楽好きに警鐘を鳴らしてくれたのだと思う。「一生懸命音楽をやってきたが、音楽そのものが世の中に必要なものなのか、自分がやってきたことが本当に必要なのか疑問を感じた。もう生きていたくない」──これを読んで何も感じない音楽業界の人間を僕は信じない。彼の熱心なファンだったとは言えない僕だが、ひりひりした切迫感に胸が痛む。
“あの素晴らしい愛をもう一度”は小学生の頃から大好きだったが、彼のソロ・アルバムは、僕が高校生だった1983年の『あの頃、マリー・ローランサン』を最後に聴いていなかった。個人的にいちばん好印象を抱いていたのは、1979年作の『パパ・ヘミングウェイ』。いわゆる「三部作」の最初の一枚で、タイトルが示唆するように、バハマはコンパス・ポイント・スタジオでの録音も含むカリブ風味のアルバム。安井かずみの歌詞に惚れ込んでいた僕は、サウダージあふれる“MEMORIES”という曲に入れ込んでいたのだが、今日、夕暮れどきに聴き返していて、その曲の口笛が流れてきた瞬間、涙があふれそうになった。1989年にリイシューされた際のCDジャケットは、金子國義による鮮やかなペインティングが素敵なので、私物をスキャンして[staff blog]のページに掲げることにする。明日からはカフェ・アプレミディにも飾ることにしよう。ボブ・ディランの“DON'T THINK TWICE, IT'S ALL RIGHT”を聴いてギターを始めたという、稀代のスタイリストの死を悼んで。
加藤さんにはもうひとつ、僕の心に深く染みてきた言葉がある。2002年に彼自身が選曲した作品集『MEMORIES』の帯キャップに寄せられた文章だ──「私にとって、これは単なる思い出に過ぎないが、思い出が人生にとって重要な、そして意味のあるも
monthly recommend - -
橋本徹の推薦盤(2009年10月下旬〜2010年1月下旬)
 2009年10月下旬

WILLIAM FITZSIMMONS / THE SPARROW AND THE CROW
ANDRES BEEUWSAERT / DOS RIOS
TRUS'ME / IN THE RED
GRAND UNION / THROUGH THE GREEN FUSE
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


もうこれから先は、音楽より本の方が沁みてくるのかな、なんて思いながらマイルス・デイヴィスの『IN A SILENT WAY』をリピートしてひたすら読書する3日間をすごしていたのだが(偶然「悲しき熱帯」を再読)、1週間ぶりにCDショップに行って購入した新譜がどれも僕を待ちかまえてくれていたような素晴らしいものばかり。感謝の意を込めて、その魅力を順にお伝えしていこう(いや、本当に素晴らしいんです)。
好きなミュージシャンとしてニック・ドレイクやエリオット・スミス、ホセ・ゴンザレスといった名を挙げているというだけでも信頼できるウィリアム・フィッツシモンズは、アメリカのフォーキーな男性シンガー・ソングライター。キングス・オブ・コンヴィニエンスの新作に惹かれた方に、というキャプションも目にしたが、僕にとっては彼らや来たるべきビルド・アン・アーク、あるいはモッキーやフィンクなどと並んで年間ベスト・アルバム候補だ。優しく心を慰撫するように、その情感がじんわりと染みてくる、目を閉じてじっくりと向き合いたい作品で、実体験が歌になっていることがリアルに伝わってくる。“This record is dedicated to those with a broken heart, and those who have broken the heart of another”──繊細な傷ついた心の先に、深い鬱に沈んでいるときさえ優しい希望の光がのぞくようなアルバムだ。
プリシラ・アーンの美声とのデュエットで聴かせる“I DON'T FEEL IT ANYMORE (SONG OF THE SPARROW)”。ピアノとアコースティック・ギターが琴線に触れる“WE FEEL ALONE”、心の奥深くまで思いが染みわたるようなアコースティック・ミディアム・グルーヴ“FURTHER FROM YOU”は、共に涙なしに聴けない名曲だ。静謐なピアノが胸を震わせる“EVEN NOW”や、バンジョーの爪弾きにやはりプリシラ・アーンがコーラスで寄り添う“YOU STILL HURT ME”なども耳に残るが、何と言ってもエンディングが素晴らしい。エリオット・スミスの“WALTZ #2”を思い出さずにいられない、泣けるアコーディオンも印象的な“FIND ME FORGIVE”から、最後に置かれた優しくポジティヴなメッセージ“GOODMORNING”への展開は、何度聴いても感情があふれそうになる。哀しみの果てに光が射してくるような、こういう物語だからこそ、感動に打ち震えてしまうのだろう。蛇足ながら歌詞を引用する。
Moonlight will fall. Winter will end. Harvest will come. Your heart will mend. Goodmorning. You will find love.
さて、ウィリアム・フィッツシモンズに負けず劣らず素晴らしいアルバムを届けてくれたのがアンドレス・ベエウサエルトだ。個人的に今いちばん好奇心を惹かれ、追いかけたいと思っているのがいわゆるアルゼンチン・フォルクロリック・ジャズのシーンで、カルロス・アギーレやセバスチャン・マッキ〜クラウディオ・ボルサーニ〜フェルナンド・シルヴァ(惚れてます)、プエンテ・セレステそしてアカ・セカ・トリオといったネオ・フォルクローレとも言われる一派だが、アカ・セカ・トリオのピアニストであるアンドレス・ベエウサエルトが発表したばかりのこの作品は特別だ。
ピアノにチェロやソプラノ・サックスが加わるスピリチュアルな室内楽的アンサンブル、儚い浮遊感を漂わせるヴォイシングに音響派的な隠し味、ミナス・サウンドにも通じるたおやかさが夢の中へ、太古の記憶へと誘う。瞑想感と覚醒感、そして郷愁が不思議に混じり合い、透明で幻想的な幽玄の美を描き出す。トニーニョ・オルタやパット・メセニー、中島ノブユキとカントゥス、モーリス・ラヴェルやアントニオ・カルロス・ジョビン、そんな名前を引き合いに出したくなるが、何よりも粛々としていながら艶かしい、究極の憂愁ピアノ・アルバムとして推薦できる。とりわけ“DOS RIOS”から“MADRUGADA”への流れは絶品中の絶品で、どこまでも穏やかに心を落ちつかせてくれる。典雅で祟高なカヴァー曲のレパートリーがエドゥアルド・マテオにクラウス・オガーマンというのも僕にはたまらない。天空を舞うような女性ヴォーカルが映える“CARACOL”のエスニックな美しさも格別だ。
こんな音楽が静かに流れている美術館やギャラリーがあったらいいなあ、と強く思うアンドレス・ベエウサエルトの『DOS RIOS』は、曇りや雨の日に家にいると、一日中ぼんやりと何もしないで聴いていられるアルバムだが、僕は夜も深い時間、ウィリアム・フィッツシモンズの前に聴くことも多い(というか、このところ毎日そうしている)。ちなみにこの2枚の素晴らしい作品を、僕は改装されたHMV渋谷店の3Fで知った。最近では珍しい、ジャンルを横断して(侘びさびの)テイストでスタイリングされた素晴らしいコーナーができていたのだ(ゴールドムンド的なポスト・クラシカルな雰囲気のピアノ・アンビエントとホセ・ゴンザレスを思わせる黄昏フォーキーな作風を行き来するピーター・ブロデリックの横に、クロノス・カルテットによるビル・エヴァンス作品集が並べられたりしているのだから見事です)。その後、やはりこの売り場のファンだという松浦俊夫とも顔を合わせたが、こういう志と試みのあるCDショップが増えることを、僕らは切に願っている。
そういえばHMV渋谷店にはもともと、マーヴィン・ゲイやスモーキー・ロビンソンをサンプルしたリエディット・シングルや、ファースト『WORKING NIGHTS』を愛聴していたトラス・ミーのセカンド『IN THE RED』を買いに出かけたのだったが、これがまた、黒いグルーヴに貫かれていた前作に輪をかけて素晴らしかった。マンチェスターのセオ・パリッシュ、という異名の面目躍如。と同時にムーディーマンを思わせるようなソウルフルなメロウネスが僕には嬉しい。デトロイト・ビートダウンの傑作群の中に置いても、最も洗練され黒光りするだろう珠玉のビートダウン・ハウス。
エレクトリック・ピアノとベース・ラインが際立つ、ビル・ウィザース“CAN WE PRETEND”のカヴァーから“PUT IT ON ME”へ、という共にアンプ・フィドラーが歌うオープニングのメドレーがまず最高。続く“BALL ME OUT” は、ストーンズ・スロウから発表したばかりの『TOEACHIZOWN』で話題沸騰中のデイム・ファンクとのクリスタル・メロウなコラボレイション。いかにもカリフォルニア的な、そしてジュニーやザップを思い起こさせるデイム・ファンクのスペイシーなエレクトロ・ブギーより、僕はやはり英国のブラック・ミュージック愛好家らしいセンスのトラス・ミーを愛するが、この曲は両者の個性の絶妙な融合だろう。デトロイトのピラーニャヘッドとの共演によるタイトル曲も、コズミック・アフロ・ブロークン・ジャジー・ハウスとでも形容したい熱い好コラボで、シカゴ・ハウスの要人シェ・ダミエとの“NEED A JOB”も、中毒性の高い骨太なビートにトランペットとパーカッションが躍動する逸品だ。ラストは自分を支えてくれた母への感謝の思いを込めトラス・ミーがひとりでトラック・メイキングした“SWEET MOTHER”。信頼すべき名を持つアーティストの魂が添黒の闇で紅く燃えるようなアルバムは、そのタフで温かいグルーヴで幕を閉じる。
追記:僕が帯キャプションに推薦文を寄せたグランド・ユニオンの『THROUGH THE GREEN FUSE』も、ようやく店頭に並んでいました。ジャイルス・ピーターソンやノーマン・ジェイも気に入ってヘヴィー・プレイしているという話を聞きましたが、先日久しぶりに酒宴を共にした山下洋も、「あのペンタングルみたいなバンド」(!)と大絶賛していたことを付け加えておきましょう。詳しくは今回BENがこのコーナーで紹介しますが、僕の短い文章もここに引用しておきます。
ジャズとフォークが隣接する英国の音楽シーンの伝統を汲んだ、とてもアシッド・ジャズ・レーベルらしい新たな名作の誕生。60年代後半を思わせるヒップでサイケデリックな空気感、リズムのニュアンスはファンキーかつこまやかで、クール&アンニュイな女性ヴォーカルに弦楽器が織り込まれる翳りと愁いを帯びた幻想性が素晴らしい。とりわけジャイルス・ピーターソンも推薦する「Morning Brings The Light」は、アコースティック・ワルツ・グルーヴの名品。

THE KINKS / PRESERVATION ACT 1
MICHAEL DEACON / RUNNIN' IN THE MEADOW
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


ついこの間、良質なカタログが揃うことでジャズ・ファンには定評のあるミューザックのオフィスで、年明けリリース予定のフリーダム・レーベルの編集盤『FREEDOM SUITE』の打ち合わせをした後、そのままワインを開けて食事でも、とホーム・パーティーのような雰囲気になった。届いたばかりのベン・シドランによるボブ・ディラン・カヴァー集などを流しながら、楽しい談笑のひとときをすごしたが、もう帰り際にミューザック代表の福井亮司さんが何気なくかけた一曲が僕の耳をとらえた。ずいぶん久しぶりに聴いたキンクスの“SITTING IN THE MID-DAY SUN”。昔から大好きな曲だったが、何かに似ている、と胸さわぎを禁じえなかった。そう、これはAメロから終わりのコーラスまで、ブッカー・Tの“JAMAICA SONG”の兄弟のような曲なんですね。
“JAMAICA SONG”は春頃からCMソングに使われ人気を博し、この曲を唯一収録したCDとして『FREE SOUL COLORS』が再び注目されるきっかけを作り、フリー・ソウル15周年記念デラックス・エディションの呼び水のひとつともなった「みんな大好き」ピースフルな名作。キュビズモ・グラフィコ&櫛引彩香からエミ・マイヤーまでがカヴァーし、聴いたことはないがハナレグミも歌っていると女友だちが教えてくれた。
というわけで、その曲にそっくり、と気づいてしまった以上、キンクスも紹介しないわけにはいかない。僕にとって彼らの最高傑作は『サムシング・エルス』か『ヴィレッジ・グリーン』、と20年以上信じ込んでいたけれど、改めて聴き直すと『PRESERVATION ACT 1』もなかなか(確か『ヴィレッジ・グリーン』を下敷きにしたアルバムのはず)。“SITTING IN THE MID-DAY SUN”は邦題も“日なたぼっこが俺の趣味”と最高で、山下洋も愛唱歌にしていると最近知った。
10/31にカフェ・アプレミディで行われた加藤紀子&カジヒデキのライヴでも「陽だまり」がMCのキーワードになったり、それに続くp-4kのCDリリース記念パーティーでも陽だまりの中、この曲をDJでかけたら、昼下がりのサウンドトラックに相応しくこの上なく気持ちよくて、無性に嬉しくなってしまった。僕がこの半月の間、すっかり“日なたぼっこが俺の趣味”に取りつかれてしまったのは、そんな経緯があったからで、吉本宏とはジョシュ・ラウズの“QUIET TOWN”やジョルジオ・トゥマの“MUSICAL EXPRESS”をプレイしながら、これからは昼間のDJパーティーを増やしたいね、と意気投合したりもした。
そんな気分を抱いてHMV渋谷店に行ったら、今回アプレミディ・セレソン店長の武田が紹介するカレン・ラノが「“陽だまり系”フォーキー・ジャズ・ヴォーカル」という惹句で大プッシュされていたのも、シンクロニシティーを感じて嬉しかった。美しい逆光のジャケットに包まれた彼女のそのアルバムも、確かにニール・ヤングやトム・ウェイツのカヴァーからオリジナル曲まで好感度大だが、僕はそのとき別の「陽だまりの大名盤」とでも言うべき決定的な一枚と出会ってしまった。それがここで全身全霊を賭けて推薦したいマイケル・ディーコンの1975年作『RUNNIN' IN THE MEADOW』だ(アルバム・タイトルも何となくペイル・ファウンテンズ的で好きだなあ)。
マーク・ヘンリーを始めとする一連のミネアポリスのシンガー・ソングライターの復刻CDの中でも、これは本当にとびきりの素晴らしさ。初めて“GIVE WHAT YOU CAN”という曲を聴いたときは心が踊り出して、すぐに誰かに電話して、その感激を一刻も早く伝えたくなってしまったほど。ソウルとジャズとフォークとボサが溶け込んだメロウな風合い。切ないピアノに心地よいギターの刻みと管や弦のアレンジ、心洗われるメロディーが風のように流れゆく。敢えてよく似た空気感のアーティストを挙げるなら、ジェシ・コリン・ヤングとブルース・コバーンとケニー・ランキンとフィフス・アヴェニュー・バンド、それにシュガー・ベイブ。“GIVE WHAT YOU CAN”と並ぶ名曲“WET AND ALIVE”、さらに“BEEN CARRYIN' A SONG”“WON'T BE LONG”“TREASURE THE WORLD”“WIND RIVER CHILDREN”“QUIET LADY”……とにかく素敵な、心疼かせる曲、胸を打つ曲のオン・パレードで、ボーナス・トラックも4曲。ぜひとも聴いていただきたい、という純粋な気持ちが多くの音楽ファンに伝わることを祈って。
追記:次回はこれまた素晴らしすぎる、ビルド・アン・アークの新作『LOVE』や、ノスタルジア77・プロデュースによるジェブ・ロイ・ニコルズの絶品ジャズ・フォーク・アルバム『STRANGE FAITH AND PRACTICE』について書こうと思います。

2009年11月上旬

BUILD AN ARK / LOVE
JEB LOY NICHOLS / STRANGE FAITH AND PRACTICE
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


パーフェクト。素晴らしすぎる。結実、という手応え。オープニングのタイトル曲のイントロのピアノが流れた瞬間、世紀の名盤と確信した。
「人生に肯定的で心に伝わる音楽の、制作と支持のために精力的に活動する」(ディスクガイド「Jazz Supreme」より)男カルロス・ニーニョが全身全霊を込めた一枚。フィル・ラネリンやドゥワイト・トリブルといった伝説のミュージシャンから、デイモン・アーロン/ミア・ドイ・トッド/ギャビー・ヘルナンデスなどソロで活躍するアーティストまでが、まるでファミリーのように集まったLAのスピリチュアル・ジャズ・コレクティヴ、ビルド・アン・アークの2年ぶり3作目。深い感銘を受けたJ・ディラ・トリビュート作『SUITE FOR MA DUKES』(僕が書いた5月下旬のこのコーナーをぜひご覧ください)のスピリチュアルな室内楽風アンサンブルに大きな貢献を果たしていた、ミゲル・アットウッド・ファーガソンの存在感が増しているのにも、強い必然を感じる。
先行シングルになった“THIS PRAYER: FOR THE WHOLE WORLD”は、何度聴いても胸が熱くなる、一生忘れることのない2009年のアンセムだ。生に対する歓喜も哀切も、爽やかさも儚さも、力強いスウィングの中にすべて含まれている。それに尽きる。続いてはトライブ時代のフィル・ラネリンの代表作“HOW DO WE END ALL THIS MADNESS?”(このタイトルは現代に生きる人間にとって不可避のテーマだろう)のカヴァーから、サン・ラと彼のアーケストラに捧げられた“PLAY THE MUSIC!”へのメドレー。そしてドゥワイト・トリブルが切々と感極まるように歌う“CELEBRATE”に続いて、僕の生涯の愛聴盤、ヴァン・モリソンの『ASTRAL WEEKS』から“SWEET THING”がカヴァーされる。これも涙が出るほど嬉しかった。
フルートやバスーン、フレンチ・ホルンが印象的な“SUNFLOWERS IN MY GARDEN”も、穏やかに心を鎮めてくれるワベリ・ジョーダンによる名曲だ。続くのはインタールード的にアダプトされたファラオ・サンダース“LOVE IS EVERYWHERE”。あの“THE BLESSING SONG”のマイケル・ホワイトがヴァイオリンを奏でる“WORLD MUSIC”から、やはり鎮魂と慈愛の調べ“WORLD PEACE NOW”、やがてゆっくりとポジティヴな感動が沸き上がる“MAY IT BE SO”、カーメン・ランディーをフィーチャーした“MORE LOVE”へのエンディングもこの上なく尊く美しい。
桃源郷を描いたようなマシーンによるグラフィックも、この「愛の組曲」に相応しいアートワークだ。ラヴ&ピースという、本来は慎重に扱うべきフレーズで讃美することに、何のいやらしさのかけらも感じない。迫真的であると同時に詩的なこのアルバムを聴き終えて、僕はワールズ・エクスペリエンス・オーケストラの“THE PRAYER”という曲を無性に聴きたくなったが、とにかく、ただただ素直な心で耳を傾けていただければ、この音楽の力は伝わるだろうと思う。蛇足ながら付け加えると、CDの帯キャップにはこんな言葉が綴られている──「この世界の美しさのすべて/人々の喜び/安寧と創造、それらを愛してやまぬこの思いはどこへ向かうのか。祈りと祝福と瞑想が創りあげた、比類なき愛の音楽」。
僕はこの音楽を信じる。
追記:ビルド・アン・アークのカルロス・ニーニョと並んで、クラブ・ジャズ界隈で僕が音楽ファンとして信頼に値すると思える貴重なアーティストと言えるのが、ノスタルジア77のベン・ラムディン(その他の日欧のDJ諸氏などは、僕には小賢しいビジネスマンのようにしか見えません)。彼が制作したジェブ・ロイ・ニコルズの『STRANGE FAITH AND PRACTICE』が本当に素晴らしいことも、ここで改めて強調しておきたいと思います。英国ならではのジャズとフォークの出会い、ジャズとフォークの蜜月。侘びさびというか、枯れた味わいゆえに心温まる、ベン・ラムディンのプロデュース・ワークの中でも屈指の絶品です。ずっと繰り返し聴いていられ、聴けば聴くほど飽きることなく、聴けば聴くほど言葉にするのが難しい──というわけで、僕よりニュアンス豊かなアプレミディ・セレソン武田の文章で紹介してもらうことにしましたので、ぜひそちらを読んでみてください。僕的には、その空間性に富んだリズムの音質に、飽きない魅力の秘密があるような気がしているのですが。

ジャン=リュック・ゴダール / 気狂いピエロ(DVD)
ルイ・マル / 鬼火(DVD)
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


「気狂いピエロ」が¥1,500でDVD化されたと知ったら、紹介しないわけにはいかない。リニューアルされたHMV渋谷店の3Fに単行本「公園通りの春夏秋冬」と一緒に並べられていた。その後タワーレコード渋谷店に行ったら、お洒落映画の代表、というようなキャプションが添えられていて、卒倒しそうになった。これほど胸かきむしられる、切実で悲痛な愛の映画はない、と20年以上信じ込んでいたから。
愛の誠実を信じる男が翻弄され裏切られてもなお惹かれ追いかけてしまう宿命の女(ファム・ファタール)への絶望的な恋を描いた、ゴダール映画の最も美しく残酷な瞬間。鮮烈な赤や青の原色とロマンティックな音楽、奔放なアクションと自分への問いかけのような内省的なモノローグをまとった、どこか祝祭的で躍動感に満ちた冒険活劇(逃避行)は、ロマン主義的な恋愛幻想と、不信感・倦怠・破滅願望が激しく交錯する。僕は高校生だった1983年のリヴァイヴァル上映のときに初めて観たが、その強烈な印象が記憶に焼きついて離れない。現れては消える光・色・文字・音──それはめまいのような112分だった。
アンナ・カリーナの美しさ、奔放さ、魅惑的な目くばせも衝撃的だった。彼女が口ずさむ“いつまでも愛するとは言わなかった”“私の運命線”のふたつの歌のシーンもあまりに素晴らしい。劇中でジャン=ポール・ベルモンドがつぶやくように、「彼女がいると音楽が鳴る」(……それが恋というものでしょう)。そして絶望を誘う眼差しと意地悪な微笑み。
かつての恋人と再会し、再び恋に落ちるという設定、恋とは無為のものであるべきだ、無為であるほど純粋で美しいという考えも、この映画を観て僕の中でオブセッションになったのかもしれない。ゴダール(とカリーナ)の男女の愛の哲学、ふたりの愛の葛藤と恋の矛盾が滲みでたような一本、とは言いすぎだろうか。「気狂いピエロ」の撮影時、すでに私生活では別れていたふたりだが、ゴダールの希望で監督と女優としての関係は続けられていた、と知ったのは大学生になって自由が丘の名画座で「勝手にしやがれ」との併映で再観したときだったが。
改めて観直してみても、本当に自由で、映画的昂揚にあふれた作品だと思う。眩しいほどのポップ・アート性や引用のコラージュ(確かにお洒落かもしれない)、イメージの飛翔の鮮やかさにも目を奪われる。ピカソ、ルノワール、モディリアーニなどの絵の挿入も効果的だが、やはり今の僕が刮目してしまうのは、めまいのように押し寄せる文学や詩の一文一文。中でも何度観ても言葉を失ってしまうラスト・シーンの、アルチュール・ランボーの「地獄の季節」の一節は、いつまでも忘れることはないだろう。
顔に真っ青なペンキを塗りつけたベルモンドが、黄色と赤のダイナマイトを巻いて導火線に火をつける。我にかえってあわてて消そうとするが間に合わない。すぐに大きな爆発音が鳴り響き、島に黒煙が立ちのぼる。白く輝く地中海の水平線上をカメラはゆっくりと右にパンしていき、しばしの静寂が訪れる。この静寂の何秒かが、僕の胸を引き裂くように締めつける。「瞬間と永遠」──太陽と海が溶け合うとき、虚空にランボーの詩が流れる。
追記:タワーレコード渋谷店ではルイ・マル監督の「鬼火」も¥1,890で売っていて、「こんなに安いんだ」と僕は古いヴィデオ・テープを持っているのに思わず購入して、じっくりと観直してしまった。1960年代のパリの光景。モノクロームの映像と淡々とした演出。この映画を観るのは3度目で、初めて観たときからやはりラスト・シーンの刹那に言葉を失ったが、今回がいちばん深く、ゆっくりと胸に沁みてきたような気がする。アルコール依存症と晴れない霧のような鬱。絶望と自己憐憫。女たちの優しさ。フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」「夜はやさし」。何げなく語られる「女は現実的な愛が好きだから」という台詞。そしてエリック・サティの音楽。“ジムノペディ”と“グノシエンヌ”が流れ続けるこの映画の音楽を集めたCDがあったなら、僕はひと晩中、繰り返し聴くだろう。
透明な哀しみで包まれる孤独の音楽。ルイ・マルが深いセピア色のフィルムに描き留めた、青春の蒼き幻影を抱いたまま自らの命を絶つ男の2日間。傷つきやすい魂の鎮魂歌のように、男の空虚な心情を静かに伝えるエリック・サティの儚いほどに美しいピアノ曲が淡々と流れ続ける。やがてゆっくりと訪れる、限りなく静謐な結末を予告していたかのように。(「Suburbia Suite; Future Antiques」より)

2009年11月下旬 

SEBASTIAN MACCHI - CLAUDIO BOLZANI - FERNANDO SILVA / LUZ DE AGUA
BELEN ILE / SOMBRA DE OMBU
BALMORHEA / RIVERS ARMS
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


奇跡の一枚が少数ながら奇跡の入荷! 初めて聴いたときから惚れ込み、夢中になり、そして聴くほどにマジカルな美しさを放つアルバム。カルロス・アギーレへの憧憬・共感が「素晴らしきメランコリーの世界」を描くアルゼンチンのピアニスト、セバスチャン・マッキがフアン・L. オルティスの詩に音楽をつけた、小さな珠玉のような2005年の作品。そのささやかなピアノのきらめき、ゆっくりと胸に染み込むクラウディオ・ボルサーニの歌、フェルナンド・シルヴァのコントラバスやヴァイオリンチェロ(アンドレス・ベエウサエルトの『DOS RIOS』でも印象的でしたね)も魔法のようだ。カルロス・アギーレのレーベル「SHAGRADA MEDRA」のCDは、いつも造形から紙質・発色まで凝った装丁の素晴らしさに感激するが、これはとりわけ愛おしい詩集のような佇まいで、一生の宝物にしたくなる。『水の光』というタイトルもこの音楽の美しさをシンプルにさりげなく表現していてあまりに素敵だ(ジョイスの『水と光』を思い出しますね)。
オープニング曲“ROSA Y DORADA...”のエンディングで聴ける、古いイタリア映画のような語りと真珠のようなピアノに耳を澄ませてほしい。僕は何度聴いても、その美しさに言葉を失う。続く“NO ERA NECESARIO...”も高音ピアノの澄んだ響きが聴こえる瞬間、何かに打たれたように恍惚となる。まさに水の光がゆらめくような極めつけの一曲“FUI AL RIO...”の気の遠くなるような美しさは、とても僕などには言葉にできない。その曲と共にセバスチャン・マッキがしみじみと歌う“RAMA DE SAUCE”ではカルロス・アギーレもギターを弾き、フェルナンド・シルヴァはビリンバウを奏でる。そしてメランコリックなピアノに始まる“CLARIDAD, CLARIDAD”でアルバムは穏やかに幕を閉じる。
カルロス・アギーレのファーストと並ぶ、「心の調律師」のような音楽。大好きなミナスのアーティストやカエターノ・ヴェローゾのレコードの中にも、これほどエレガントで優しい無常感を伴って胸に沁みとおってくる音楽との出会いはなかった。ひとり物思いに耽る時間にはもちろん、美しく物静かな女性へのプレゼントとしても最良のアルバム。そのときに備え、僕はシールドで2枚ストックしている。
『LUZ DE AGUA』より2割ほどテンション高めだけれど、やはりカルロス・アギーレ・コネクションから、彼の秘蔵っ娘という印象さえ抱くブエノスアイレス生まれの女性シンガー・ソングライター、ベレン・イレーの2008年のデビュー作も、この機会に紹介しよう。アギーレはもちろんフェルナンド・シルヴァ、フアン・キンテーロやアンドレス・ベエウサエルトといったアカ・セカ・トリオのメンバーがサポートしているのだから見逃すわけにはいかない。ジャズ〜クラシック〜現代音楽の素養にボサノヴァやフォルクローレなどのアコースティック・グルーヴが溶け込む、パンパに吹くゆるやかな風のような一枚だ。
1曲目の“ESTAMPA DE RIO CRECIDO”からカルロス・アギーレ節と言いたくなるピアノの旋律が耳をとらえる。続いて登場するグルーヴィーでしなやかな“EL VIENTO EN LA CARA”を耳にする頃には、誰もがアルゼンチンのジョニ・ミッチェル、もしくはアルゼンチンのジョイス、という形容を思い浮かべるだろう。そして絶対に聴き逃すことができないのは、隣国ウルグアイの偉人エドゥアルド・マテオのカヴァー“LA MAMA VIEJA”。この曲の後半で聴けるアンドレス・ベエウサエルトによる神がかったようなピアノ・ソロは、まさしく絶品という他ないのだから。
最後にもう一枚、カルロス・アギーレやセバスチャン・マッキを愛する方に、特別にお薦めしたい一枚を。ピアノとギターによるテキサスのデュオ、バルモレアの2008年発表のセカンド・アルバムで、ヴァイオリンやチェロ、ベースが加わる室内楽風アンサンブルに、エリオット・スミスの“WALTZ #1”を思わせる夢の中へ誘うようなクラシカルなメロディー・センスが素晴らしい。トータス周辺のプルマンを彷佛とさせる、というキャプションに惹かれ買ってみたが、特筆すべきは効果音の音色や使い方が醸し出す、遠い記憶がよみがえるような余情感で、Nujabesなら“AFTER HANABI”、Uyama Hirotoなら“ONE DREAM”という感じの叙情美あふれる世界が、冒頭の名曲“SAN SOLOMON”から広がる。『MELLOW BEATS, FRIENDS & LOVERS』の2曲目に収録したno.9の“AFTER IT”を連想せずにいられない、ピアノと弦楽器がセンティメンタルに胸を突く“THE WINTER”や物憂い感傷に包まれる“LIMMAT”、優しくポスト・クラシカルな風合いの“BALEEN MORNING”、小川のせせらぎのようなエリック・サティ風の“THEME NO.1”などは、アンドレス・ベエウサエルトやクレプスキュール・レーベル、初期ドゥルッティ・コラムにも通じる魅力を湛え、雨音のSEから情景が浮かぶ“DIVISADERO”にはネオアコ心が疼き、「雨と休日」という言葉をつぶやいてしまう。
実はこの愛すべきアルバム、去年の暮れに友人の吉本宏が「shibuya B+2通信」というフリーペーパーで推薦していたことを、昨夜知った。何てことはない、燈台もとくらし。彼はYouTubeの映像で、バルモレアのライヴがビーチ・ボーイズの“GOD ONLY KNOWS”が流れる中、“SAN SOLOMON”で幕を開けるという、嬉しくなるようなエピソードも教えてくれた。
追記:フアナ・モリーナやモノ・フォンタナとの交流で、アルゼンチン音響派最重要人物と言われることの多いアレハンドロ・フラノフの新作も届いたばかりです。まだ聴き込むのはこれから先ですが、一聴しただけで名盤の予感はたっぷり。思えば前々作の『KHARI』は個人的にかなりの愛聴盤になり(プエンテ・セレステの“PAMPA”へ連なっていくような、オープニングのムビラの響きが忘れられません)、去年の夏「ブルータス」誌のチルアウト特集で“深夜、自宅で心を鎮めるアルバム10枚”というテーマを与えられたときも、サン・ラの『SLEEPING BEAUTY』と共に真っ先にリストアップしたほどでした。
今回もシタールやムビラなどの民族楽器とエレクトロニクスが溶け合う、無国籍でデジャ・ヴュを誘う宇宙旅行のようなサウンドは健在で、スペイシーでオリエンタルでメディテイティヴでドリーミーな音像は猫のゆりかごのよう。CALMが標榜していた『ANCIENT FUTURE』という世界観を想起させます。アルバム・タイトルの『DIGITARIA』とは、地球上から見える最も明るい恒星として知られるシリウス座の星のことで、子供が生まれたばかりのフラノフが人生に託した希望を象徴しているそうですが、彼がときどきのぞかせるこういうロマンティックな一面が僕は好きです。ストラタ・イーストのスタンリー・カウエルやヒース・ブラザースとも太古の記憶で通じ合い、エセキエル・ボーラの新作(グレイ盤)『LAS COSAS DEL MUNDO』のエクスペリメンタルなアヴァン・フォーク感とも共振するこのアルバムの魅力は、この後アプレミディ・セレソン店長の武田が、快挙のリイシューが実現したエドゥアルド・マテオの幻のセカンドと共に詳しく紹介しますので、ぜひお読みください。

LAURA NYRO / SPREAD YOUR WINGS AND FLY: LIVE AT THE FILLMORE EAST
V.A. / CAFE APRES-MIDI CHRISTMAS
KENNY RANKIN / A CHRISTMAS ALBUM
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


日増しに寒くなるこの季節になると、毎年聴きたくなるアルバム。その筆頭が、2004年に陽の目を見た、ローラ・ニーロの1971年のNYフィルモア・イーストでの実況録音。真の意味でスピリチュアルな、歌の力。グランド・ピアノの弾き語りによる魔法のようなパフォーマンス。幼い頃からラヴェルやドビュッシーに親しみ、14歳のときにはニューヨークの街角でストリート・コーナー・シンフォニーを奏で、ハイスクール時代にはニーナ・シモンに心酔していた彼女ならではの一枚。ソウルフルで情感豊かで、少しずつ胸が熱くなる、心の奥にろうそくの炎が灯るような音楽。それは静寂と魂の息吹、都市の詩情があふれる純度の高い霊歌でもある。
このライヴ盤で初めて聴くことができた「秘宝」と言うべきオープニングの“AMERICAN DOVE”とエンディングの“MOTHER EARTH”が、ローラの音楽を愛する者には時を止めるような名曲だ。愛と平和を願う崇高なほどのメッセージ・ソングで、静かに神々しい光が射す。彼女の歌声は天が僕らに授けてくれた贈りもの、と敬虔な思いがこみ上げる。やはりピアノ弾き語りが素晴らしい1969年の『NEW YORK TENDABERRY』(ロマンをかきたてるタイトルですね)制作時にローラがギル・エヴァンスの編曲とマイルス・デイヴィスの参加を望んだとき、マイルスが「僕が付け加えるべきものは何もない」と彼女に告げたという痺れるエピソードがあったはずだが、その逸話はこのCDにも相応しいと思う。
同年の暮れにラベルとの共演、ギャンブル&ハフのプロデュースで発表される、僕の最愛の名盤『GONNA TAKE A MIRACLE』に連なるようなカヴァー曲もどれも聴きもの。考えてみれば、ローラほど多くのアーティストにカヴァーされ、また多くのアーティストの曲をカヴァーしたシンガー・ソングライターはいないかもしれない。マーヴィン・ゲイ&タミー・テレルの“AIN'T NOTHING LIKE THE REAL THING”、アレサ・フランクリン(キャロル・キング作)の“A NATURAL WOMAN”、ドリフターズの“SPANISH HARLEM”と“UP ON THE ROOF”、ディオンヌ・ワーウィック/アレサ・フランクリン(バカラック&デヴィッド作)の“WALK ON BY”、マーサ・リーヴス&ザ・ヴァンデラスの“DANCING IN THE STREET”、ファイヴ・ステアステップスの“O-O-H CHILD”……いずれも琴線を震わせる透き通るような名唱だ。そして自作のポジティヴなクリスマス・ソング“CHRISTMAS IN MY SOUL”。僕はこのアルバムを15年前の来日ステージの記憶をたどりながら、ひとり静かに聴くことが多いが、クリスマスの夜に愛する人とふたり、ベッドの中で聴くのもいいだろうと夢想する。
追記:僕が2005年に選曲させていただいたコンピレイション『CAFE APRES-MIDI CHRISTMAS』のフィナーレを飾るのも、ローラ・ニーロが厳かな祈りをこめて歌う“LET IT BE ME〜THE CHRISTMAS SONG”でした。他にもポール・マッカートニー、プリテンダーズ、ペイル・ファウンテンズ、ロータリー・コネクション(ミニー・リパートン)、フレンチ・インプレッショニスツ、ダニー・ハサウェイ、スリー・ワイズ・メン(XTC)、ロイ・ウッド、チェット・ベイカー、NRBQ、ジュリー・ロンドン、ナット・キング・コールなどの、本当にとっておきのクリスマス・ソングばかり25曲が並んでいます。今年も多くの皆さんに聴いていただき、たくさんの思い出が生まれますように。
また、6月に惜しくも亡くなられたケニー・ランキンの『A CHRISTMAS ALBUM』(僕が昨年、長いライナーを書きました)が、追悼の意と共に紙ジャケットで再登場しました。これ以上素敵な“JINGLE BELLS”を僕は聴いたことがありません。彼の歌声もまた、人間が天から授かったプレゼントだったに違いありません。天国のケニー・ランキンを思いながら、併せて推薦させていただきます。

2009年12月上旬

ORNETTE COLEMAN / AN EVENING WITH ORNETTE COLEMAN
CECIL TAYLOR / LIVE AT THE CAFE MONTMARTRE
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


2010年代最初の選曲CDは、ある種のマニフェストとして、僕にとって初となるフリー・ジャズ・コンピにしたいと決意して、日夜セレクションに励んでいる。やりきれないことばっかりだから(by ECD)レコードを聴いていた2000年代を弔うように。
植草甚一さんの「フリーダム・レコードはジャズの勉強にとてもいい」と題されたエッセイも忘れられない、アラン・ベイツ主宰フリーダム音源の編集盤だから、もちろんタイトルは『FREEDOM SUITE』(ラスカルズやヤング・ディサイプルズや山下洋も思い出してください)。僕は今日もまた『AN EVENING WITH ORNETTE COLEMAN』(『クロイドン・コンサート』の原題です)という具合だが、何度聴き返しても“CLERGYMAN'S DREAM”と“HAPPY FOOL”、どちらを収録するか選べない。鋭く胸に迫り、深く心を揺り動かすエモーショナルな何かを刻みつけるアルト・サックス。いっそ両方入れてしまおうか、とたびたび考えながら、このアルバムのオープニング、フルート/オーボエ/バスーン/クラリネット/イングリッシュ・ホルンの木管五重奏“SOUNDS AND FORMS FOR WIND QUINTET”を聴いて、カルロス・ニーニョ&ミゲル・アットウッド・ファーガソンの『SUITE FOR MA DUKES』を思い浮かべる貴方とは、きっと親友になれるだろうと思う。
そしてセシル・テイラーのカフェ・モンマルトルでの伝説のライヴ、20分を越える“D. TRAD, THAT'S WHAT”(やはりフリー・ジャズの真髄はこれに尽きる、と言えるめくるめく金字塔のような演奏ですよね?)もどうしても収録したい。ときにアルチュール・ランボーの詩集にも喩えられる、この知的で破壊的で戦慄的な音の美しさを皆さんに届けたい。というわけで、フリーダム・レーベルの日本での発売権を持つミューザックの代表・福井亮司さんに、価格は¥2,500のままで何とか2枚組にできないか、とわがままな相談をしたら、選曲料を抑えるという条件つきながら、男気で首を縦に振ってくれた(快挙・感謝!)。
そうして2枚に分けることになったセレクション(トータル160分!)には、それぞれ“ジャズ来るべきもの再訪”“十月革命の戦士たちへのレクイエム”と副題を(英語で)冠した。コールマンとテイラー以外の収録アーティストは、アルバート・アイラー/アーチー・シェップ/マリオン・ブラウン/チャールズ・トリヴァー/スタンリー・カウエル/アート・アンサンブル・オブ・シカゴ/ポール・ブレイ/アンソニー・ブラクストン/テッド・カーソン/デューイ・レッドマン/アンドリュー・ヒル/ダラー・ブランド/ドゥドゥ・プクワナ/ノア・ハワード/オリヴァー・レイク/ヤン・ガルバレク……といった震えが来るような錚々たる面々。この顔ぶれを見て鳥肌が立たない方はジャズ・ファンを名乗らないでほしい、と頭の固い評論家のようなことを言いたくなってしまう。
破壊せよ、とアイラーは言った、60年代の「熱」を鮮やかに印画紙に焼きつけた中平穂積さんの写真を使ったモノクロ・ジャケットも、特大のポスターが欲しくなるほど素晴らしい。200枚を越えた僕がこれまで手がけてきたコンピの中でも、間違いなく最も(群を抜いて)硬派な一枚。ジャン=リュック・ゴダールや中上健次に心酔する諸兄も聴き逃し厳禁だが、発売はまだ先、2/3の予定なので、それまではここに挙げた2枚で(もちろんコールマンは『ジャズ来るべきもの』や『ゴールデン・サークル』、テイラーは『コンキスタドール』や『ユニット・ストラクチャーズ』でも構いません)充分な予習とウォーミング・アップを。

VAN MORRISON / ASTRAL WEEKS
VAN MORRISON / MOONDANCE
SYD BARRETT / THE MADCAP LAUGHS
THE DOORS / THE DOORS
THE DOORS / STRANGE DAYS
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


12月のある週末の夜、60年代後半のロックのレコードを聴いて一晩中すごした。こんな一日は大学生のとき以来だ。
きっかけは昼間、あまりに素晴らしいビルド・アン・アークの新作『LOVE』を聴いていて、ふとジャケットが似ているよな、と思ってゾンビーズの『ODESSEY AND ORACLE』を取り出し、“TIME OF THE SEASON”(ふたりのシーズン)に針を落としたのが始まりだった。深いエコーとため息のようなリフが印象的な、甘い翳りを帯びた音像。もうすぐコリン・ブランストーンは日本にやってくる。
そして夜になって、いつものようにヴァン・モリソンの『ASTRAL WEEKS』を何気なく聴く。冒頭のタイトル曲は僕の座右の一曲という感じだし、“SWEET THING”はビルド・アン・アークが『LOVE』でカヴァーした。“THE WAY YOUNG LOVERS DO”は今度ジャズに混ぜてクラブでもスピンしてみようと思い、“MADAME GEORGE”にはなぜかプリンスの沁みるバラード“SOMETIMES IT SNOWS IN APRIL”がフラッシュバックして涙が滲みそうになる。本当に頬ずりしたくなるようなレコードだ。
それで60年代末の空気に火がついてしまった。ビルド・アン・アークのカルロス・ニーニョが「僕の人生に最も影響を与えたミュージシャンのひとりなんだ」と語っていた(全然意外じゃありません)ドノヴァンを2枚、続いてクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの『DEJA VU』、そして自分で編集したニック・ドレイクのMDを流しているうちに、どうしても(中毒的に)聴きたくなってしまったのはシド・バレットの“TERRAPIN”(カメに捧ぐ詩)だった。
結局60年代後半を好きな人間は、シド・バレットやブライアン・ジョーンズのようなルックスが好きなのかもしれない、そんなことを思う。だからか、その後のピンク・フロイドの歩みにはほとんど興味がないが、彼のファーストを聴くのも、実はほぼ20年ぶりだろう。僕が持っている国内オリジナル盤は、邦題が『帽子が笑う…不気味に』ではなく『幽幻の世界』(誤植じゃないよ)。『サージェント・ペパーズ』〜『オデッセイ・アンド・オラクル』後のアビー・ロード録音、ジェイムス・ジョイス「ユリシーズ」への憧憬、ヒプノシスによるアートワーク。“カメに捧ぐ詩”はこの歳になっても自分にはリアルなラヴ・ソングとして響く。僕は失われた「クレイジー・ダイアモンド」の輝きを悼みながら、高校3年生のとき、今は死んでしまった親友と、「カメ」へのアンサーと言えるジュリアン・コープの『FRIED』を愛聴したことを思い出していた。
“カメに捧ぐ詩”の次に聴くのは、大学生の頃からドアーズの“THE CRYSTAL SHIP”と決まっている。これもまた「夜のために」ある音楽。フランスの異端作家セリーヌにインスパイアされたという“END OF THE NIGHT”の妖気も捨てがたいが、昔からドアーズのファーストの中でもいちばん好きだった、幻想的なまでに美しい曲だ(高校のときからネオアコ〜ニュー・ウェイヴと同列で聴けました)。ジム・モリソンを失うまでのドアーズのアルバムは、もちろん6枚ともアナログ盤で持っているが、最初の2枚はオリジナル・エンジニアのブルース・ボトニックが手がけた40周年記念ミックス盤が出たときにCDで買い直していて、その音が衝撃的だった。アート・ブレイキーやエルヴィン・ジョーンズに心酔していたジョン・デンズモアのドラミングなどが、圧倒的に精気あふれるダイナミズムを獲得していて、オープニングの“BREAK ON THROUGH”からDJでかけたい衝動に駆られる。“LIGHT MY FIRE”(ハートに火をつけて)にいたってはピッチ(タイム)まで違い、その疾走感に思わず息を呑むほど。バッハ風の熱いオルガン・ソロにリムショットの効いた荘厳なドリアン・モードのジャズ・ロック。「マイルス・デイヴィスの“ALL BLUES”の3拍子をヒントにした」とジョン・デンズモアが発言し、デイヴ・ブルーベックの変拍子ジャズやラテン・ジャズ〜ジャズ・サンバの影響も色濃いこの曲のカタルシスを堪能できる(ジャズ好きのために言うなら、ロビー・クリーガーのギターはジョン・コルトレーン“MY FAVORITE THINGS”でのエリック・ドルフィーのフルート・ソロを思わせる)。ジム・モリソンとUCLA映画学科の同窓だったフランシス・コッポラが「地獄の黙示録」のエンド・ロールに使って有名になった“THE END”に続いては、嬉しいボーナス・トラックも。モンテ・ヘルマンの映画「断絶」(2008年4月下旬のこのコーナーの僕の推薦文をお読みください)でも印象深く流れていた“MOONLIGHT DRIVE”を2ヴァージョンに、シンプルな歌詞も大好きな“INDIAN SUMMER”。
ちなみにドアーズは、ファーストに負けず劣らず(というか、個人的にはそれ以上に)、フェリーニの世界観を象徴したアルバム・カヴァーもシュールで魅惑的なセカンド『STRANGE DAYS』も最高なことを、若い読者のために付け加えておこう。長くなるので詳しい解説は控えるが、“PEOPLE ARE STRANGE”(まぼろしの世界)そして“WHEN THE MUSIC'S OVER”(音楽が終わったら)といった曲名を列記するだけで、何か特別な余韻のようなものが感じ取れるだろう。
夜も深い時間にドアーズを聴いていたら、バンドのキーボード奏者レイ・マンザレクがインタヴューで、彼らがいちばん大きな影響を受けたのはヴァン・モリソン&ゼムで、LAのウイスキー・ア・ゴー・ゴーのハウス・バンドになって共演したときのエピソードを、喜々として語っていたのを思い出した。「ふたりのモリソン」が最後に一緒に“GLORIA”を歌ったという夢のような話だ。タイムスリップがかなわないのならと、さっそくゼムのベスト盤をレコード棚に探したが、どうにも行方不明で見つからない。代わりに『MOONDANCE』が出てきて、昔は『ASTRAL WEEKS』よりよく聴いていたな、と思いながら久しぶりに針を下ろすことにした。やはりとてもとても素晴らしい。ブラウン・アイド・ソウル、という言葉が頭に浮かぶ。ピーター・バラカンさんが「一度針を落としたら釘づけになる、マーヴィン・ゲイの『WHAT'S GOING ON』と並ぶ完璧なA面」と話されていたっけ。全くの同感だ。
最近は孤独の影や喪失感を滲ませた、いつまでも絶頂を迎えることのない音楽に惹かれることが多くなったが、これからもたまに、こういう夜があるような気がする。60年代後半と2000年代の後半が似ているのか似ていないのか、僕にはそれはわからない。ただ、ようやく2000年代が終わる。音楽が終わったら、そこには何が残るのだろう。

2009年12月下旬

NINA SIMONE / NINA SIMONE AND PIANO! 
箱 / long conte
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


年末年始という理由にかこつけて、このコーナーの原稿を書くのがずいぶん遅れてしまった(1/12記)。今日は昼間はフリー・ソウル・コンピのホセ・フェリシアーノ盤のマスタリングで、素晴らしくエモーショナルな作品集に仕上がったが、同時リリースをめざしているニーナ・シモン盤の曲順もそろそろ決めなければならない(現在は、仏キャリーアのギルバート・オサリヴァン“ALONE AGAIN”、CTIのランディー・ニューマン“BALTIMORE”とホール&オーツ“RICH GIRL”という、3曲のカヴァーの許諾待機中)。
フリー・ソウル・シリーズだから、もちろんグルーヴィーな曲が中心になるが、オープニングは自分らしく“O-O-H CHILD”(ファイヴ・ステアステップス)〜“TOMORROW IS MY TURN”(シャルル・アズナヴール)と感極まる流れにこだわりたいと思っている。そこからシャネルのCMでも人気を呼んだ“MY BABY JUST CARES FOR ME”のライヴ、山下洋も熱烈に愛する“AIN'T GOT NO / I GOT LIFE”のヨーロッパ盤7インチ・ヴァージョン(ジャケットもそのモッドなシングル盤のカッコ良い横顔のポートレイトをモティーフにしました)、『FREE SOUL VISIONS』15周年記念エディションにも収録した“FUNKIER THAN A MOSQUITO'S TWEETER”といった感じで盛り上げていこうか。何しろオリジナル・アルバムが30枚以上あるから、20曲前後に絞るだけでも至難の技(ぜひ決定版ベストにしたいと願っています!)。アルバム単位ではこれまではファーストのベツレヘム盤を推薦することが多かったが、今回は冬の日に聴くならこの一枚、という前々回のローラ・ニーロと同じような意味合いで、ピアノ弾き語りの1969年作『ニーナとピアノ』を紹介したいと思う。
まずはディスクガイド「Jazz Supreme」でCALMがこの作品に寄せた熱い一節を引用しよう──「何より楽曲の素晴らしさとソウルフルな歌声が感動を誘う。このアルバムに出会ったのは衝撃だったし、出会えたことに感謝している。音楽の神よ、ありがとう!」。本当に、歌とピアノで人生のドラマを語れる稀有なアーティストの、聴けば聴くほど沁みてくる一枚だ。シャーデーもエリカ・バドゥもローリン・ヒルもアリシア・キーズもインディア・アリーも、彼女の音楽を聴いて育ち、彼女への敬愛の情を言葉にしている。ジル・スコットやミシェル・ンデゲオチェロやカサンドラ・ウィルソンだって、きっとそうだろう。“EVERYONE'S GONE TO THE MOON”(みんな月へ行ってしまった)を聴いて僕は胸がいっぱいになるし、“LITTLE GIRL BLUE”についても同じことを書いた経験があるが、“I GET ALONG WITHOUT YOU VERY WELL”はチェット・ベイカー版と並ぶ時を止めるような名唱だ(それぞれ『音楽のある風景』シリーズで聴けるナジャ・ストーラー・トリオとホドリーゴ・ホドリゲスもとても素晴らしいですが)。
さて、今夜は外も冷たい雨、どこにも出かけずこの文章を書こうと思い立ったのは、先ほどからずっと繰り返し聴いているアルバムのことを、永く憶えていたいと考えたからだ。それは、THE MICETEETHのヴォーカリストだった次松大助が2007年に「箱」という名義で発表した実質上のソロ・デビュー作。実は彼の音楽と出会ったのはたった3日前。青山の「月見ル君想フ」というライヴハウスで、“夏の面影”という曲を初めて聴いて涙が出そうになってしまった(同行のガールフレンド姉に悟られないように、「オレが書いた歌詞かと思ったよ」と冗談を言わずにいられなかったくらいでした)。そうして今も、孤独な夜だからか、ライヴと同じピアノ弾き語り中心のCDを聴いていて、感傷に涙腺がゆるんでしまう。“にれの木の幽霊”という曲で口笛が聴こえてきた瞬間には、特に参ってしまった。
そして、歌詞カードを見てみようとインナー・ブックレットを開き、最後に“with, greatest respect for Nina Simone.”という文字を発見したときの嬉しさと言ったら。そう、彼もニーナ・シモンと同じように、クラシックとジャズとソウルの素養を併せもった優れたパフォーマーなのだ。『ニーナとピアノ』の“WHO AM I”でドビュッシー風のフレーズが弾かれるような印象深いシーンが(ベツレヘム盤のバッハ〜バロック音楽のイディオムを想像してもらっても構いません)、次松大助の音楽にも、そこかしこにあふれている。とりわけクラシック・アプレミディ・シリーズのパスカル・ロジェ編を好きな方なら、必ず何かを感じるはずだ。ドビュッシーやラヴェルあるいはシベリウス、そしてマッコイ・タイナーからミシェル・ルグランまで。娘が生まれた日に書かれたという“手紙”に始まり、美しく切ない風景が広がる“夏の沼”以下、叙情美と夢幻性と季節感が溶け合う歌とピアノが続き、ボブ・マーリー“Waiting in vain”のカヴァーも登場する。スリーヴ・デザインは北山雅和(HELP!)。
僕は何よりも、次松大助が身に纏っている、優しいいきがりと照れ、その少年性と表裏一体に滲みでる青い老成感のようなものが好きだ(酒飲みで博識なところも)。彼もまた“Lunatic”なのかもしれない。またライヴにも行ってみようと思っている。明日はTHE MICETEETHのCDを買いに行こうか。一昨日のタワーレコード30周年記念パーティーのために一夜だけ再結成された彼らのステージが終わろうとしているとき、その日のDJを務めた僕の頭に浮かんでいたのは、ニーナ・シモンの“MY BABY JUST CARES FOR ME”だった。

CARMEN LUNDY / SOLAMENTE
V.A. / JAZZ SUPREME 〜 FENDER RHODES PRAYER
V.A. / MUSICAANOSSA SIENNA JAZZ LOUNGE
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


この冬休みに最もヘヴィー・ローテイションしていた新譜CDがカーメン・ランディーの『SOLAMENTE』。さっそく「usen for Cafe Apres-midi」冬選曲に、ほぼ全曲を使いたくなってしまったほど。これほど深みと高みを感じさせてくれるアルバムはそうないだろう。ポッター&ティルマンでの歌唱を経ての1985年のファースト『GOOD MORNING KISS』(この時期のカーメン・ランディーの輝きについては、単行本「Jazz Supreme」や、彼女を主役とした中村智昭・選曲のコンピ『MUSICAANOSSA SIENNA JAZZ LOUNGE』の当コーナー2008年11月下旬のレヴューで詳しく触れました)、そして2007年末の前作『COME HOME』(そこからは彼女のプロダクション名ともなっているピースフルでメディテイティヴな“AFRASIA”を、『JAZZ SUPREME ~ FENDER RHODES PRAYER』に収めています)という素晴らしい2枚さえ凌ぐペースで、個人的にいちばんの愛聴作となっている。
たゆたうようなスピリチュアルな浮遊感と憂いを帯びたメロウネスをたたえた音像は、期待していた通り“AFRASIA”の延長線上で洗練を究めたと言っていいだろう。作詞/作曲/編曲/歌/楽器演奏/レコーディング/ミキシング/プロデュースそしてジャケットの油彩ペインティングまで、創作のすべてをカーメン・ランディーがひとりで手がけているのも特筆すべきだ。スキャットはまるで魔法のようだし、彼女のリズムの呼吸というか独特のタイム感、音の揺らぎや余韻のすべてが自分の肌に合うから、柔らかな空気に溶け出すように、このアルバムは永遠に聴いていられるのだ。
冒頭の“I KNOW WHY THE CAGED BIRD SINGS”から、時の挟間と心の隙間にゆっくりと染み込むような絶品だが、“REQUIEM FOR KATHRYN”のような静かに波紋を広げる鎮魂の調べも胸を打つ。ヒューマンな温もり、と書くと陳腐だが、孤愁のひとときに、おやすみ前のメランコリックな時間に、レクイエムでありララバイでありセレナーデでありノクターンとして響く、長年連れ添ったアンティーク・ランプが放つほのかな暖色の光のような一枚だ。もはやサラ・ヴォーンやエラ・フィッツジェラルドの名を引き合いに出す必要もない、崇高なほどの名作。

2010年1月上旬

V.A. / FREEDOM SUITE
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


単行本「Jazz Supreme」の編集・執筆を終えた一昨年の秋、オーネット・コールマンの“LONELY WOMAN”を1日に5回聴いていた頃から、いつかこんなコンピを作れたらと考えていた。そして先月、アラン・ベイツ主宰フリーダム・レーベルのアルバムを40枚以上聴き返して、ジャズに殉死する思いでこの冬休みに選曲を終えた。ジョン・コルトレーンやファラオ・サンダースを愛する視線で、前衛的と見られることの多いアヴァンギャルド〜スピリチュアル系のミュージシャンの「心」が最も伝わる演奏を集め、自由で荘厳な組曲のように構成した。
ディスク1「The Shape of Jazz to Come Revisited」は、僕がジャズの根源的な魅力を象徴すると考える、オーネット・コールマンのアルト・サックスで幕を開ける。続くチャールズ・トリヴァーの“ON THE NILE”はスタンリー・カウエルのピアノも素晴らしく、ストラタ・イースト前夜のふたりの蜜月が生んだ、シャープなリズム隊も際立つ精気に満ちた名演。デューイ・レッドマンの“FOR ELDON”はボサ・ジャズのビート感にコルトレーンを思わせる歌心あふれるブロウがほとばしり、南アフリカのアルト・サックス奏者ドゥドゥ・プクワナの“DIAMOND EXPRESS”はグルーヴ感と生命力がみなぎる陽性アフロ・ジャズ。アーチー・シェップの“STEAM”は『JAZZ SUPREME 〜 SPIRITUAL WALTZ-A-NOVA』に収めたジョー・リー・ウィルソンが歌うチャールズ・グリーンリー版と同じワルツ・ジャズ曲で、シェップのソプラノ・サックスとグリーンリーのトロンボーンが天を舞うようなモントルーでのライヴ録音だ。
そしてスタンリー・カウエルのメディテイティヴな名曲“TRAVELLING MAN”が登場。彼の作品ではボビー・ハッチャーソンとの“BOBBY'S TUNE”もぜひ収録したかったが、このエレクトリック・ピアノによるヴァージョンはまるでマッドリブだ(彼も実際この曲をカヴァーしていた)。もちろん後のカリンバやヴォーカルが切なげにメロディーを紡ぐ吹き込みも絶品。次も神秘的で親密な光を放つ名作でアート・アンサンブル・オブ・シカゴの“LORI SONG”。サラヴァ・レーベルのブリジット・フォンテーヌ(“ラジオのように”)つながりのアレスキに通じる、優しく琴線に触れるスピリチュアリティーが息づいている。さらに続いてのアンソニー・ブラクストン“SOPRANO BALLAD”も、彼のソプラノ・サックスとチック・コリアのピアノが絶妙なインタープレイで幽玄の旋律を綴る瞑想的な名品だ。
デューク・エリントンに見初められた南アフリカ出身のピアニスト、ダラー・ブランドによるセロニアス・モンク“ROUND MIDNIGHT”のカヴァーも、硬質でビターな特別な魔力を宿している。植草甚一の「フリーダム・レコードはジャズの勉強にとてもいい」というコラムで、この曲の演奏としてはマイルスとコルトレーンのクインテットについで2番目に素晴らしいと称賛されていた。アンドリュー・ヒルの“QUIET DAWN”は『JAZZ SUPREME 〜 SPIRITUAL LOVE IS EVERYWHERE』に収めたアーチー・シェップやジョー・ボナーで知られるカル・マッセイ作とは同名異曲(ノスタルジア77にもまた別の“QUIET DAWN”という僕の大好きな曲がある)だが、タイトルに“DAWN”とつくジャズに新旧問わず間違いはない。知性的で華麗なアンドリュー・ヒルのピアノと情熱的でソウルフルなロビン・ケニヤッタのアルト・サックスの対比に引き込まれてしまう。そして知る人ぞ知る憂愁の名曲、ポール・ブレイの“CLOSER”へ。ラヴェル〜ドビュッシー的なルナティックな魔性を秘めた美旋律。“ROUND MIDNIGHT”〜“QUIET DAWN”〜“CLOSER”という曲名からも漂う時の流れを感じながら、ピアノ・ジャズをニック・ドレイクのように聴けることが伝われば本望だ。
ディスク2「Requiem for Soldiers of October Revolution」は、レオ・スミスのトランペットが奏でる美しい鎮魂の調べに始まる。心の平安へと誘われ、やがてプリミティヴなパーカッションに太古の記憶が呼び覚まされる。マリオン・ブラウンのアルト・サックスが生の鼓動を伝え、“AND THEN THEY DANCED”というタイトルも示唆的だ。続いてはロフト・ジャズの精鋭オリヴァー・レイクによる、まさにオーネット・コールマンのように胸を突くアルト・サックスのソロ“LONELY BLACKS”。光が零れるようなパーカッションに導かれるノア・ハワードの“QUEEN ANNE”は、魂の息吹を讃えるような悠久の響きに詩情があふれる。「フリーダム・レコードはジャズの勉強にとてもいい」に、植草甚一がノリス・ジョーンズのベースの音を「どこか知らない国へ行って、そこで河の流れる音を聴いているみたいで、とても美しいなあ」と褒めたというエピソードがあるが、同感だ。
そして再び、僕には胸がすきっとするオーネットの吹奏。いつ聴いても清々しい気持ちになれる快演だ。続くアーチー・シェップの“CRUSIFICADO”はデイヴ・バレル作のメロウな夕暮れ感に魅せられるジャズ・ボサ。モーダルなピアノも美しく、やはりチャールズ・グリーンリー盤でも再演された。黙祷を捧げるようなテッド・カーソンによるエリック・ドルフィーへのレクイエム“TEARS FOR DOLPHY”(同名のアルバムもフリーダムきっての僕の愛聴盤だ)も幽玄・憂愁という言葉が浮かび、ジャズが都会に住む物憂い黒人たちのための霊歌のように響くとき、自分も最も心が休まることに気づかされる。
アプレミディ・ファンには“WITCHI-TAI-TO”でお馴染みだろうノルウェイのヤン・ガルバレクは、ウェイン・ショーターの名曲とよく似た表題を持つ、やるせなくも透明なリリシズムに満ちた“NEFERTITE”を。CDジャケットのインナーに“Trane was the Father, Pharoah was the Son, I was the Holy Ghost.”という発言を引用したアルバート・アイラーは、圧巻のジョージ・ガーシュウィン作“SUMMERTIME”。聴けば聴くほどドラマがあり、ジャズが音色のアートでもあることを実感させられる、「大きな哀しみ」のような極めつけの一曲だ(もちろん『SPIRITUAL UNITY』なども必聴だが)。
そしてクライマックスで迎えるのは、フリー・ジャズの真髄ここに究まれりという感じの、セシル・テイラーの伝説的なカフェ・モンマルトルでのライヴから“D. TRAD, THAT'S WHAT”。とにかくカッコ良い、“トランス”(この曲も凄い!)できる、激しく強いエモーションがめまいのように渦巻く20分。テイラーはかつてナット・ヘントフに、「愛に満ちた、喜びいっぱいの、祭りなんだ!」と自分の音楽を語ったという。最後にエピローグとして置いたのは、ガトー・バルビエリのテナー・サックスとダラー・ブランドのピアノによる「合流」セッション。僕はそう、現代のクラブ・ミュージックの未来が、例えばこのような音楽であればと願っている。
追記:今回は僕の気合いが入りすぎているからといって、皆さん引かないでくださいね。ただ純粋に、聴いて何か感じてもらえたら嬉しいです。

2010年1月下旬

JOSE JAMES / BLACKMAGIC
SADE / SOLDIER OF LOVE
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


ここ2年ほどフィーチャリング・ヴォーカリストとしても引く手あまただったホセ・ジェイムスの新作。ジョン・コルトレーンの甥としても知られるフライング・ロータスの低音が効いた深海を揺らぐようなトラックが気持ちよく、早くから話題を呼んでいたようだが、ベン・ウエストビーチとのダブル・ヴォイスによる“ELECTRO MAGNETIC”とDJ Mitsu the Beatsの昨年のアルバムでもお馴染みの“PROMISE IN LOVE”の連なり、そしてジョルダナ・ドゥ・ラヴリーの女性ヴォーカルも印象的な“LOVE CONVERSATION”以降の温かみあふれる後半の流れでは、ロマンティストでありドリーマーとしての姿も健在だ。しかしそれ以上に、僕には嬉しいトピックがふたつある。
ひとつは“DESIRE”のリミックスも素晴らしかったムーディーマンとのコラボレイション、その名も“DETROIT LOVELETTER”。『I WANT YOU』を最も大切なレコードに挙げるマーヴィン・ゲイ信奉者ふたりによる濃密なメロウネス、その官能性と神秘性に強く惹かれる。前作はジョン・コルトレーンやビリー・ホリデイといった尊敬する音楽家に捧げるジャズ・アルバムだったのに対し、今作はマーヴィン・ゲイやアル・グリーンをインスピレイションの源にソウル・ミュージックへの敬愛を歌った、という本人の発言を裏づける名品だ(彼が高校時代に心酔していたというトライブ・コールド・クエストの『MIDNIGHT MARAUDERS』を思わせる雰囲気で、ベース・ラインはスライ&ザ・ファミリー・ストーンを彷佛とさせたりもする)。
もうひとつはダブ・ステップの要人ベンガの“EMOTIONS”を、“WARRIOR”という表題でジャズ・フィーリング濃厚にカヴァーしていること。ベンガの『DIARY OF AN AFRO WARRIOR』と言えば、僕がダブ・ステップで唯一アルバム単位で今も愛聴していると言っていい作品だが、その中のとっておきが“EMOTIONS”で、このホセ・ジェイムスによるヴァージョンは掛け値なしに逸品だ。僕はこの曲を聴いていたら、イマジネイションが膨らんで、彼に4ヒーローの“UNIVERSAL LOVE”を歌ってほしくなってしまった。“UNIVERSAL LOVE”は最近出た4ヒーローとDJ・マーキーが1枚ずつ編んだコンピ『THE KINGS OF DRUM+BASS』(最高にシャープな内容で、ガツンと行きたい気分のときによく聴いています)でも1曲目に選ばれていたが、僕がドラムンベースを好きになるきっかけになった名曲で、ちょうどダブ・ステップにおける“EMOTIONS”のような存在なのだ。
ホセ・ジェイムスの『BLACKMAGIC』はジャズとクラブ・ミュージックを礎にしたエクレクティックなソウル・アルバムの典型だと思うが、年を明けてからそうしたタイプの傑作が他にも続々と到着していて嬉しい。4ヒーローのディーゴとカイディ・テイタムとベンベ・セグェ(と今回はレディー・アルマ)によるシルエット・ブラウンや、ヨルバ・レコーズのオスンラデの、共にスピリチュアルでスペイシーな新作などは特に好印象を受けた。トラス・ミーのプライム・ナンバーズからリリースされた、カイディ・テイタムとミスター・スクラフの12インチ“FRESH NOODLES”もこのところDJでへヴィー・プレイしているが、その曲やアンドレスやモーター・シティー・ドラム・アンサンブルのキラー・トラックを含むショウケース盤『PRIME NUMBERS VOL.2』も必聴だ。もう少しポップ・フィールド寄りなら、シャーデー(やや地味かな、という声も聞いたが、僕はやはりとても素晴らしいと思います)やエイドリアナ・エヴァンス(&ドレッド・スコット)のニュー・アルバムも、ファンならずとも聴き逃せないはずだろう。いずれも今後改めて紹介することがあると思うが、2010年代の音楽がこうした潮流にのって進化していくことを、僕は何となく望んでいる。そういう状況を踏まえて、古い音楽も一緒に楽しめることが、僕にはささやかな歓びなのだ。

GIRL WITH THE GUN / GIRL WITH THE GUN
KRONOS QUARTET / MUSIC OF BILL EVANS
JAMES TAYLOR / JAMES TAYLOR
LAMBCHOP / IS A WOMAN
RICHARD CRANDELL / SPRING STEEL
CARLOS AGUIRRE GRUPO / (CREMA) 
CARLOS AGUIRRE GRUPO / (ROJO) 
CARLOS AGUIRRE / CAMINOS
SEBASTIAN MACCHI - CLAUDIO BOLZANI - FERNANDO SILVA / LUZ DE AGUA
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


今週は2/22から4/4の間、毎週土曜深夜24時から2時間にわたって「usen for Cafe Apres-midi」で放送されるスペシャル・プログラム「素晴らしきメランコリーの世界」の選曲をしていて、その特集番組から派生した同タイトルのCD-Rも2枚作った。もちろん山本勇樹・発行の同名のフリー・ペーパーへのオマージュでもあるが、僕にとって選曲することはある種のセラピーになっているから、気持ちを穏やかに落ちつけ、神経を和らげることができている。感謝の気持ちを込め、そこにフィーチャーした作品をいくつか推薦していこう。
まずはイタリアからガール・ウィズ・ザ・ガン。「usen for Cafe Apres-midi」のリスナーにはもうお馴染みかもしれないが、独モール・ミュージックでの諸作でも知られる奇才ポピュラスと多才な女性アーティストのマティルデ・ダヴォリとのアコースティック・デュオ・ユニットだ。何と言ってもジョルジオ・トゥマが自分の曲の中で最も美しいと語る、優しい語り口とピアノが白日夢の蜃気楼のような“IN THE SUNSHINE”、そして甘美な未来へのノスタルジーをかきたてる、銀河に身を委ね流れ星が行き交う宇宙と交信しているように音の粒子が舞い散る“FIX THE STARS”が絶品のメランコリー・サウンド。
クロノス・カルテットによるリリカルでクラシカルなビル・エヴァンス集も、すでに「usen for Cafe Apres-midi」で何度か耳にされた方がいるだろう。優雅でしなやかな室内楽的佇まいもこの季節に相応しい、キャンドルの火が揺れるような映像美あふれるアンサンブル。“WALTZ FOR DEBBY”“PEACE PIECE”の素晴らしさは言うまでもないが、スピリチュアルな魔性のような神秘性と幻想性を秘めた“VERY EARLY”の崇高な美しさも、この機会にぜひ知っていただきたい。エディー・ゴメスの存在感あふれるベース・プレイもいい。
クロノス・カルテットに続いてジェイムス・テイラーのアップルからのデビュー・アルバムの起用をひらめいたときは、無性にときめいた。弦楽四重奏に彩られた英国民謡“GREENSLEEVES”の旋律(クープがサンプリングしたモーダルなワルツ・ジャズ演奏のジョン・コルトレーン版も感動的です)から僕にとってJTでいちばん心に伝わる曲“SOMETHING'S WRONG”へ。最近の真夜中セレクションの主役になっている印象派的なポスト・クラシカルから内省的なシンガー・ソングライターへのブリッジとして、「素晴らしきメランコリーの世界」選曲の肝であるばかりでなく、今後もきっと重宝するに違いない。コリン・ブランストーンの『ONE YEAR』やルイス・エサ『PIANO E CORDAS』なども同じような使い方ができるのではないか。
JTに続いてラムチョップ、そしてフェアグラウンド・アトラクションの日本公演でエディー・リーダーが歌うスウィートマウス“DANGELOUS”(『音楽のある風景〜春から夏へ〜』に収録しました)という流れもひどく気に入っている。それにしてもラムチョップの2001年ナッシュヴィル録音『IS A WOMAN』は冬の夜の大名盤だ。凍え冷えきった心も溶かしてくれる、静かな奇跡が宿るアルバム・トータルで素晴らしいセピア色の一枚。真珠のように美しいピアノに導かれ、朴訥とした滋味深い歌声が魂の奥にある熱いものに訴えかける“THE DAILY GROWL”、深いため息のような歌と天使のようなコーラスが奏でる“I CAN HARDLY SPELL MY NAME”(プリファブ・スプラウトを思い出す方もいるかもしれません)に涙してしまう。
僕はNUMEROが編纂したコンピ『WAYFARING STRANGERS : GUITAR SOLI』でその名を意識するようになったオレゴンのギタリスト、リチャード・グランデールがジョン・ゾーン主宰TZADIKに吹き込んだムビラ(親指ピアノ)演奏集も、メディテイティヴな音色で疲れた心を休めてくれるベッドサイドの愛聴盤だ。スティーヴ・ライヒやテリー・ライリー、あるいはジョン・フェイヒィといったミニマリストたちと共振し、ブライアン・イーノのアンビエント・ミュージックの進化形のように聴けるが、風鈴のような音に始まる冒頭の“INNER CIRCLE”は、敢えて言うなら“E2-E4”的な永遠に聴いていられるグルーヴも内包している。それは光や水の流れのようであり、大地のささやきや宇宙の羽音のようだ。デイデラスとその妻ローラによるロング・ロストの“WOEBEGONE”(哀しみに打ちひしがれた、という意味で、“ジムノペディ”と“マイ・フェイヴァリット・シングス”が合わさったような憂愁のメロディーが親指ピアノで紡がれる)や、懐かしいオルゴールのようなアレハンドロ・フラノフのソロ・ピアノと遠い記憶や夢うつつのまどろみの中で溶け合う。
最後は1/25の[staff blog]でも少し触れたカルロス・アギーレのファースト・アルバム。『美しきメランコリーのブエノスアイレス』でも『素晴らしきメランコリーの世界』でも、その慈愛に満ちた大地と宇宙の中心にいるのは彼とその仲間たちだ。オープニングの“LOS TRES DESEOS DE SIEMPRE”から、余情に富んだメランコリックな響きが温かな郷愁を誘い、心の平穏がもたらされるが、とりわけ“ZAMBA DE USTED”という曲は僕には特別に響く。本当に2050年には“ジムノペディ”や“スパルタカス”に匹敵するスタンダードになっているかもしれない切ない名曲だと思う。まだ、この、涙が結晶した宝石のような曲に続けてニーナ・シモンが歌う“TOMORROW IS MY TURN”をかけたことはないのだけれど……。
2/17追記:カルロス・アギーレのファースト(通称白盤“CREMA”)に優るとも劣らない好内容のセカンド(通称赤盤“ROJO”で、名作“SUENO DE ARENA”“VIDARA QUE RONDA”“LA MUSICA Y LA PARABRA”を含む)と、やはり素晴らしく美しい3枚目となるピアノ・アルバム『CAMINOS』(“CANCION DE CUNA COSTERA”や“ROMANZA”は優美の極みです)、それに僕が去年のNo.1ディスカヴァリー作に選んだセバスチャン・マッキ/クラウディオ・ボルサーニ/フェルナンド・シルヴァの『LUZ DE AGUA』(詳しくは2009年11月下旬のこのコーナーをご参照ください)も少数ながら入荷しましたので、よろしければぜひお聴きいただければと思います。
monthly recommend - -
橋本徹の推薦盤(2010年2月上旬〜2010年5月上旬)
2010年2月上旬

NINA SIMONE / FREE SOUL. the classic of NINA SIMONE
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


去年の暮れに大雪の仙台から届いた「ニーナ・シモン聴いてうつらうつらしています。ニーナ・シモンが良い季節ですねー」という一通のメッセージに触発され、一気に収録希望曲を選び出し、年が明けてすぐの頃、フリー・ソウル・シリーズという意識を踏まえながら熟考を重ね選抜し曲順を決めた、僕にとって究極のニーナ・シモン・ベスト・セレクション。ひと筆描きのように選曲できなかったのは最近では珍しく、それだけ気合いの入った一枚と言うこともできるかもしれない。素晴らしいアルバムが9枚残されている1967〜74年のRCA在籍時の音源を中心に、その前後の時期からもキーとなる楽曲をライセンス収録して、かけがえのない80分間を構成している。自分にとって大切な人たちはもちろん、少しでも多くの方に聴いていただけたらこの上ない歓びだ。
本当に心のひだまで染みわたる、あるいは胸のすくような名唱ばかりだと思う。思えばフリー・ソウルのクラブ・パーティーをスタートさせた90年代半ば、二見裕志も山下洋も小林径もDJは皆ニーナ・シモンの音楽を愛していた(その当時、最もよくスピンされたのは、エレン・マクルウェインやラビ・シフレなどと相性抜群だった、スピリチュアルかつパーカッシヴな“FUNKIER THAN A MOSQUITO'S TWEETER”だろう)。その後はエゴ・ラッピンを始め日本のアーティストからのリスペクトの声も数多く聞いた。彼らはこのコンピレイションをどんな思いで聴いてくれるのだろうか。こうして言葉を紡いでいるだけで、熱い気持ちがこみ上げてくる。
ここに収めた全曲の解説や、ニーナ・シモンがどれほど多くの現代の女性アーティストに影響を与えているかは、[staff blog]のページにも掲げた僕のライナーノーツを読んでみてほしい。前半はフリー・ソウル節、と言えるだろう人気曲が並ぶたたみかけるようなグルーヴィーな展開。そして次第にジャズ/ソウル/フォーク/SSW/ブルース/ゴスペル/レゲエといった多彩な魅力にスポットを当てていった。シャルル・アズナヴールのシャンソンの英詞カヴァー“TOMORROW IS MY TURN”は、何度聴いてもサビに向かって弦が入ってくるところでいつも涙が出そうになる。歌詞もまるで今の自分のためにあるようで、切ないメロディーにのった“Whenever summer is gone, there is another to come”という歌声が深く沁みてくる。
ボブ・ディランに匹敵するフォーク/SSW的な語り部としての滋味深さが心を穏やかに鎮めてくれる“JUST LIKE TOM THUMB'S BLUES”のカヴァー、さらにレナード・コーエン“SUZANNE”やジェリー・ジェフ・ウォーカー“MR. BOJANGLES”(『素晴らしきメランコリーの世界〜シンガー・ソングライター編』には、ホームメイドでハートウォームなデニス・ランバート&クレイグ・ナッティカムのヴァージョンを入れました)などの楽曲も、僕にとっては一生ものの名演だ。ファイヴ・ステアステップス“O-O-H CHILD”を筆頭とするソウル・ナンバーも群を抜いて申し分ない。歴史的な評価も高い、これまでの多くのニーナ・シモンの編集盤が重きを置いてきたフリーダム・ファイターとしてのプロテスト・ソング(言ってみれば『REVOLUTIONARY SOUL & THE CIVIL RIGHTS MOVEMENT』というところか)、ウェルドン・アーヴァインとの共作でダニー・ハサウェイも歌った“TO BE YOUNG, GIFTED AND BLACK”やマーティン・ルーサー・キング牧師を追悼した“WHY? (THE KING OF LOVE IS DEAD)”では、アレサ・フランクリンさえも凌駕するほど。
このコンピの最大の目玉だろう世界初CD化となる“AIN'T GOT NO - I GOT LIFE”のヨーロッパ盤7インチやライヴ版“MY BABY JUST CARES FOR ME”といったフロア・キラーは言うまでもないが、ワルツ・スウィングの“GO TO HELL”や最近ホセ・ジェイムスもカヴァーしていた“WORK SONG”のような渋いブルース曲も絶対モッド好みのはず。ホール&オーツの“RICH GIRL”、そしてランディー・ニューマンの“BALTIMORE”は数ある白人ソングライター名曲のレゲエ・カヴァーの中でもNo.1と確信する哀愁の逸品だ。そこから泣ける夕暮れロック・ステディー風味でどんなに冷えた心も暖めてくれるアーロン・ネヴィル“TELL IT LIKE IT IS”のカヴァーへの流れは、音楽の(人生の)特別な時間を宿していると僕は思う。
個人的には今いちばん胸が熱くなり心震える曲“EVERYONE'S GONE TO THE MOON”(みんな月へ行ってしまった)以降の後半は、特にプライヴェイトな好みを優先させていただいたが、ジャズ・ヴォーカルの女王としてビリー・ホリデイやエラ・フィッツジェラルドにも優る存在感を実感してもらえるだろう。60年代初頭コルピックス期の作品から唯一選び抜いた、クラシカルなピアノ・ソロも美しいNYヴィレッジ・ゲイトでのライヴ録音“JUST IN TIME”は、素晴らしいニーナ・シモン物語をCDブックレットに寄せてくれた高橋芳朗氏の文章との偶然の合致に「奇跡」を感じたことも付け加えておきたい。ラストに置いた“THE HUMAN TOUCH”というタイトルは、ニーナ・シモンの音楽を象徴する言葉だと信じている。

V.A. / EVERYDAY BLUE NOTE - COMPILED BY GILLES PETERSON
V.A. / FREEDOM RHYTHM & SOUND
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


ブルーノートを題材としたジャイルス・ピーターソンの最新コンピ『EVERYDAY BLUE NOTE』。アート・ブレイキー“ELEPHANT WALK”のオープニングが素晴らしくいい。神秘的で神聖、太古の記憶が優しくよみがえるような、彼が惚れ込みコールリッジ・パーキンソンの音楽ディレクションでブルーノート盤も吹き込まれた、ナイジェリア出身のソロモン・イロリに通じるスピリチュアルな世界だ。
その他にも鎮魂のニュアンスがうかがえる黒人霊歌的な曲が多く選ばれているのを、僕は強く支持する。オルガンと憂いを帯びたチャント(Sacred Chorale)が教会音楽を思わせるフレディー・ローチ“CLOUD 788”。『BLUE NOTE for Cafe Apres-midi』に収録したコールリッジ・パーキンソン×ドナルド・バード“ELIJAH”と並ぶ黒人霊歌風ラメントの象徴と言えるデューク・ピアソン“CHRISTO REDENTOR”。パーカッション&コーラスのプリミティヴな響きとモダンな構造を併せもつホレス・シルヴァー“THE GODS OF THE YORUBA”は『FREEDOM SUITE』に入っていてもいいような鮮烈なトラックで、よりラディカルにすればガトー・バルビエリ&ダラー・ブランド“EIGHTY FIRST STREET”、より陽性にファンキーにすればドゥドゥ・プクワナ“DIAMOND EXPRESS”という感じだ。 「セロニアス・モンクとセシル・テイラーを結ぶ真にクリエイティヴなピアニスト」アンドリュー・ヒルの“ILLUSION”にも同じことが言える。僕はかつて、やはり本作にもエントリーされているロニー・フォスターの“MYSTIC BREW”(トライブ・コールド・クエストによる絶妙なサンプリングでも知られていますね)に続けて『FREE SOUL. the classic of BLUE NOTE 2』に弦楽四重奏を伴った録音を収めたが、マッドリブが“ANDREW HILL BREAK”として再生し、アンダーウルヴズがメロウにサンプルしていたのも印象深い。
ボビー・ハッチャーソンの名ワルツ“LITTLE B'S POEM”は『JAZZ SUPREME 〜 MAIDEN BLUE VOYAGE』でもお馴染みのはず。ジャイルス・ピーターソンが「結婚したいぐらい好きな女性ヴォーカリスト」と語っていたディー・ディー・ブリッジウォーターによる素晴らしいヴォーカル・ヴァージョンは『JAZZ SUPREME 〜 SPIRITUAL WALTZ-A-NOVA』で聴くことができる。続くウェイン・ショーターはこれまで僕は“FOOTPRINTS”“MAHJONG”“DANCE CADAVEROUS”を自分のコンピレイションに選んでいるが、単行本「Jazz Supreme」の“Midnight Chill-Out Blues”の項では、「60年代半ばの若きショーターのブルーノート諸作はここ数年、本当によく聴く。(中略)ミステリアスな香気漂う表題曲に始まる『NIGHT DREAMER』を秋の夜に」と書いていて、まさにその曲をジャイルスはセレクトしている。さらに続いてのフレディー・ハバード“ASSUNTA”は、正真正銘『JAZZ SUPREME 〜 MAIDEN BLUE VOYAGE』の選曲で最後の最後まで候補に残っていた、ウェイン・ショーターとの2管フロントによるジャズの凛としたリリシズムに貫かれた名演。ちなみにこのコンピの2曲目、クラブ・ジャズDJにも定番だろうハンク・モブレー“NO ROOM FOR SQUARES”も、その際に使用許諾をいただきながら、どうしてもモーダル・ワルツ〜スピリチュアル系を優先させてしまう僕の「手癖」によって惜しくも選にもれた吹奏だ。
モーダル&スピリチュアルの極み、デューク・ピアソンの“THE PHANTOM”はもちろんジャイルス・ピーターソンのオールタイム・フェイヴァリットだろうが、僕は『FREE SOUL. the classic of BLUE NOTE』のハイライトに収めて、そのライナーにこう記している──「完璧な一曲。ヴァイブ、フルート、ピアノのヒップで少しサイケなアンサンブル。麻薬的なベース・ラインを軸にしたストイックなグルーヴ」。そしてここからジャイルスは、(僕なら別のアイディアを使っただろうが)BN-LAのドナルド・バード×マイゼル兄弟の2曲によって、クライマックスへの展開をファンキーに高めていく。その着地点はロバート・グラスパーの昨年のアルバムから“ALL MATTER”。スラム・ヴィレッジ“FALL IN LOVE”のメランコリックな旋律を熱烈に愛する僕は、“J DILLALUDE”を思い入れをこめて『JAZZ SUPREME 〜 MAIDEN BLUE VOYAGE』に選んだが、最新作では確かに、2001年のネオ・ソウル名盤『1ST BORN SECOND』(モス・デフ&コモンが加わったジェイ・ディー制作の“REMINISCE”が忘れられませんね)からの盟友ビラルが歌うこの曲が出色だった。
全体的にややコンパイラー寄りの視点からの紹介になってしまい恐縮だが、ジャイルス・ピーターソンのコンピに対して僕は、やはりこのように接してしまいがちなことも告白しなければならないだろう。そして今回も実にジャイルスらしい好作品だと僕は感じた。彼がちょっとした音の細工(エディットやイコライジング・エフェクト)を施していることも特筆すべきポイントだ。DJ的な編集センス、などと書くと野暮だが、オリジナル音源をすべて持っているという僕のような人間でも(だからこそ)、興味深く楽しむことができると約束いたします。
追記:2/6の[staff blog]の最後に触れた、“REVOLUTIONARY JAZZ & THE CIVIL RIGHTS MOVEMENT”をコンセプトとする英ソウル・ジャズ・レコーズ発の編集盤『FREEDOM RHYTHM & SOUND』も案の定、質・量ともに聴き応え十分の傑作選でした。世界中を見渡しても、21世紀以降これほど『FREEDOM SUITE』と共振性を感じさせるコンピはないかもしれません。ジャイルス・ピーターソン、そして実際の選曲において主導権を握っていただろうステュアート・ベイカーの強い意志と審美眼に一票を投じたいと思います。僕は特に、スティーヴ・コルソン&ザ・ユニティー・トゥループとホレス・タプスコット&ザ・パン・アフリカン・ピープルズ・アーケストラ、ロイド・マクニールやヘイスティングス・ストリート・ジャズ・エクスペリエンスの収録が嬉しかったですね。『EVERYDAY BLUE NOTE』と併せて推薦させていただきます。

2010年2月下旬

J DILLA / DONUTS
CARLOS NINO / CARLOS NINO'S OCEAN SWIM MIX
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


音楽ライターのレフト・フィールドとして最も信頼できる存在のひとりだろう原雅明氏の著作「音楽から解き放たれるために」を読んだ余韻が(特に書き下ろし論考“word and sound”)、このところ僕の中に静かに波紋を広げている。多くのメディアや論客のように音楽をサブカルチャー的に弄ばない、と自分も強く肝に銘じ、時に主張してきた。作り手と聴き手の間で言葉がその橋渡しをすることなく、また音楽的な思考に結びつくこともなく、思想ゲームのように音楽を盾に言葉が操られる「批評」という名の光景を、僕も違和感を持って見つめてきた。
この本を読んで以来、何枚かのアルバムを聴き返しているのだが、その筆頭はJ・ディラの『DONUTS』だ。もちろん気まぐれなDJミックス風のインスト集などとは片づけていなかったが(冒頭のシュギー・オーティスのサンプルから耳を引き寄せられる)、やはりどこか手つかず感が残っていたのも正直なところ。それが今は、この揺らぎと歪み、酩酊感に繰り返し酔いしれてしまう。この作品についてはもともと語られるべき言葉が語られていないという思いがあったが、この本を読んだことで新たに感じられたものはとても大きかった。J・ディラは死の直前、明らかに音楽の未来を照らし出していたのだ。
そして読書中のBGMとしてたびたび流していたのが、ビルド・アン・アークのカルロス・ニーニョの新着ミックスCD『OCEAN SWIM MIX』だ。内容は言ってみれば最新版『THE SOUND OF L.A.』、あるいは『カルロス・ニーニョと素晴らしきLAの仲間たち』という感じで、彼の地の独特の空気感が伝わってきて、「音楽から解き放たれるために」のサウンドトラックとして悪いはずがない。しかも嬉しい貴重な未発表音源が13トラック。ジャズ/フォーク/ロック/エレクトロニック・ミュージックが自在にジャンル横断されていた前作『SPACEWAYS COLLAGE』と同じように、ビートのBPMを合わせた平凡なDJミックスの対極にある自由なスタイルも彼らしく、「DJミックスとトラック制作の境目が曖昧になっていく時代」を(アルバム・スケールで)象徴するプロダクトとも言えるだろう。
だから各楽曲を追っていくのも不粋なのかもしれないが、敢えて紹介するなら、ラス・G制作によるUKニュー・ソウル・シーンの新星として注目の女性歌手ジョイ・ジョーンズ、南アフリカ出身のシンガー兼マリンバ・シロフォン奏者ネオ・ムヤンガ、ビルド・アン・アークが昨年末の素晴らしいアルバム『LOVE』でカヴァーしていたフィル・ラネリン“HOW DO WE END ALL OF THIS MADNESS?”のトライブに吹き込まれたオリジナル・ヴァージョンなどを特筆すべきだろうか。オープニングとエンディングは『SUITE FOR MA DUKES』のミゲル・アットウッド・ファーガソンのピアノとヴァイオリン。
マッドリブ(変名)やフライング・ロータスやエグザイルといった気鋭のビート・メイカー、ライフ・フォース・トリオ/アモンコンタクトやドゥワイト・トリブルからデイデラスまでお馴染みの顔ぶれも当然エントリー。ギャビー・ヘルナンデスにベン・ハーパーが見出したオーストラリアのフォーク歌手グレイス・ウッドルーフ、それに3回にわたってフィーチャーされるカルロス・ニーニョとジェシー・ピーターソンによる新ユニットは、近年とりわけ特徴的な彼のフォーキー〜サイケデリック志向を印象づけている。
僕は決して作家主義に陥るつもりはないが(ましてや、ある地域や国の音楽を無条件に讃美する原理主義的なリスニング指向などもってのほか、といつも思っています)、カルロス・ニーニョは今回もまた、ひとつ筋の通ったピースフルな作品を届けてくれたと感じている。ブライアン・イーノの「音楽がメロディーと歌詞の組み立てではなく、抽象的な音の質感のタペストリーとして作曲され得るという考え方」という言葉を引いて、こうした音作りの結果さえもメロディーと歌詞の組み立てからできた音楽をただそれとして聴く視点から評価が為されている、と看破してみせた原雅明氏が本作のライナーを担当されているのも納得の人選だ。「多様なパーツの予期せぬ結びつきと幾重もの過去の記憶の組み合わせから立ち現れる音楽」との出会いを、これからも大切にしていきたいと改めて思う。

VAN MORRISON / ASTRAL WEEKS
NICK DRAKE / BRYTER LAYTER
TIM HARDIN / TIM HARDIN 3: LIVE IN CONCERT
THE BENCH CONNECTION / AROUND THE HOUSE IN 80 DAYS
HERON / HERON
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


僕がロックのアルバムを推薦してもあまり通販のオーダーが入らないのが悲しいが、読みものとしては「もっと書いてください」という声をたくさんいただいているので、春が来る前に紹介しようと思っていた何人かのアーティストに触れよう。実はこの冬、ニーナ・シモンやホセ・フェリシアーノと並んで最もよく聴いていたのはヴァン・モリソンとニック・ドレイク、続いてティム・ハーディンあたり。そして今いちばん聴いているのが、マザー・アースのマット・デイトンがクリス・シーハンと組んだベンチ・コネクションだ。
ヴァン・モリソンについては昨年12月上旬のこのコーナーで詳しく書いたが(さっき読み返して、この文章は自分らしいと感じました)、その後さらに彼の音楽に引き込まれてしまい、いつか買おうと思っていた作品はすべて揃え(“SUMMERTIME IN ENGLAND”の入った『COMMON ONE』とかね)、中途半端だったレコード・コレクションも20枚を優に越えた。ジョージィ・フェイムの“MOONDANCE”(ヴァンとの最高のデュエットです!)やリチャード・マニュエルと歌うザ・バンド“4% PANTOMIME”を聴き直したり、何となく「ラスト・ワルツ」のレーザー・ディスク(!)に手が伸びたりもした。僕の中ではニーナ・シモンやホセ・フェリシアーノに近いとも言える、力強さの奥に青白い炎を宿した、精神の解放や安寧を求めるソウルフルでスピリチュアルな歌声。ジャズ・ミュージシャンとのたった2日のセッションで作られたという稀代の名盤『ASTRAL WEEKS』で鳴り続けるリチャード・デイヴィスのアコースティック・ベースの響きは、この2か月の間、僕の心の鼓動と魔法のように呼応していた。音楽評論家の重鎮・萩原健太氏が「レコード・コレクターズ」誌に書かれた文章の中で、僕がこれまでに最も無条件に共鳴できた一節も、恐縮ながら無断で引用させていただこう──「ゴスペルやブルースの影響をたたえたモリスンのヴォーカルが徐々に熱を帯びていくにつれ、それとは裏腹に聞く者の胸が穏やかにリラックスしていくような、そんな不思議な手触りに満ちた1曲だ。たとえが適切でないかもしれないけれど、アルバート・アイラーやエリック・ドルフィたちの凶暴なブロウの陰に、ひたすら穏やかさを追い求める“力”が作用していたような。個人的には、それと同じ感動を覚えたものだ」。ニーナ・シモンの歌にも僕は同じことを感じてしまう、とも付け加えておこう。
さて、そんなわけでヴァン・モリソンは、オリジナル・アルバムの数があまりに多すぎるという理由もあって、僕が今いちばんフリー・ソウル・シリーズでベスト盤を編みたいアーティストなのだが、ニック・ドレイクもまた、いつか生きているうちに僕なりのセレクションをこの世に出せたら、と夢想してしまう孤高の存在だ(すでに私家版は僕の枕元にあったりします)。広がり続ける「伝説」とは無縁に、いつ聴いてもリアルに身近に感じられる彼が遺した3枚のオリジナル盤はすべて素晴らしく、もちろんファースト『FIVE LEAVES LEFT』とサード『PINK MOON』も必聴だが(僕がコンピレイション『BED ROOM MUSIC』に選んだ“MAN IN A SHED”だけでも絶対に聴いてください!)、今回は特にこだわって1970年作のセカンド『BRYTER LAYTER』を全身全霊を賭けてリコメンド。というのも、ジョン・ケイルらも参加したこのアレンジを華美ではないかとする、かつての日本のブラック・ホーク派の見解に強く異を唱えたいから。むしろ僕はこの音にある種の崇高なスピリチュアリティーを感じ、胸を締めつけられる。それはエルヴィス・コステロが「ニック・ドレイクの美しいストリングスの使い方に惹かれた」と語った気持ちに近いかもしれない。繊細な歌詞の尊さについては言うまでもないが、抗うつ剤の過剰摂取で亡くなったと言われる彼の音楽が自分を深い沼から救ってくれることに、毎夜のように胸の痛みと感謝の思いを募らせずにいられない。僕が日々生きていくために本当にかけがえのない一枚で、つい最近もDJパーティー「Soul Souvenirs」のフライヤーにこんなふうに書いたばかりだ──「孤独の影と喪失を滲ませる、物憂く美しい音楽。これもまた、無垢な魂のありかを求め彷徨う、僕にとってのソウル・ミュージック」。ニック・ドレイクをまず何かという方には、ぜひこのアルバムから聴いてほしいと切に思う。
心の震えや傷みを美しくフォーキーなスタイルで描き、ティム・バックリーの『HAPPY SAD』などと共にニック・ドレイク・ファンに人気が高いだろうティム・ハーディンの作品からは、彼の真骨頂と言える生気あふれるフォークとジャズとブルースの融合が聴ける1968年NYタウン・ホール録音のライヴ盤をセレクト。この名うての精鋭ジャズ・ミュージシャンとの自由度の高いスリリングでニュアンス豊かな共演作を、本人も自分のアルバムでいちばん気に入っていたらしく、カレン・ダルトンやフレッド・ニールとの交流からグリニッチ・ヴィレッジのコーヒーハウス・シーンでの活躍を経た後の彼の黄金期の姿、言ってみればボブ・ディランと70年代のシンガー・ソングライターを結ぶ瞬間が生々しくとらえられている。
レパートリーも彼の代表作ばかり。ロッド・ステュアートがヒットさせ、近年のロン・セクスミスまで、数多くの名演が生まれている“REASON TO BELIEVE”は、実にティム・ハーディンらしい切実なラヴ・ソング(アル・クーパー〜マイケル・ゲイトリー的なメンタリティーとも言えるだろう)。コリン・ブランストーンやケニー・ランキンの名唱も忘れられない“MISTY ROSES”は、美しく凛としたボサノヴァ調の珠玉の逸品。この2曲はヤングブラッズ(ジェシ・コリン・ヤング)がカヴァーしていたのも印象深い。“BLACK SHEEP BOY”と“DON'T MAKE PROMISES”は、ハーディンと声や節まわしがよく似ているポール・ウェラーもソロになって歌っていたフォーク・ロック・チューンで、出色のパフォーマンスの“RED BALOON”はスモール・フェイセズが取り上げていたように、英国モッド・シーンの共感を呼んだナンバーも。彼の名声を高めた“IF I WERE A CARPENTER”や、愛する妻スーザンとの実話に基づいた“THE LADY CAME FROM BALTIMORE”も当然披露。亡くなった友人でもあったレニー・ブルースに捧げられた“LENNY'S TUNE”は、ワルツタイムでクール&エモーショナルな展開を見せ、後にニコも曲名を変えてカヴァーしている。
ニール・ヤングにも通じる濃密な情感をたたえ、スティーヴン・スティルスに影響を与えたことも間違いないティム・ハーディンだが、その後は次第に悲劇的で破滅的な人生を歩んでいく。そんな中でとりわけ、愛を求める心の痛々しさや断ち切れない思いがのぞく、私生活での恋愛をモティーフとした曲は胸を打つ。1971年の『BIRD ON A WIRE』(表題曲はレナード・コーエン作)のエンディングに収められた、妻子に去られたことが深い哀しみと共に歌われる“LOVE HYMN”は彼の孤独感の極北だが、A面ラストの“SOFT SUMMER BREEZE”に少し救われる。その前作、妻子への並々ならぬ愛の陰影に満ちた『SUITE FOR SUSAN MOORE AND DAMION - WE ARE - ONE, ONE, ALL IN ONE』も、A面最終曲“LAST SWEET MOMENTS”がメロウにロマンティックに揺れるアコースティック・グルーヴの名品だ。
そしていよいよたどり着いたベンチ・コネクションは、40年近い時を経て現れたヴァン・モリソンとニック・ドレイクとティム・ハーディンをつなぐミッシング・リンク、そんな気がする。マザー・アースの『THE PEOPLE TREE』やマット・デイトンのファースト・ソロ『VILLAGER』といった90年代半ばの至高の名作から、まだ配信のみの最新ソロ作『PUT OF YOUR LIFE』(“IN ANOTHER DAY”大好きです)まで受け継がれている、僕がとことん信頼する彼のフォーキーな魅力が頂点を極めたような2007年の大名盤(といっても今年になって初めて聴いたのだが)。『VILLAGER』を思い出す「草系」の「逆光」ジャケットも嬉しい、光の粒が反射するようにナチュラルで美しい絶品のアルバムで、特にオープニングの“YOUNG AT LAST”は「最高!」のひとことに尽きる。残念ながらAmazonに残っていたCDは最近、僕の友人たちがすべて購入してしまい現在入手困難なのが心苦しいが(アプレミディ・レコーズで日本盤を出したい!)、『素晴らしきメランコリーの世界〜シンガー・ソングライター編Disc-1』で聴けるので(というか、ここまでこの文章で推薦したどのアーティストも、同プレゼントCD-Rシリーズに収録されています)、もしよかったらチェックしてみてください。
追記:今回は長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。この冬を締めくくるようなコラムを、と何となく考えていたのですが、窓の外はもう陽だまりが揺れていて、自然とブリティッシュ・フォークの香りを求めたのか、ベンチ・コネクションを聴いた後にターンテーブルにのせたのは、ヘロンの1970年のファースト・アルバムでした。そう、あの英国の田園風景をそのまま昼下がりの木もれ陽に包んで音にしたようなレコード。というより、これこそ朝から順に聴いていた『ASTRAL WEEKS』〜『BRYTER LAYTER』〜ベンチ・コネクションに続けて聴くべき一枚、と少し興奮してしまいました。美しい風景の中で野外レコーディングされた(小鳥のさえずりまで聞こえます)、瑞々しい感性と透明感が息づく人なつこいメロディーに心洗われます。もうすぐ春ですね。

2010年3月上旬

V.A. / LATE NIGHT TALES - MIXED BY THE CINEMATIC ORCHESTRA
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


2007年の『MA FLEUR』を筆頭にシネマティック・オーケストラの作品はどれも愛聴してきたが、お馴染みの人気シリーズの最新盤として登場したこのミックスCDは、僕にとってさらに特別な感銘を受けるに至った一枚だ。2007年4月下旬の『MA FLEUR』の推薦文を読み返すと、僕は「最近のクラブ・ジャズはアルバムで勝負できる独自の世界観を描けるアーティストと、中途半端にフロアを意識した安易な12インチ・クリエイターの志の差が激しいですね」と書いているが、構成力と映像美に秀でた彼らの個性は、ここに一段とエモーショナルに結実している。「空間性に富んだスピリチュアルなサウンドの美しさ、切なくも凛とした温かさが滲む生楽器(特にピアノは印象的)とエレクトロニクスの融合は健在」という言葉も、そのままこのミックスCDに相応しい。
ニック・ドレイクの“THREE HOURS”やテリー・キャリアーの“YOU'RE GONNA MISS YOUR CANDYMAN”がこの盤の通奏低音を提示する前半から、両者の音楽に幾度となく助けられてきた僕は強く胸を震わされる。そのディープな精神性を帯びたトーンをシュギー・オーティスやトム・ヨークなどで絶妙に温度差を操りながら引き継いでいき、スティーヴ・ライヒをインタールード的に使いながら、僕も死ぬほど好きなビョークの“JOGA”へ。いつ聴いても胸が熱くなる名曲中の名曲だが、ここでエモーショナルな高まりと深まりはピークに達する。そしてここからの展開がさらに美しく素晴らしい。イモージェン・ヒープ〜サン・ジェルマン〜ソングストレスとつないで(自分が打ち込みトラックでDJするときのようだ)、やはり僕も一時期ヘヴィー・プレイした大好きな曲、セバスチャン・テリエの“LA RITOURNELLE”でクライマックスを迎える。渇ききった心の奥にある大切な部分がいつの間にか優しく温かく濡れていることに、貴方も気づくだろう。
ジャンルや時代を越えて、という称賛も陳腐に聞こえてしまうほど、深く心を動かされる映画のように真に感情的なリスニング体験を約束してくれる全19曲。「夜遅く」というテーマで、自分もこれを越えるCDを作ってみたいと思った。

BOOKER T / EVERGREEN
BILL WITHERS / JUST AS I AM
BILL WITHERS / STILL BILL
V.A. / FREE SOUL COLORS〜15th ANNIVERSARY DELUXE EDITION
BILL WITHERS / FREE SOUL. the classic of BILL WITHERS
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


2月上旬にブルーノート東京で行われたブッカー・Tのライヴの楽屋で、「usen for Cafe Apres-midi」の本多ディレクターが、若きドラマー氏に不思議そうに「日本人はどうして皆“JAMAICA SONG”が大好きなんだ?」と訊かれ笑っていた。今回の公演ではブッカー・Tがギターを片手に多少たどたどしく“JAMAICA SONG”を弾き語る微笑ましい一幕もあった(きっと何十年ぶりかに歌ったのだろう)。
この曲を知った1993年初夏の記憶は瑞々しい。「Suburbia Suite」は“1993*summer of love*tokyo”と題して別冊を作った。潮騒と子供たちの歌声に包まれるアコースティックな音色と優しいメロディーは、そんな季節を穏やかに祝福するサウンドトラックのように響いた。これ以上ピースフルな夏の歌を僕は知らない。
MGズ、スタックス、メンフィス・ソウル、ファンキー・オルガン、といったそれまで虜になっていたブッカー・Tの武骨な魅力とは対照的な、ハートウォームな情感と切ない調べに感激はよりいっそう増していった。翌年フリー・ソウルのコンピレイションCDを編むことになったときには、その視点・精神の象徴として迷わずこの曲を『FREE SOUL COLORS』のエンディングに選んだ。そしてその後、キュビズモ・グラフィコやハナレグミにカヴァーされ、昨年TV-CMにも使用されるに至る。そんな物語を生んだ名曲との出会いをもたらしてくれた一枚の素朴な中古レコード(確か¥1,000もしなかったはずだ)が、いよいよ世界初CD化。それはこのアルバム(ブッカー・Tにとってファースト・ソロとなる1974年作だ)にとってもある種のフェアリーテイルだろう。『EVERGREEN』というタイトルに偽りなし、“TENNESSEE VOODOO”“SONG FOR CASEY”“COUNTRY DAYS”“LIE TO ME”と他にも素敵な曲が入っているので、この機会にぜひ聴いてみてほしい。
そのブッカー・Tのプロデュースによるサセックス・レコーズからのビル・ウィザースの1971年のファースト『JUST AS I AM』が、『EVERGREEN』と共に「Natural Soul Collection」というシリーズで紙ジャケットCD化されるのも嬉しい。「ありのままの自分でいい」というタイトル、僕はビル・ウィザース自身が制作当時を振り返って寄せたライナーを読んで、涙が出そうになってしまった(それに応えるようなブッカー・Tによるエッセイもいい)。いつも気分が晴れない毎日を送っている僕のような人間、特に今この時代にミュージシャンとして生きていこうと思っている人は絶対に読んでほしい。その誠実な人柄と胸が詰まるエピソードに心打たれ、勇気づけられるはずだ。MGズの面々やスティーヴン・スティルスが脇を固め、マーヴィン・ゲイの『WHAT'S GOING ON』やアル・グリーンの『LET'S STAY TOGETHER』が世に出た年に生まれた、温かい血の通うほろ苦く朴訥としたソウル・アルバム。優しさと凛々しさ、悲哀と慈愛に満ちた飾り気のないフォーキーなタッチは、『EVERGREEN』やテリー・キャリアーの諸作と共通する。僕は『FREE SOUL. the classic of BILL WITHERS』に“HARLEM”“AIN'T NO SUNSHINE”“GRANDMA'S HANDS”(ハミングの部分をブラックストリートがループしていた)の不朽の3曲を選んでいるが、シャーデーのバンドであるスウィートバックがカヴァーした“HOPE SHE'LL BE HAPPIER”、マリオ・ビオンディがカヴァーした“I'M HER DADDY”、悲劇のラスト・ソング“BETTER OFF DEAD”などにも惹かれる。
そして世評ではビル・ウィザースの最高傑作と言われることも多い、1972年のやはりサセックスからのセカンド『STILL BILL』(去年の秋にアメリカで公開された同名のドキュメンタリー映画もひどく観たい気持ちに駆られている)も「Natural Soul Collection」として登場。ジェイムス・ギャドソンを始めワッツ・103rd・ストリート・リズム・バンドの顔ぶれと築き上げた、タイトなグルーヴとブルージー&ファンキーなフィーリングに満ちた金字塔だ。言わずもがな僕は、昨年バラク・オバマ大統領就任記念コンサートでメアリー・J.ブライジが歌った“LEAN ON ME”を幕開きに、“USE ME”“WHO IS HE?”“LONELY TOWN, LONELY STREET”“KISSING MY LOVE”“I DON'T KNOW”“LET ME IN YOUR LIFE”(これは実況録音を収めたが)を『FREE SOUL. the classic of BILL WITHERS』に選んだ。CDブックレットにすべての曲の解説(カヴァー・ヴァージョンなどについても)と僕なりの思い入れを記しているので、ぜひともビル・ウィザースの真摯で胸を打つ音楽を聴きながら読んでいただけたらと願う。
追記:ビル・ウィザースのファースト&セカンドが紙ジャケットCD化されるにあたって、実は僕は『FREE SOUL. the classic of BILL WITHERS』について少し複雑な思いも抱いたりしている。このコンピを選曲した2006年末当時、この重要アルバム2枚の日本盤が存在しなかったこともあって、入門編ベストという側面を意識し代表作をできるだけ網羅するセレクションに落ちついたが、それゆえに惜しくも選からもれてしまった曲もあるのだ。その筆頭はサセックス最終作『+'JUSTMENTS』所収のホセ・フェリシアーノによるギターも美しい“CAN WE PRETEND”だ。ザ・ルーツのクエストラヴの選曲CDに入っていたからまあいいか、と自分を納得させていたが、昨秋トラス・ミーがリメイクするに至って後悔の念は最高潮に達した。セレクトの際に、いっそ(80年代の)“JUST THE TWO OF US”をはずしましょうか、とレコード会社に相談したほどの曲なのに(もちろん止められました)。同じ『+'JUSTMENTS』のテリー・キャリアーを彷佛とさせる“THE SAME LOVE THAT MADE ME LOUGH”を一昨年アシュレー・トーマスがカヴァーしたときは、収録にこだわってよかった、と胸を撫で下ろしていたのだけれど。ドロシー・アシュビーのハープも聴き逃せない『+'JUSTMENTS』、そしてその前作となる素晴らしいライヴ盤『LIVE AT CARNEGIE HALL』(カーティス/ダニー/アイズレーズの同時期のパフォーマンスに匹敵します)も、「Natural Soul Collection」として今後復刻されることを強く希望します。

2010年3月下旬

橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


こんな夢を見た。
そんなふうに、ひとつひとつ、各曲の始まる前につぶやいて音楽に耳を寄せたくなってしまう、僕にとって夏目漱石の「夢十夜」のようなコンピレイション、と言えるだろうか。
いや、雨空に灰色の哀しみが滲みるように拡がっていた昨日は(不思議なくらい電話の少ない静かな日だった)、一日中このCDを聴きながら寺田寅彦の「懐手して宇宙見物」を読み耽っていたから、自分が作った最も「みすず書房的な」一枚と言えるかもしれない。僕はいつの間にか自分でも想像しなかったほど寺田寅彦や矢内原伊作の著作に惹かれるようになったが、同じようにある種のアルゼンチン音楽にも強く惹かれるようになった。
「心のピアノ」を持つ人たちにはきっと伝わると信じるコンピレイションCDがついにできあがった今、これを読んでくださっている皆さんにももう一度、僕が昨年10月19日に[staff blog]を綴った時点に戻っていただけたらと思う。その直後にアンドレス・ベエウサエルトの『DOS RIOS』がリリースされた。カルロス・アギーレやセバスチャン・マッチを始めとするメランコリックなフォルクロリック・ジャズが特別な輝きを増していった。
半年が経って、ようやく完成した一枚のCDから香り立つ美しい情趣に、遠い記憶の中の夢を感じることができる。優しい無常感と淡い郷愁も、まどろむような倦怠と幻想感も。心に共鳴する響き、倍音の心地よさ、印象派のピアノや室内楽にも通じるクラシカルな詩情……。それは夢幻にたゆたう音の桃源郷のようだ。
そして寺田寅彦の名随筆に倣うなら、それは「線香花火」が紡ぐ余情にも似ている。子供の頃の夢がよみがえり、親しかった人の記憶が呼び返される。序破急があり起承転結がある火花のソナタのように、詩があり音楽がある。「あとに残されるものは淡くはかない夏の宵闇」のようである。また「珈琲哲学序説」に倣うなら、コーヒーと酒を交互に味わい、哲学と宗教(芸術と言いかえてもいいかもしれない)に浸るように、覚醒と酩酊、瞑想と陶酔のときが訪れる。
収録アーティストの解説は、HMVのウェブサイトに掲載された“橋本徹の『音楽のある風景〜アルゼンチン』対談”で詳しく語っているので、ぜひそちらを読んでいただきたい。アプレミディのホームページでも断続的に(2009年10月下旬/11月下旬/2010年1月下旬の[web shop]、そして2009年12月7日の[staff blog]でも)ここに収めた音楽を推薦してきた。言ってみれば今回は、そうした探究や紹介の集大成であり、僕なりのベスト・コレクションなのだが、以下に簡単なメモを記しておく。
・カルロス・アギーレの作品はオリジナル・フォーマットに基づき日本盤としてアルバム復刻することになったので、彼が主宰するシャグラダ・メードラ・レーベルで僕が最も繰り返し愛聴しているセバスチャン・マッチ/クラウヂオ・ボルサーニ/フェルナンド・シルヴァの『LUZ DE AGUA』(水の輝き)をコンピレイションの最も大きな水脈と考えた。どこまでも心を穏やかに落ちつかせてくれる繊細な揺らぎ。生涯大切にしたい思い出の写真。小さな宝石のような音楽。
・もうひとつの柱として、アルゼンチン音響派の重要人物として評価されることの多い才人、アレハンドロ・フラノフやモノ・フォンタナの静謐でメディテイティヴな側面に光を当てた。夢の中で響くようなピアノや、民族楽器や効果音のアクセントが、音像の浮遊感や幻影性、知的な印象とイマジナティヴな映像美に大きな役割を果たしている。
・先頃の初来日公演にも感激したアグスティン・ペレイラ・ルセーナの数ある名作群の中から、最新アルバムの“PLANICIE (EL LLANO)”を選んでいることも、セレクションの象徴的なポイントだ。寂しげで切なげな旋律が風に吹かれるように流れていき、憂愁の悠久の時を刻むようだ。
・そうしたテイストとやはり親和性が高いのがアンドレス・ベエウサエルトだ。リリカルで内省的で美しい幽玄の調べ。彼がピアニストとして貢献するアカ・セカ・トリオのネオ・アコースティックを彷佛とさせる瑞々しさも、サバービア〜アプレミディのリスナーの胸を疼かせるだろう。実際にカフェで大人気、という声も最近よく耳にする。
・アカ・セカ・トリオによるウーゴ・ファットルーソ“MONTE MAIZ”のカヴァーから、カルロス・アギーレがピアノを弾くベレン・イレーの“AGUA DEL RIO”に流れるところは、柔らかな陽射しに包まれ、日常が祝福と希望に満ち輝いているように感じられるはず。セシ・イリアスの口笛や笑い声や吐息、光がこぼれる感じや水の揺らめくような感じにも、同じような思いをこめた。
・ベレン・イレーやセシ・イリアスのこれらの曲を聴いていると、僕はセシリア・サバラの2007年のファースト『AGUARIBAY』を思い出す。アカ・セカ・トリオのフアン・キンテーロが書いた“A PIQUE”や、キケ・シネシとシルヴィア・イリオンドが参加したタイトル曲が素晴らしい。
・キケ・シネシのギターは、カルロス・アギーレのファーストのオープニング曲“LOS TRE DESEOS DE SIEMPRE”での繊細なプレイに明らかなように、本当に味わい深い。ここに収録したノラ・サルモリアの歌も聴ける“AMORES DE LA VENDIMIA”は、そのギターとピアノの揺れるような感じが筆舌に尽くしがたい絶品だ。
・キケ・シネシと共に、シルヴィア・イリオンドの曲のセレクトも、(いわゆるワールド・ミュージック愛好家とは違い)とても自分らしいと思っている。ムビラ(親指ピアノ)の柔らかな音色にリードされる、クチ・レギサモンのフォルクローレ・スタンダード“900年のセレナーデ”。アルゼンチンでは結婚式や好きな人に気持ちを伝える場面で歌われる曲だという。
・その前の曲、まるで天気雨のようなムビラによるメランコリックでメディテイティヴなワルツ“CARAGUATA”の収録にこだわったサンチァゴ・ヴァスケスも、このコンピレイションのキー・パーソンだ。彼が率いるプエンテ・セレステの“GINCANA”は70年代のジョビンを連想する風と大地が奏でるシンフォニーで、“OTRA VEZ EL MAR”は優しくモダンな風と光のささやき。プエンテ・セレステのヴォーカリスト、エドガルド・カルドーゾとフアン・キンテーロによるアコースティックなデュオ“LA LUMINOSA”には、月並みだがヒューマンでハートウォームという讃辞が似つかわしいだろう。
僕がこのコンピレイションを聴き終えていつも思うのは、ニック・ドレイクを聴くときと同じような心持ちで聴けるなあ、ということ。ファラオ・サンダースの“PRINCE OF PEACE”やユセフ・ラティーフの“LOVE THEME FROM SPARTACUS”の横にあったもの、と言ってみてもいいかもしれない。「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」という芭蕉の有名な句が思い浮かんだりもする。いろいろな不幸のために心がつらく暗くなったときは、これからもこのCDを聴くだろう、と僕は思う。そのときに考えるのは、寺田寅彦の随想にあった「人間の心の中の真なるものと偽なるものを見分け、真なるものを愛し偽なるものを憎む」ことだろう。僕はこのコンピレイションを誰よりも新しいアルバムを制作中だったNujabesに聴かせたい、と吉本宏と話していたが、あと少しのところで叶わなかった。慈しむような音の美しさが神経を和らげるように染みてきて、まぶたを閉じると、何か温かく柔らかなものが月影のようなスクリーンに滲んだ像を結ぶ。
追記:今週届いたばかりのビルド・アン・アークの『LOVE PART.2』を聴いて、まるでこのコンピやカルロス・アギーレのような作品だと感じました。エンディングの“TRYIN' TIMES”などは本当に、『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』に入っていても全く不自然でない、心洗う美しすぎるトラックです。
また、静寂に美しく溶け込む音楽、という観点から、このCDは美術館やギャラリーでも流してもらえたら嬉しいな、と願っています。静かな思索のひとときにはもちろん、読書のBGMとしても最適ですから、ご購入特典として、ジャケットの印象的なパタゴニアの木をあしらった「本の栞」もご用意させていただきました。

巨勢典子 / この道の向こうに
MAVIS / MAVIS
V.A. / HEAVENLY SWEETNESS LABEL COMPILATION #1
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


先日、5/24〜7/11の期間、毎週土曜深夜に「usen for Cafe Apres-midi」で放送される特集プログラムの収録があった。テーマは「音楽のある“深い夜”の風景」。最近ひどく気に入っていて、前回のこのページで紹介したシネマティック・オーケストラによるミックスCD『LATE NIGHT TALES』に触発された企画だ。ロバート・ワイアットやニック・ドレイクから、クラブ・エイジ以降そしてリリースされたばかりの曲まで、僕なりの気持ちをこめたセレクションで、“深い夜”の心象風景を描いた。ここではそんな中から何枚か、推薦CDをピックアップしよう。
いま何か選曲するなら、これから始めるしかないと思っていたのが、巨勢典子の“I Miss You”。曲名も暗示的だった、と涙せずにいられない、Nujabesが「発見」したあまりにも美しい曲。Nujabesはまもなく“REFLECTION ETERNAL”と“ANOTHER REFLECTION”をカップリングしたアナログ盤が発売されるが(一生大事にしたい)、“I Miss You”のあのピアノの旋律と感極まる弦の調べを聴いていても胸が詰まる。幻想的なジャケット写真も美しく、『この道の向こうに』をアルバム通して初めて聴いたときの静かに胸に迫る感じも忘れられない。僕はバック・カヴァーの曲名の並びを見ているだけでも心惹かれる。(本来なら縦に並べたいところだが)“I Miss You”“向日葵の影”“Message”“この道の向こうに”“丘と少年”“満ちてくるもの”“風の行方”“Your Song”“午後のひかり”“星空を見上げて”──何か感じずにはいられない。
近々のお気に入りからは、90年代から様々な名義で傑作を残すUKクラブ・シーン出色のサウンド・クリエイター、アシュレー・ビードル(僕は「bounce」の編集長をしていた頃、彼にインタヴューを試みたことがある)が、エンジニアでもあるダーレン・モリスと組んでレディー・ソウルの偉人メイヴィス・ステイプルズに捧げた『MAVIS』を。これが本当に珠玉のような愛情あふれるトリビュート盤で、宇宙に思いを馳せながら都市の叙情が息づく、ある意味でとてもロマンティックなアルバム。全編がミッドテンポで貫かれているのも素敵で、キャンディー・ステイトンからエドウィン・コリンズ(ex.オレンジ・ジュース)やサラ・クラックネル(ex.セイント・エティエンヌ)まで、フィーチャリングされたどのヴォーカリストも声が良い、というのもアシュレー・ビードルの耳の素晴らしさと確かな敬愛を証明している。その中から僕が“深い夜”のために迷わず選んだのは、2001年作『IS A WOMAN』をこの冬も愛聴したラムチョップのカート・ワグナーが歌う、星屑が夜空に舞い散るようなメロウな“GANGS OF ROME”。この曲を何と何で挟んだかは教えたくて仕方ないが、それはお聴きになってのお楽しみに。選曲パーティー「bar buenos aires」で同じ曲順を披露したら、素晴らしくメランコリックな山本勇樹・河野洋志の両氏は感嘆の声を上げてくれた。
そしてもう一枚、ニュー・アライヴァルからセレクトするのは、スピリチュアル・ジャズ好きが絶大な信頼を寄せるパリのレーベル、ヘヴンリー・スウィートネスがその名を冠した2枚組のオムニバス。僕もジャズ・シュプリーム・コンピのライセンス音源などで世話になっているレーベルだが、ここからはもちろん、サンダーバード・サーヴィスによるファラオ・サンダース“THE CREATOR HAS A MASTERPLAN”の最高のカヴァーを(『JAZZ SUPREME〜MODAL BLUE SKETCHES』にはピースフルなレオン・トーマス版を収めましたね)。ちなみにこの曲は、夢の中で鳴っているようなリル・ルイスの“DANCING IN MY SLEEP”を受けて、サンチァゴ・ヴァスケスのムビラに恍惚となる『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』とは別ヴァージョンの“CARAGUATA”へバトンタッチ。そしてやはりムビラの真摯な音色が瞑想を誘うダグ・ハモンドの“WE PEOPLE”もヘヴンリー・スウィートネス原盤。さらにダグ・ハモンド“DOPE OF POWER”のフォー・テット・リミックス、ジョン・ベッチ・ソサイエティー“EARTH BLOSSOM”のカルロス・ニーニョ・リミックス、チキンウィング・オール・スターズによるゲイリー・バーツ“CELESTIAL BLUES”のリメイク、話題の新鋭ブランデット、あるいはドン・チェリー&ラティフ・カーン/アブダル・ラヒーム・イブラヒム(ダグ・カーン)/アンソニー・ジョセフ/ロンゲッツ・ファウンデイション/アン・ヴァーツといった新旧の馴染みの面々も顔を揃えているお得なショウケース盤だ。
「音楽のある“深い夜”の風景」には他にもたくさんのトピックがあって、中でもトレイシー・ソーンの来たるべきニュー・アルバムからの新曲“OH, THE DIVORCES!”の素晴らしさは特筆せずにはいられないところ(メランコリックなワルツで琴線を震わされます)。カルロス・アギーレが影響を受けたアーティストとしてキース・ジャレットやエグベルト・ジスモンチと共に名を挙げたと聞いて、僕の音楽仲間がみな深くうなずいたパット・メセニー&ライル・メイズ(&ナナ・ヴァスコンセロス)も当然エントリー。“SEPTEMBER FIFTEENTH (DEDICATED TO BILL EVANS)”はビル・エヴァンスの命日にちなみ、その死を悼んだ名演で、カルロス・アギーレ&キケ・シネシの生き写しのよう。僕はメンタル・レメディー(ジョー・クラウゼル)の11年前の名曲“JUST LET GO”(“THE SUN・THE MOON・OUR SOULS”のプロトタイプ!)から、宇宙の塵のように儚げにつないでみた。

2010年4月上旬

BUILD AN ARK / LOVE PART.2
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


当初2枚組としてリリースされる予定だった昨年発表の大傑作アルバム『LOVE』の第2楽章がいよいよ登場。カルロス・ニーニョ(とミゲル・アットウッド・ファーガソン)らしい真摯なメッセージがこめられた、孤独の世代のための救済の音楽。
今年初めに届いた『SOLAMENTE』がやはり素晴らしかったカーメン・ランディーが歌う冒頭の“COSMIC TUNING”から、その名作の延長線上で聴けるメロウ&スピリチュアルな「現代のブルース」という趣き。印象的な“Tryin' Times”という歌い出しに、一瞬にしてダニー・ハサウェイからビリー・ホリデイまでが脳裏に浮かぶ。
『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』の最後に置いたアレハンドロ・フラノフの“MICERINO ALAP - MICERINO TEMA”を連想せずにいられないオリエンタルでメディテイティヴな“SAY YES!”は、ミア・ドイ・トッドの“THE YES SONG”をビートルズ『MAGICAL MYSTERY TOUR』へのオードとして(カルロス・ニーニョ談)改作したもの。僕が今いちばん聴いていたいのはこういう曲だ。瞑想と沈思のための音楽。
続く“IMPROVISATION DAY 1”もシタールの音色が心を落ちつかせてくれ、音響スケッチに美しいストリングスが重なり陶然となるが、ドゥワイト・トリブルが泣き崩れるように愛を訴えかけるバート・バカラック作“WHAT THE WORLD NEEDS NOW IS LOVE”のカヴァーには胸の芯から熱くなる。あの名曲“THE BLESSING SONG”のマイケル・ホワイトのヴァイオリンを始め、ハープやシタール、チェロやヴィオラ、パーカッションやポエトリーが織りなす、曲の断片が浮かんでは消えゆくアルバムの進行も優れて現代的だ。
そして、ゆっくりと7分をかけて蓮が咲き乱れる風景が広がるように天上の調べに達する“IMPROVISATION DAY 2”を継いでのラスト・ソング“TRYIN' TIMES”の美しさと言ったら。その宝石のようなピアノは奇跡としか言いようがなく、いつまでも繰り返しリピートしていたくなる。鈴の音が聴こえるたび、まさに桃源郷で鳴っているような音楽、だと思う。

THE MiCETEETH. / LIVE - 20100110
BILLY KAUI / BILLY KAUI
COUNTRY COMFORT / WE ARE THE CHILDREN
PAUL HORN / VISIONS
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


春から夏にかけて聴きたくなるCDを何枚かまとめて紹介しようと思ったのは、ちょっと嬉しくなるエピソードがあったから。韓国ツアーで昼間の野外でのパーティーでDJプレイしたときに、まさに「サンシャイン・デイ」という感じの気持ちよく晴れわたった午後だったので、グラジーナ・アウグスチクの“SO REMINDING ME”をかけたら、場の雰囲気がいっそう輝きを増すと共に、同行の仲間たちに次々に「この曲は何?」と声をかけられたのだ。帰国して1週間後には、ソウルに一緒に行った次松大助から真夜中に連絡があって、「今また“SO REMINDING ME”を聴いてて、音楽ってなんて美しいんだろうって感動してます。(中略)音楽だけが共通言語な場所で、僕はあのときの橋本さんのプレイで、あ、言語じゃなくて感覚を共有できるんだなぁ、って感動して、幸せでした。んん、全然言葉足らずな表現ですが……あぁあぁ……おやすみなさい!」と嬉しい言葉をもらった。深夜2時にこんな爽やかな曲を聴きながら焼酎を飲んで酔っ払っているこの男を僕は最高だと思うが、彼の音楽に対して僕自身も同じ感想を抱いている。
というわけで春の陽気に包まれた昨日、この曲を収めた『音楽のある風景〜春から夏へ〜』を今年初めて聴いてみた(THE MiCETEETH.に続けて)。韓国の「空中キャンプ」主宰・ゴくんからも、「あの橋本さんがかけたキース・ジャレットのカヴァー曲、“Sunshiny Days”っていうような曲は誰でしたっけ? 音源は手に入りますか?」と問い合わせがあった。「グラジーナ・アウグスチクです。『音楽のある風景〜春から夏へ〜』で聴けるよ」と答える気分で改めて聴くと、やっぱりいい曲。1年前の僕の曲目解説を見ると、「切ない前奏に続いて、光がきらめくような至福のメロディーが奇跡のように広がり、弾むピアノが軽やかな幸せを運んでくれるキース・ジャレットのサニー&フォーキーな女性ジャズ・ヴォーカル・カヴァー。大空を舞うように心が解き放たれ、音楽の清々しさを満喫できる、まさにファンタスティック・ミュージック!」とあり、今も同感だ。というかこのコンピ、他の曲も含めて、いい曲を入れすぎ、とコンパイラーとしては妙な反省も。アプレミディ・レコーズ第1弾だったので気負いもあったのだろうが、今年もまたこの光あふれる季節に存分に味わっていただければ本望だ。
続いては久々の再入荷、「マッキー・フェアリー×ボズ・スキャッグス」とも評されるハワイのシンガー・ソングライター、ビリー・カウイが1977年に残した唯一のソロ・アルバム。フリー・ソウル・ファンに不動の人気を誇る、ババドゥもカウイに捧げてカヴァーした“WORDS TO A SONG”、そして同タイプのグルーヴ・チューン“EMPTY”に注目が集まるが、“CLOSE TO YOU”も僕のかなりのお気に入り。こんな曲を聴きながら恋人とふたり夕暮れの浜辺ですごしたい、と思わせる。さらに、イントロからオーシャン・カラー・シーンの“UP ON THE DOWN SIDE”を思い起こす小気味よいラテン・ジャズ調の“ASKING FOR A NIGHT”、ウエスト・コースト・ジャズ風味で軽やかにスウィングする“SUNNY”と自作曲が充実。繊細にしっとりと紡がれるホセ・フェリシアーノ“IT DOESN'T MATTER ANYHOW”のカヴァーも、ハワイの甘く優しい風にそよがれるようだ。
もう一枚ハワイから、ビリー・カウイも創設メンバーだったカントリー・コンフォートのファースト・アルバムも推薦。ハワイでコーヒーハウスをやっていたMFQのサイラス・ファーヤーによるプロデュース。オープニングの名品“SUN LITE, MOON LITE”から、柔らかなアコースティック・ギターとコーラス、ゆったりとしたリズムにのせて、ハワイ特有のゆるやかで伸びやかな空気が広がる。メンバーの多くがドラッグで亡くなってしまうという切ない運命をたどったカントリー・コンフォートだが、ブレッドのヒット曲の好カヴァー“MAKE IT WITH YOU”を聴いていると、この曲は心優しい彼らのためにあったのでは、とさえ思えてくる。
最後は春から夏にかけての夜に聴くと心地よいアルバムを。西海岸のマルチ・リード・プレイヤー、ポール・ホーンが1973年に発表した隠れた傑作。『JAZZ SUPREME ~ MODAL BLUE SKETCHES』に収録した3/4〜5/4のクールな展開と抽象性に富んだ美しさに魅せられる“ABSTRACTION”や、エリザベス・テイラーが主演した映画「クレオパトラ」をモティーフにしたオリエンタルな“CLEOPATRA PALACE MUSIC”といった、盟友であるヴァイブ奏者エミル・リチャーズと60年代前半に吹き込んだモーダルな名演群が忘れられない彼だが、ここではジョー・サンプルやラリー・カールトンらの敏腕ミュージシャンと共に、スティーヴィー・ワンダー/ジョニ・ミッチェル/デヴィッド・クロスビーなどをカヴァー。幕開きのスティーヴィーの“TOO HIGH”からジョニ本人が歌う“BLUE”までどれも聴き逃せないが、中でも白眉は、バトーの名曲を清涼メロウ・グルーヴに仕立てた“HIGH TIDE”。僕はかつて「Suburbia Suite; Suburban Classics For Mid-90s Modern D.J.」に、「繊細かつ情熱的に、美しく高揚していくポールのフルートは、まるでメロディーを歌っているかのようだ」と綴っている(確かその後MF・ドゥームがこの曲をサンプリングしているのを聴いて感心した憶えがあるが、レコードが見つからず未確認です)。

2010年4月下旬

FREDDY COLE / THE COLE NOBODY KNOWS
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


ヴィニシウス・カントゥアリアの新作があまりに素晴らしすぎる! 例えば“SLOW MOTION BOSSA NOVA”(セルソ・フォンセカ)以来の最高の21世紀ボサ、というような讃辞では言葉が足りないほど。重力を感じさせない、風のような、水の流れのような音楽。オープニングからトニーニョ・オルタの名曲“AQUELAS COISAS TODAS”を彷佛とさせ、“ヴァガメンチ”“無意味な風景”のカヴァーは特に絶品、メランコリックなピアノにも惹かれる“CONVERSA FIADA”“BERLIN”を初めて聴いたときは心の震えを抑えることができなかった。アグスティン・ペレイラ・ルセーナからビル・フリゼールまでを連想させる、アルバム通して本当に素晴らしい一枚だが、その盤の紹介は信頼するアプレミディ・セレソン武田に任せて、僕はやはりこちらを推薦するのが筋というものだろう。そう、真に待ちに待った復刻、と言って間違いないはず、ナット・キング・コール兄弟の末っ子のシンガー/ピアニスト、フレディー・コールのその名も『誰も知らないコール』だ。
オスカー・ブラウン・ジュニア“BROTHER WHERE ARE YOU”の涙の名カヴァーを、ここ何年かの間、世界中で僕ほどよくDJプレイした者はいないだろう。あるときはかつて「Free Soul Underground」に集った仲間たちに向けて、あるときは天に逝ったNujabesに捧げて。10年ちょっと前、この曲とフレッド・ジョンソン“A CHILD RUNS FREE”をカップリングした7インチが英ジャズマンから出たときは、これ以上の組み合わせは考えられないと思った。何度かけても熱いものがこみ上げ、胸を突くサビのフレーズを口ずさんでしまう。まさに昨日、Pヴァインの塚本ディレクターから、『BROTHER WHERE ARE YOU』というタイトルでコンピレイションを作りませんか、という提案があったのも嬉しかった。
1976年にジョージア州のマイナー・レーベル、ファースト・ショットから発表されたこのアルバムは、その稀少性ゆえに長らくレア・グルーヴ・マニア垂涎だったことは言うまでもないが、オリジナル盤がどれほどレアであるかなどは、この作品の素晴らしさの前では些細なことだと僕は思う。隠匿的なコレクターやDJよりはむしろ、素直なリスナーに届くべき、心に温かい光を灯してくれる一枚なのだ。ラファエル・チコレルやペニー・グッドウィンなどが好きな方なら必ず気に入るはずの、“CORRECT ME IF I'M WRONG”〜“MOVING ON - A PLACE IN THE SUN”〜“WILD IS LOVE”という冒頭の名作の連なりから、すべての曲、すべての歌が素晴らしい。滋味深くソウルフルで、粋でスウィンギー。「誰もが知るべきコール」がそこにいる。僕は“BROTHER WHERE ARE YOU”のマリーナ・ショウやアビー・リンカーンのヴァージョンは所有しているが、フレディー・コールのもうひとつの録音(尾川雄介氏によれば、より内省的で味わい深いという)は持っていないので、その曲を収めた同じレーベルからの『JUST PAIN FREDDY』も続いてリイシューされることを期待したい。できることなら僕がかつて“CABARET”や“TRISTEZA”のカヴァーをスピンしていたビッグバンド・スタイルのスタンダード集『SING』も。

ALEX CHILTON / CLICHES + LOOSE SHOES AND TIGHT PUSSY
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


酒を飲みすぎて酔って遅く家に帰り、倒れるようにベッドに入って何となく手にしたフリー・ペーパーの一節に、どうしようもなく胸を締めつけられてしまった。音楽について書かれた文章を読んで涙が出そうになったのは何年ぶりだろう。吉本宏が「サバービア・チルドレンからの理想的な回答」と評した山本勇樹・発行「素晴らしきメランコリーの世界」に掲載されたパンチョ河野氏によるコラム。音楽について書く、という近頃は特に浮かばれない行為を、そのバカ正直(真摯と同義です)な熱量によって尊いものと感じさせる。「Suburbia Suite」よりよほど心に響く、“there will never be another you〜さよならアレックス・チルトン”と題されたその追悼エッセイを、ここに全文転載させていただく。
2010年3月17日。80年代から暮らすメンフィスで静かにアレックス・チルトンは息を引き取った。享年59。
10代の頃だった。出会い頭、その声に“はっ”とした。例えばジョン・レノンやチェット・ベイカーがそうであるように、どんなに絶望的な状況にあっても、かすかな希望を感じさせてくれる真っすぐで偽りのないその声に。
ボックス・トップスでデビューし、ビートルズを夢見たビッグ・スター。NYでのジャンキー期を経て再びメンフィスへ。エリオット・マーフィーの名を語って、寝ぐらを転々とし、再結成ビッグ・スターでは「ギター・ポップなんて興味ないね」とうそぶく。その後のソロでは嬉々として大好きな往年のジャズ〜ゴスペル〜R&Bをカヴァー。楽しいふりなどできない不器用さが災いして、どんなに不遇をかこっても、決してプライドを捨てることはなかった孤高の男。そんな彼の、真摯で慎ましい生き様、ソウルやブルースから滲み出るメランコリーな響きが大好きだった。
ここに紹介するのは、彼の訃報に接し、やり場のない僕の一日を照らした名盤たち。ビッグ・スターを夢見ながらも夢破れた、ダウナーでサイケデリックな調べ『Third/Sister Lover』。ストーンズ〜ビートルズの影響も色濃い、初々しい初期作品集『1970』。ビッグ・スター再結成後に届いた、切なきギターの調べに男の哀愁が絡みつく、裏『Hurt Me』な弾き語り『Cliches』。沈黙を経ての仕切り直し盤、トリオ編成でのジャジー&ソウルフルな『Loose Shoes And Tight Pussy』。魂の兄弟ジョニー・サンダースがひとり、孤独を紡いだ『Hurt Me』。チルトンもこよなく愛した“永遠の愚か者”チェット・ベイカーが残した、最晩年のブルーな名作『Let's Get Lost』。彼もカヴァーした名曲「Nobody's Fool」の作者であり、60年代南部ソウルの父ことダン・ペンのホームメイド・パイのような『Nobody's Fool』。そして“アルゼンチンのアレックス・チルトン”ことルイス・アルベルト・スピネッタの82年作『Kamikaze』に染みつく内省的でサイケデリックなブルー・アイド・ソウルな感覚。そこには裏街道を千鳥歩きした者だけが知りえる人生の真実が刻まれている。
“there will never be another you”。そう、あなたの代わりなんて誰もいやしない。けれども、大好きだった“あの歌”が、鼻歌交じりで今宵も天国で紡がれることを信じて。本当にありがとう。

追記:僕個人はアレックス・チルトンの『CLICHES』の中から、ニーナ・シモンの名唱でも人気の高い“MY BABY JUST CARES FOR ME”や、チェット・ベイカーのレパートリーとして決して忘れることのできない“LET'S GET LOST”“THERE WILL NEVER BE ANOTHER YOU”といった曲を、「usen for Cafe Apres-midi」などでセレクトしていることを付け加えておきます。

2010年5月上旬

RICHARD CRANDELL / ESSENTIAL TREMOR
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


またひとつ、心の調律師のような音楽と出会えた。アフリカ南部ジンバブウェのショナ族に伝わる伝統楽器ムビラ(親指ピアノ)のみによる演奏作品。今年1月下旬のこのコーナーで推薦したリチャード・クランデルの前作『SPRING STEEL』(“INNER CIRCLE”という曲をいたく気に入っている)に続いて届けられた最新アルバム。
ジョン・フェイヒィからミシシッピ・ジョン・ハートまでを敬愛し、アコースティック・ギターのフィンガーピッキングを中心にしたレコードを1970年代から作っていたオレゴンの音楽家リチャード・クランデルは、まさに知る人ぞ知る存在だったが、1999年に「聖なる楽器」ムビラと運命の出会いを果たす。そして21世紀に入り、彼の奏でるミニマルなムビラのサウンドを、あのジョン・ゾーンが気に入り、自身が主宰するニューヨークのレーベル、TZADIKへの録音を提案する。そうして生まれたのが2004年の『MBIRA MAGIC』と2007年の『SPRING STEEL』。共にブラジルの最高のパーカッション奏者シロ・バプティスタが参加した、ムビラやタブラのメディテイティヴな音色に魅了される掛け値なしに素晴らしいアルバムだった。
今作でもその感動は変わらない。「バルトークによる子供のための音楽を彷佛させるような」と本人が語る“INSIDE OUT”に始まり、パーカッシヴなグルーヴを内包する“CLICK”や「スペインの空気感も生まれる」日本のペンタトニック・スケールを基にした“QUIET FIVE”が続く。そして、繰り返される11個の音のフレーズと11個のビートで構成された『MBIRA MAGIC』収録曲の再演“ELEVEN”が秀逸。ラテン・アクセントのリズミックなハンドクラップ・フィーリングとスピリチュアルなアフリカのコード進行が交錯する“LA QUINTA”、マイルス・デイヴィスがムビラを愛していたという逸話から誕生したという“MBIRA FOR MILES”に続いて登場する“TAG TEAM”がまた珠玉の名作。「友人であるアル・グリーンにムビラを渡したとき、彼が直感的に弾き始めたフレーズにメロディーを足して完成させた」という素敵なエピソードにも心がほぐれる。フラット・ファイヴの使い方は、僕の大好きなフランスのクラシック作曲家フランシス・プーランクから影響を受けているというのも嬉しい。日本盤ボーナス・トラックとして最後に置かれた“JOSHUA”にもたまらなく惹かれてしまう。
「あなたにとって私の音楽が、穏やかで、感動的なものでありますように。Peace, Richard」──とても多くのことを考えさせられる(そして心を動かされる)リチャード・クランデル本人から寄せられたメッセージは、そんなふうに結ばれている。本当に一日中、穏やかな気持ちで部屋に流していられるアルバムだ。「世の中にはストレスや緊張が多すぎます。私は音楽を通してそれを減らしていきたいのです」という彼の言葉に、僕はカルロス・アギーレの姿を思い出した。アプレミディ・レコーズからリリースされる『CARLOS AGUIRRE GRUPO』(CREMA)と一緒にぜひ聴いてみてください。

VIEJAS RAICES / DE LAS COLONIAS DEL RIO DE LA PLATA
VITOR ASSIS BRASIL / DESENHOS
THE JOHN DANSER OCTET / THE DANSER REVOLUTION
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


南米やヨーロッパの廃盤の中古レコードをよく買っていた頃を思い出すアルバムが2枚、ほぼ同時にCD復刻された。あれは2001年の夏、忘れもしない、これまでのレコード・ハンティング人生史上、最も大枚をはたいた日、僕は大阪の「FIRST IMPRESSIONS」という店で、ヴィエハス・レイシスとヴィトル・アシス・ブラジルを(他の多くの屈強なレア盤たちと)一緒に手に入れたのだった。
その後ヴィエハス・レイシスは、気怠いメロウ・グルーヴ“PARA NOSOTROS SOLAMENTE”やパーカッシヴ&エクスペリメンタルな“LA HORA DE LA SED MALDITA”、ヒップでグルーヴィーな“MIRA TU”をDJプレイし、美しい幻影のような絶品“EL VIAJE DE DUMPTY”は「usen for Cafe Apres-midi」選曲の定番となった。今(アルゼンチンらしいと感じて)好きなのはメランコリックな“BALEWADA”や“ETERNA PRESENCIA”だったりするが、9年前に単行本「ムジカノッサ」に寄せたエッセイでは、アプレミディ・コンピを作ったばかりだったアーティストとレーベルを引き合いに出して、こんなふうに触れている──「僕は手に入れたばかりのアルゼンチンの珍しいアルバムのことを思い出す。マルコスの音響メロウ・グルーヴとコンポストのジャズ・エレクトロニカが合体したような未来的なサウンド。どこか東欧ジャズにも通じる奇妙な浮遊感を漂わせている」。
一方でヴィトル・アシス・ブラジルについては、ディスクガイド「Jazz Supreme」の“Atmospheric Saudade Voyage”の項で、「後にモーダルなジョビン・カヴァー集も発表するリード奏者のフォルマ盤は、ピアノにテノーリオ・ジュニオルを迎え、アルトでコルトレーンの陰影を滲ませる。研ぎ澄まされた美学が宿るジョアン・ドナートのカヴァー“NEQUELA BASE”が珠玉の逸品だ」と触れた。今では懐かしい「relax」誌のアプレミディ・グラン・クリュ特集には、こんな紹介で真夜中の推薦盤として載せられている──「ヴィトル・アシス・ブラジルの残像を残したアルトとテノーリオ・ジュニオルの光を放つピアノの美しい調和。精神を無にし魂を解放するようなアルトの音色と寡黙なピアノの響きがモノクロームの写真のような光と影のコントラストを描く。鋭く切り出されるフレーズの中に隠された切なさを感じさせるトーンは、灯りを落とされたフロアの片隅に生まれた微かな暗がりにも似た憂いを感じさせる」。

追記:そして、廃盤専門店をくまなく歩きまわっていたあの頃でさえ、お目にかかることがなかった、あのダンサーズ・インフェルノ関連盤として知られるジョン・ダンサー・オクテットの『THE DANSER REVOLUTION』もリイシューされました。僕はワルツタイムで揺れる“FIVE FIVE”や“JAZZ WALTZ”、モッド・ジャズの香りも漂う“MONKEY”あたりを気に入っています。
monthly recommend - -
橋本徹の推薦盤(2010年5月下旬〜2010年10月下旬)
2010年5月下旬

橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


夕闇と共に一瞬だけ訪れる刹那の奇跡。そんな瞬間の永遠の美しさを音楽に託したコンピレイション。その発想のきっかけを話すと長くなるが、まずは昨年7/29に僕が書いた[staff blog]を読み返していただけたら嬉しい。
「メロウ・ビーツ」という言葉が他のヒット・コンピの影響か、何となく哀愁R&B寄りに解釈されているように思えて気がかりだった僕が、そのイメージを理想的に修正できたのでは、とその内容に100%満足したのが、日本人アーティストによるスペシャル企画盤『MELLOW BEATS, FRIENDS & LOVERS』だったが、それからこの春の『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』へと連なる音の桃源郷、感性と知性が織りなす夢のような世界への旅のひとつの終着点が、このCDと言えるかもしれない。僕は今、1年ぶりに夏の夜に「宇宙へのフロンティア」を観ながら、その映像にこのサウンドを合わせてみたい、という欲望に駆られた。同時に、今年も昨夏8/23のようなパーティーが開かれればいい、と心から思う(Nujabesの追悼イヴェントは8/14に代官山・UNITで行われるので、多くのオーディエンスに集まってほしいが)。
オープニングに置いたのは、ピアノとギターのテキサスのデュオ、バルモレイの“SAN SOLOMON”。遠い記憶がよみがえる、子供の頃の夏休みを思い出す。僕はこの曲について、「Nujabesなら“AFTER HANABI”、Uyama Hirotoなら“ONE DREAM”という感じの叙情美あふれる世界が広がる」と2009年11月下旬のこのページに記している。
2曲目には当初メンタル・レメディーの11年前の曲“JUST LET GO”を考えていたが、ジョー・クラウゼルから「いつかメンタル・レメディー名義のアンソロジーを作りたいから、今時点でのCD化は勘弁してほしい」という旨の連絡があり、代わりにイバダン初期のリメイク・シリーズの金字塔、テン・シティー“ALL LOVED OUT”の絶品ピアノ・ダブのライセンスが下りた。気が遠くなるような美しいピアノ、そして素晴らしいべースとパーカッション。生命の宿る音楽。
去年7インチ・シングルで発表されたバヤラ・シティズンズ名義の“GODDESS OF A NEW DAWN”は、『音楽のある風景〜冬から春へ』の幕開きを飾ったメンタル・レメディー“THE SUN・THE MOON・OUR SOULS”の兄弟のような曲。サウダージでメロウ、そしてスピリチュアルな高揚感にあふれる。
12インチのハウス・ミックスにカップリングされたジョー・クラウゼル作品が僕は大好きなのだが、ジェフテ・ギオム(5年前には一緒にDJする機会もあって楽しかった)の“THE PRAYER”はその極めつけ。リヴァーブの効いたアコースティック・ギターと自然音のエフェクトに、心の奥深くまで響いてくる歌声。やがて魂を震わせるビートが加わると、歓声が湧きフロアは大きくロックされる。昨夏8/23のパーティーでは1曲目にかけたが、全くその通りの光景が海と夕陽をバックに眼前に広がった。
このように『MELLOW BEATS, FRIENDS & LOVERS』でchari chariやKuniyuki Takahashiが果たしてくれたような役割をジョー・クラウゼルのリミックス・ワークが担っているのだが、彼の“MOTHER NATURE”からイタリアのガール・ウィズ・ザ・ガン“FIX THE STARS”への流れでは、宇宙を通じてカルロス・アギーレとも交信しているような穏やかな心象風景が映し出される。ミナス・サウンドをも思わせる風がゆらぎ光がゆらめくような自然のささやき、流れ星が行き交う銀河に身を委ねるような甘美な浮遊感。そこには不思議なノスタルジーと親密さが漂う。
メランコリックなエレクトロニカの宝庫として知られるドイツの優良レーベル、カラオケ・カルクからの2曲は、『MELLOW BEATS, FRIENDS & LOVERS』で言えばrei harakamiやTakagi Masakatsu(まさにこのレーベルから“Gelnia”を収録したのだった)、あるいはAkira Kosemuraのようなチルアウトな存在感を期待してエントリーした。パスカル・シェファーの“DRRRUNK”は実際、何度となくsoraの“revans”と並べて選曲したことがある、涼しげで心地よい珠玉のトラック。波の音に始まるメルツの“THE RIVER”は、夏の日のかけがえのない風景に思いを馳せてしまう、「usen for Cafe Apres-midi」のヘヴィー・ローテイション曲だ。
初めて「素晴らしきメランコリーの世界」という言葉を耳にしたとき、真っ先に思い浮かべたのが忘れられないスウェーデンのリカード・イェーヴェリング“SUN VALLEY”は、夕暮れどきに聴いていて本当に涙がこみ上げたことがある。ゆっくりと沈みゆく夕陽をコマ落としでとらえた映像のサウンドトラック、いや夕焼けそのもののような名曲。
一方で、美しい月夜のテーマ・ソングという趣のファラオ・サンダース“MOON CHILD”は、FJDからジャケット・デザインのラフ案が届いたとき、どうしても収録にこだわろうと誓い、最初はライセンス料を200ユーロと言われたところを、粘り強くタイムレス・レーベルと交渉してもらった。たおやかで慈愛に満ちた歌声とサックス、いつまでも揺れていたいベース・ライン、そしてピアノの音色が宝石のような光を放っている。今ふとヴェルレーヌの詩にドビュッシーが曲をつけた“月の光/Clair du lune”を思い出した。今度はそんな副題でコンピレイションを作るのもいいかもしれない。来年の七夕のために、『星空で拾った音楽』というタイトルは、すでに用意しているのだけど。
夕映えの切なくも清々しい印象をそのまま音にしたようなカンデイアス(アグスティン・ペレイラ・ルセーナとギジェルモ・レウテル)の“MANAGUA”をループしたファンキー・DLの“ONLY THE INITIALS... CM”(この曲を収めたアルバムのカヴァーにはNujabesが描いた絵が使われている)以降の4曲は、僕にとって最上級のサンプリング・ミュージックを並べた。あのハードフロアの変名ダダムンフリークノイズファンクの“I LOST MY SUITCASE IN SAN MARINO”は、精緻なビート・プログラミングに“WE'VE ONLY JUST BEGUN”の旋律とヴァイブの残像が絶妙。ニュージーランドのジュリアン・ダイン“FALLIN' DOWN”はDJ Mitsu the Beatsが温かみに満ちたリミックスを施し、宵闇に瞬く星やネオン・サインのように郷愁をかきたてる。やはりこの曲をスピンした昨夏8/23の夕暮れの海辺のシーンが昨日のことのように脳裏に浮かぶ。そしてブレイク・リフォームのサイモン・Sがライズ名義で世に問うた“MESSAGE TO THE ARCHITECTS PT.1”は、僕が考える究極のメロウ・ビーツ、とさえ思う。ジャズとヒップホップの蜜月。圧倒的な吸引力を持つピアノ・フレーズに、マリオン・ブラウン“DJINJI”のサックス・サンプル。サイモン・Sによるロバート・グラスパー“J-DILLALUDE”のリエディットもライセンス申請していたが、こちらは個人的に制作したブートレグ、ということで許諾が下りなかった。
続く17ピクチャーズ(ヨルグ・フォラー)の“SHORT DESCRIPTION OF WISHES”は、ここ数年BGMのセレクションなどで感度の高い空間を演出するときに、かなり重宝させていただいていた音源。ライセンスをお願いしたレコード会社の担当の方が、『素晴らしきメランコリーのアルゼンチン』を今年No.1のCDと絶賛してくださっていたと聞いて、無性に感謝の気持ちを伝えたくなった。
そしてラスト3曲は、今の自分が最も求めるテイスト。メディテイティヴ、という形容がベストなのかどうか、僕にはよくわからないが、『素晴らしきメランコリーのアルゼンチン』に共感の声を寄せてくださった多くの方々に捧げたい、心の調律師のような音楽。カルロス・アギーレやメランコリックなフォルクロリック・ジャズと本質的に通い合う、透明な叙情と優しい無常感をたたえている。ミア・ドイ・トッド・ウィズ・アンドレス・レンテリアの“EMOTION”は、この半年ぐらいの間いちばん好きな曲。ドン・チェリー&ラティフ・カーンの“ONE DANCE”は、タブラと木管のアンサンブルに幽玄の境地に誘われる。ビルド・アン・アークの“IMPROVISATION DAY 2”は、この2か月いちばん耳を澄ませた曲だ。

追記1:やはりジャケットの素晴らしさにも触れておくべきだと思います。5/25にNujabesを偲ぶ会のためにカフェ・アプレミディに来てくれたFJD藤田二郎くんが、「前から一緒に仕事をしたいと思ってたんです」と声をかけてくれたのがそもそもの始まり。時間も予算もない中で、多忙な彼が「ぜひ書き下ろしで、ブックレットの文字組みまで含めてやらせてください」と言ってくれたときに感じた情熱が、今回の作品に結実していると僕は確信しています。ドビュッシーが曲をつけた“夕べのしらべ/Harmonie du soir”のボードレールの詩の世界が、息をのむように鮮やかにヴィジュアル化された本当に素晴らしすぎるアートワーク。ジョー・クラウゼルがFJDとのコンタクトを望んだというのも納得の話です(だってそのままメンタル・レメディーのレコードに使えそうですよね?)。僕は個人的にLPサイズのジャケットも作ろうと考えているほどです。

追記2:もうひとつ感謝の言葉を。マスタリング当日、イバダンから届いたテン・シティーのマスター・テープの状態がおもわしくなく、途方に暮れていた僕らを助けてくれたのがCALM。彼がこの曲のこのヴァージョンをかつてDJプレイしていたのを憶えていたので連絡をとってみると、自宅スタジオでオリジナルの12インチからノイズのない申し分ない音質のデジタル音源を立ち上げてくれたのです。ヴェリー・サンクス!

WILLIAM FITZSIMMONS / GOODNIGHT
BARBARA HENDRICKS & MICHEL BEROFF / DEBUSSY MELODIES
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


ウィリアム・フィッツシモンズの『THE SPARROW AND THE CROW』は昨年聴いた新譜の中で最も思い入れ深い一枚となったが、最近DJで“FURTHER FROM YOU”をかけていると、多くの方から(東京以外でも、そして東京では共演した次松大助まで!)特別な反応が続いている。そのアルバムは“AFTER AFTERALL”という曲で始まるのだが、2006年に発表されたこの前作『GOODNIGHT』のエンディング曲“AFTERALL”を、先日『音楽と香りはこの夕べの中に舞う』のためにセレクトした。哀切と寂寞と惜愛。エリオット・スミスやホセ・ゴンザレスやキングス・オブ・コンヴィニエンスが「フレンド」というのもうなずける、涙が滲んでしまうようなハートレンチングでメランコリックな名曲だ。オープニングの“IT'S NOT TRUE”や“MEND YOUR HEART”も同様に胸を打つので、ぜひこちらのアルバムも心ある音楽ファンに届けばと願う。『GOODNIGHT』というタイトルにもセンシティヴな優しさと慈しみが沁みているようだ。フリー・ペーパー「素晴らしきメランコリーの世界」で山本勇樹氏が、「ウィリアム・フィッツシモンズを聴いた瞬間にアル・クーパーがプロデュースしたマイケル・ゲイトリーを思い出した」と書いていたが、僕はかつて自分が編集した「bounce」の“People Tree”アル・クーパー特集に、小西康陽さんが「アル・クーパーの歌詞の良さは男にしかわからない」とコメントを寄せてくれたことを思い浮かべた。ウィリアム・フィッツシモンズの本当の良さも男にしかわからない、かもしれない。
僕と同じように80年代に青春期をすごした方なら、ウィリアム・フィッツシモンズを聴いていて懐かしのネオアコを思い起こすこともあるのでは、と考えたりするのだが、そんなネオアコ好きだった貴方も必聴の内容(特にマニアックなスミス・ファンは聴いてのお楽しみです!)となった『音楽と香りはこの夕べの中に舞う』で、ウィリアム・フィッツシモンズの“AFTERALL”に続けて選曲したのは、そう、絶妙のつながりとなったと自負している、このテーマ設定の由来にもなったドビュッシーの“Harmonie du soir”。清澄な瑞々しい美声とソフィスティケイトされた表現力の黒人ソプラノ歌手バーバラ・ヘンドリックスと、知的で繊細なピアノ・タッチが美しいミシェル・ベロフによる『ドビュッシー歌曲集』からの名演だ。
ボードレールの詩集「悪の華」からの5篇の詩に、ドビュッシーは(一時期)心酔していたワーグナーの影響色濃い曲をつけているが、この“夕暮れの諧調/Harmonie du soir”はその白眉とも言えるだろう(ラストの“恋人たちの死”にも打ち震えてしまうが)。また、このCDのオープニング、ヴェルレーヌの詩「忘れられたアリエッタ」に曲をつけた“やるせなく夢見る思い”〜“わたしの心に涙がふる”にも僕は強く惹かれてしまう。そして若き日のドビュッシーが魅せられていた、同じくヴェルレーヌの「艶なる宴」第1集からの、幻想的でたゆたうような“月の光”。声楽曲は苦手とばかり思っていた方(僕もそうだった)にもお薦めできる一枚だ。

2010年6月上旬

橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


どこまでも澄みきった水色に輝く空と海。真っ白に広がる砂浜。風の匂いや波のささやきが甘やかな瞬間を封じ込めた、旅先からの絵葉書のようなアルバム。まろやかに語りかける歌声と柔らかく溶け合うアコースティック楽器の温もり。「My Lover」「Oh, Oh」はときめくような、切なさに胸を締めつけられる名曲。すべてがピュアでロマンティックで美しい。(「Suburbia Suite; Evergreen Review」より)
1978年ハワイ録音。トレジャー・アイランドからのとっておきの贈りもの。2010年の夏はこのアルバムと共に海に向かうことができる。僕には8年ぶりのことだ。
2002年の暮れ、オープン仕立てのアプレミディ・セレソンの品揃えの目玉のひとつとして、『LUI』のオリジナル・レコードを手放して以来、またどこかで買えるだろうと思い続けてきたが、再びこの名盤とめぐり会うことはできなかった。ライナーをお願いしたハイファイ・レコード・ストアの松永良平氏に訊いても、もう8年以上は入荷していないという。
2001年と2002年の夏、僕はこの一枚を本当に繰り返しよく聴いた。東京の街はカフェ・ブーム真っ盛りだった。自分もささやかながら幸せを謳歌していたように思う。そんな気分に“MY LOVER”という歌が甘美なまでにフィットした。人生の至福を祝うラヴ・ソング──“She's very sweet and also mellow”。それはまさに「心地よい奇跡」そのものだった。
今年の5/2、友人のユズルがNujabesの追悼12インチを手に入れるため渋谷に来て、ギネス・レコーズを訪ねた後、何気なくディスクユニオンに寄ったのが、もうひとつの奇跡の始まりだった。最初は目を疑ったという『LUI』のジャケットに9,500円の値札。95,000円の間違いではないか、何度も確認したという彼は、その日が誕生日だった自分へのバースデイ・プレゼントに、と新品同様のその盤をあわてて購入したのだった。そして裏ジャケットに記載されていたクレジットをたどることによって、ルイ・ウィリアムス本人とのコンタクトが実現し、今回のアプレミディ・レコーズからの世界初CD化に至る。持つべきは友、ユズルにはどれだけ感謝しても足りない──ありがとう!
いつの日かスリーヴに映るマウイ・サーフ・ホテルに旅して、このCDを聴いてみたい、というのが僕とユズルの夢だ。エメラルドの海と透き通る青空に囲まれて、それは天国の調べのように響くはずだ。水の色も風の感触も、夢のように優しく、甘く感じられるだろう。

TATIANA PARRA / INTEIRA
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


昨年のアンドレス・ベエウサエルト(アカ・セカ・トリオ)の名作『DOS RIOS』での神秘的な歌声も印象的だった、ブラジル“novos compositores”とアルゼンチン“folklore moderno”という現代最良の音楽シーンをつなぐサンパウロの女性シンガー、タチアナ・パーハのファースト・ソロ・アルバムが遂に登場。キューバのオマーラ・ポルトゥオンドからイヴァン・リンスやカルロス・アギーレまで、すでに参加作が30枚を数える彼女らしい、表情豊かで軽やかに舞うヴォイスとナチュラルで美しい流麗なサウンドが溶け合って、繊細かつ強い意志を感じさせる音世界が広がっている。
伸びやかに扉を開ける“ABRINDO A PORTA”で幕が上がり、ミナスの素晴らしいシンガー・ソングライター、セルジオ・サントスのペンによるしっとりと瑞々しい“BANDEIRA”はセーザル・カマルゴ・マリアーノのピアノも詩情にあふれ、さらにビル・エヴァンス〜キース・ジャレットの系譜をつぐ優美なブラジルのピアニスト、アンドレ・メーマリとセルジオ・サントスによる共作“VENTO BOM”、サンパウロ新世代の旗手ダニ・グルジェルとのしなやかな共作“DEPOIS”、アカ・セカ・トリオをバックにフアン・キンテーロと歌うイヴァン・リンスのサウダージ漂うカヴァー“CHORO DAS AGUAS”と美しい旋律が続き、ボディー・パーカッション集団バルバトゥーキスとの共演でノエル・ホーザの古いサンバをモダンによみがえらせた“AMOR DE PARCERIA”、ミナスの「街角クラブ」を代表するミルトン・ナシメント&ネルソン・アンジェロによる宝石“TESTAMENTO”のカヴァーなど聴きものが連なり、『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』の特に中盤の流れがお好きな方には必ず気に入っていただけるだろう。
中でも個人的に白眉なのは、ラストに置かれたアントニオ・カルロス・ジョビンのカヴァー“SABIA”。もしこの作品が2007年までに生まれていたら、絶対に『JOBIM SONGBOOK FOR CAFE APRES-MIDI』に収録していたはずだ。アンドレス・ベエウサエルトのフランス印象派的なピアノに始まり、『DOS RIOS』と同じメンバー編成で、チェロはカルロス・アギーレの盟友フェルナンド・シルヴァ。モレレンバウン夫妻&坂本龍一の『CASA』に入っていたこの曲の物哀しさを愛する貴方もぜひ聴いてみてほしい。

2010年10月下旬

橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


カチアよ、ありがとう! 僕の胸に今、去来するのは、ただ一言、そんな思いだ。
クレモンティーヌの成功をきっかけに、初めて海外のアーティストをプロデュースする機会に恵まれ、2003年/2004年のパリ、2007年のリオと、海外レコーディングを3回も行うことができたのは、僕にとって2000年代の数少ないかけがえのない思い出だ。そのときの様子、その頃に感じたことは、「Suburbia Suite; Evergreen Review」や単行本「公園通り」シリーズに詳しく著しているので、ご覧いただければ嬉しいが、カチアの音楽を聴くと、今もサンジェルマンの街並みやイパネマの海岸を歩くときの軽やかさ、心地よさがよみがえってくる。あの日あのときに還りたい気持ちは募るばかりだが、彼女こそずばり「音楽のある風景」に最も相応しいアーティストだと気づいて、このコンピレイションを作ることができた僕は幸せだ。
メロウで慈愛あふれるような『サウダージ・ドゥ・パリ』(2003年)、伸びやかで多幸感に満ちた『ラ・ヴィ・アン・ローズ』(2004年)、優美な気高さが香るような『カチア・カンタ・ジョビン』(2007年)。しなやかに、色彩豊かに、歌とサウンドが溶け合っていく。パリではカルロス・ヴェルネックやマルセロ・フェレイラ、リオではアントニオ・アドルフォやカルロス・リラやロベルト・メネスカルといった素晴らしいミュージシャンたちに助けられた。とりわけ、僕らが大好きな曲・人気曲のカヴァーをいかに安易なカヴァーとしないか、という命題への探究の成果を聴いていただきたい。アントニオ・カルロス・ジョビン/オス・ノヴォス・バイアーノス/エディット・ピアフ/トニーニョ・オルタ/コール・ポーター/タニア・マリア/スティーヴィー・ワンダー……そしてジプシー・キングス“DJOBI, DJOBA”のカヴァーは、先ほども聴いていて涙が零れそうになるほど感極まった。真のインテルプリチ(表現者)──かつてエリス・レジーナに捧げられた称号で、改めて彼女を讃えたいと思う。
内に秘めた思いが力強く解き放たれていくような“NOSSO CASO”、優しく心を和らげてくれる“PRIMAVERA”は、最高のピアノ・トリオを従え今年フランスでリリースされた最新アルバムからのセレクション。“OUTRA LUA”は“島唄”、“ATE O FINAL”は“また君に恋してる”のカチアにしか表現しえないだろう感動を呼ぶポルトガル語ヴァージョン。ライヴでは皆で声を合わせ笑顔になる“OUTRO CAMINHO”、ジャジーに粋にスウィングする“FOGO DO PECADO”、今回の選曲でその「心の調律師のような音楽」としての魅力に気づかされた“PEROLA RARA”などのオリジナル曲も充実。フレンチとブラジリアンの最も幸福な出会いの風景が、確かにここにある。

CALM / CALM
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


スピリチュアル・ジャズの精神とディープ・ハウス〜デトロイト・テクノへの憧憬に根ざしたメロウな音像に、彼の普遍のメッセージが息づく。音楽愛あふれるビート・ロマンティスト、CALMの面目躍如たるセルフ・タイトルド・アルバム。アートワークはもちろんFJD。
プレリュードの“FEEL MY HEART”に続く、まさに心に響くCALM節という感じの“REMINISCENCE”で、すぐに彼の世界に引き込まれる。アルバムを通して、リズム・アプローチと音響センス、チルアウト・フィーリングのバランスが心地よいから、例えばリル・ルイスのセカンド『JOURNEY WITH THE LONELY』のようにすんなりと聴ける。『Chill-Out Mellow Beats 〜 Harmonie du soir』制作前夜、もしよかったらコンピレイションに、と本人が音を送ってくれた曲が入っているのも嬉しい。
Nujabesに捧げられた“MUSIC IS OURS”は「2010年のスパルタカス愛のテーマ」。深く心を打つ魂のベースのリフレインは永遠に胸に刻まれる。追悼アルバム『MODAL SOUL CLASSICS II』に収録されるスピリチュアルなサックス入りのヴァージョンは、この秋いちばんDJプレイした曲で、いつ聴いても涙してしまう。
そして続くメロウでメランコリックなダンス・ミュージック“EARTH SONG”も、この秋の気分に優しくフィットするようにフロアを温めてくれた。さらに甘美な“FADE TO WHITE”から、月夜に光が射すような“PRAY TO THE MOON”や慈愛に満ちたピアノが奏でる“SIMPLE SONG”が連なる、エンディングへの流れも美しい。イアン・オブライアンなどにも通じるコズミックなアンビエンスも、流麗な音の宇宙遊泳へと誘う。もちろんKENKOUのチルアウト・アルバム『NEW DIMENTIONS OF THE WORLD』の兄弟作としても風格十分の名盤の誕生だ。
monthly recommend - -
| 1/1 |