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橋本徹の推薦盤(2009年10月下旬〜2010年1月下旬)
 2009年10月下旬

WILLIAM FITZSIMMONS / THE SPARROW AND THE CROW
ANDRES BEEUWSAERT / DOS RIOS
TRUS'ME / IN THE RED
GRAND UNION / THROUGH THE GREEN FUSE
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


もうこれから先は、音楽より本の方が沁みてくるのかな、なんて思いながらマイルス・デイヴィスの『IN A SILENT WAY』をリピートしてひたすら読書する3日間をすごしていたのだが(偶然「悲しき熱帯」を再読)、1週間ぶりにCDショップに行って購入した新譜がどれも僕を待ちかまえてくれていたような素晴らしいものばかり。感謝の意を込めて、その魅力を順にお伝えしていこう(いや、本当に素晴らしいんです)。
好きなミュージシャンとしてニック・ドレイクやエリオット・スミス、ホセ・ゴンザレスといった名を挙げているというだけでも信頼できるウィリアム・フィッツシモンズは、アメリカのフォーキーな男性シンガー・ソングライター。キングス・オブ・コンヴィニエンスの新作に惹かれた方に、というキャプションも目にしたが、僕にとっては彼らや来たるべきビルド・アン・アーク、あるいはモッキーやフィンクなどと並んで年間ベスト・アルバム候補だ。優しく心を慰撫するように、その情感がじんわりと染みてくる、目を閉じてじっくりと向き合いたい作品で、実体験が歌になっていることがリアルに伝わってくる。“This record is dedicated to those with a broken heart, and those who have broken the heart of another”──繊細な傷ついた心の先に、深い鬱に沈んでいるときさえ優しい希望の光がのぞくようなアルバムだ。
プリシラ・アーンの美声とのデュエットで聴かせる“I DON'T FEEL IT ANYMORE (SONG OF THE SPARROW)”。ピアノとアコースティック・ギターが琴線に触れる“WE FEEL ALONE”、心の奥深くまで思いが染みわたるようなアコースティック・ミディアム・グルーヴ“FURTHER FROM YOU”は、共に涙なしに聴けない名曲だ。静謐なピアノが胸を震わせる“EVEN NOW”や、バンジョーの爪弾きにやはりプリシラ・アーンがコーラスで寄り添う“YOU STILL HURT ME”なども耳に残るが、何と言ってもエンディングが素晴らしい。エリオット・スミスの“WALTZ #2”を思い出さずにいられない、泣けるアコーディオンも印象的な“FIND ME FORGIVE”から、最後に置かれた優しくポジティヴなメッセージ“GOODMORNING”への展開は、何度聴いても感情があふれそうになる。哀しみの果てに光が射してくるような、こういう物語だからこそ、感動に打ち震えてしまうのだろう。蛇足ながら歌詞を引用する。
Moonlight will fall. Winter will end. Harvest will come. Your heart will mend. Goodmorning. You will find love.
さて、ウィリアム・フィッツシモンズに負けず劣らず素晴らしいアルバムを届けてくれたのがアンドレス・ベエウサエルトだ。個人的に今いちばん好奇心を惹かれ、追いかけたいと思っているのがいわゆるアルゼンチン・フォルクロリック・ジャズのシーンで、カルロス・アギーレやセバスチャン・マッキ〜クラウディオ・ボルサーニ〜フェルナンド・シルヴァ(惚れてます)、プエンテ・セレステそしてアカ・セカ・トリオといったネオ・フォルクローレとも言われる一派だが、アカ・セカ・トリオのピアニストであるアンドレス・ベエウサエルトが発表したばかりのこの作品は特別だ。
ピアノにチェロやソプラノ・サックスが加わるスピリチュアルな室内楽的アンサンブル、儚い浮遊感を漂わせるヴォイシングに音響派的な隠し味、ミナス・サウンドにも通じるたおやかさが夢の中へ、太古の記憶へと誘う。瞑想感と覚醒感、そして郷愁が不思議に混じり合い、透明で幻想的な幽玄の美を描き出す。トニーニョ・オルタやパット・メセニー、中島ノブユキとカントゥス、モーリス・ラヴェルやアントニオ・カルロス・ジョビン、そんな名前を引き合いに出したくなるが、何よりも粛々としていながら艶かしい、究極の憂愁ピアノ・アルバムとして推薦できる。とりわけ“DOS RIOS”から“MADRUGADA”への流れは絶品中の絶品で、どこまでも穏やかに心を落ちつかせてくれる。典雅で祟高なカヴァー曲のレパートリーがエドゥアルド・マテオにクラウス・オガーマンというのも僕にはたまらない。天空を舞うような女性ヴォーカルが映える“CARACOL”のエスニックな美しさも格別だ。
こんな音楽が静かに流れている美術館やギャラリーがあったらいいなあ、と強く思うアンドレス・ベエウサエルトの『DOS RIOS』は、曇りや雨の日に家にいると、一日中ぼんやりと何もしないで聴いていられるアルバムだが、僕は夜も深い時間、ウィリアム・フィッツシモンズの前に聴くことも多い(というか、このところ毎日そうしている)。ちなみにこの2枚の素晴らしい作品を、僕は改装されたHMV渋谷店の3Fで知った。最近では珍しい、ジャンルを横断して(侘びさびの)テイストでスタイリングされた素晴らしいコーナーができていたのだ(ゴールドムンド的なポスト・クラシカルな雰囲気のピアノ・アンビエントとホセ・ゴンザレスを思わせる黄昏フォーキーな作風を行き来するピーター・ブロデリックの横に、クロノス・カルテットによるビル・エヴァンス作品集が並べられたりしているのだから見事です)。その後、やはりこの売り場のファンだという松浦俊夫とも顔を合わせたが、こういう志と試みのあるCDショップが増えることを、僕らは切に願っている。
そういえばHMV渋谷店にはもともと、マーヴィン・ゲイやスモーキー・ロビンソンをサンプルしたリエディット・シングルや、ファースト『WORKING NIGHTS』を愛聴していたトラス・ミーのセカンド『IN THE RED』を買いに出かけたのだったが、これがまた、黒いグルーヴに貫かれていた前作に輪をかけて素晴らしかった。マンチェスターのセオ・パリッシュ、という異名の面目躍如。と同時にムーディーマンを思わせるようなソウルフルなメロウネスが僕には嬉しい。デトロイト・ビートダウンの傑作群の中に置いても、最も洗練され黒光りするだろう珠玉のビートダウン・ハウス。
エレクトリック・ピアノとベース・ラインが際立つ、ビル・ウィザース“CAN WE PRETEND”のカヴァーから“PUT IT ON ME”へ、という共にアンプ・フィドラーが歌うオープニングのメドレーがまず最高。続く“BALL ME OUT” は、ストーンズ・スロウから発表したばかりの『TOEACHIZOWN』で話題沸騰中のデイム・ファンクとのクリスタル・メロウなコラボレイション。いかにもカリフォルニア的な、そしてジュニーやザップを思い起こさせるデイム・ファンクのスペイシーなエレクトロ・ブギーより、僕はやはり英国のブラック・ミュージック愛好家らしいセンスのトラス・ミーを愛するが、この曲は両者の個性の絶妙な融合だろう。デトロイトのピラーニャヘッドとの共演によるタイトル曲も、コズミック・アフロ・ブロークン・ジャジー・ハウスとでも形容したい熱い好コラボで、シカゴ・ハウスの要人シェ・ダミエとの“NEED A JOB”も、中毒性の高い骨太なビートにトランペットとパーカッションが躍動する逸品だ。ラストは自分を支えてくれた母への感謝の思いを込めトラス・ミーがひとりでトラック・メイキングした“SWEET MOTHER”。信頼すべき名を持つアーティストの魂が添黒の闇で紅く燃えるようなアルバムは、そのタフで温かいグルーヴで幕を閉じる。
追記:僕が帯キャプションに推薦文を寄せたグランド・ユニオンの『THROUGH THE GREEN FUSE』も、ようやく店頭に並んでいました。ジャイルス・ピーターソンやノーマン・ジェイも気に入ってヘヴィー・プレイしているという話を聞きましたが、先日久しぶりに酒宴を共にした山下洋も、「あのペンタングルみたいなバンド」(!)と大絶賛していたことを付け加えておきましょう。詳しくは今回BENがこのコーナーで紹介しますが、僕の短い文章もここに引用しておきます。
ジャズとフォークが隣接する英国の音楽シーンの伝統を汲んだ、とてもアシッド・ジャズ・レーベルらしい新たな名作の誕生。60年代後半を思わせるヒップでサイケデリックな空気感、リズムのニュアンスはファンキーかつこまやかで、クール&アンニュイな女性ヴォーカルに弦楽器が織り込まれる翳りと愁いを帯びた幻想性が素晴らしい。とりわけジャイルス・ピーターソンも推薦する「Morning Brings The Light」は、アコースティック・ワルツ・グルーヴの名品。

THE KINKS / PRESERVATION ACT 1
MICHAEL DEACON / RUNNIN' IN THE MEADOW
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


ついこの間、良質なカタログが揃うことでジャズ・ファンには定評のあるミューザックのオフィスで、年明けリリース予定のフリーダム・レーベルの編集盤『FREEDOM SUITE』の打ち合わせをした後、そのままワインを開けて食事でも、とホーム・パーティーのような雰囲気になった。届いたばかりのベン・シドランによるボブ・ディラン・カヴァー集などを流しながら、楽しい談笑のひとときをすごしたが、もう帰り際にミューザック代表の福井亮司さんが何気なくかけた一曲が僕の耳をとらえた。ずいぶん久しぶりに聴いたキンクスの“SITTING IN THE MID-DAY SUN”。昔から大好きな曲だったが、何かに似ている、と胸さわぎを禁じえなかった。そう、これはAメロから終わりのコーラスまで、ブッカー・Tの“JAMAICA SONG”の兄弟のような曲なんですね。
“JAMAICA SONG”は春頃からCMソングに使われ人気を博し、この曲を唯一収録したCDとして『FREE SOUL COLORS』が再び注目されるきっかけを作り、フリー・ソウル15周年記念デラックス・エディションの呼び水のひとつともなった「みんな大好き」ピースフルな名作。キュビズモ・グラフィコ&櫛引彩香からエミ・マイヤーまでがカヴァーし、聴いたことはないがハナレグミも歌っていると女友だちが教えてくれた。
というわけで、その曲にそっくり、と気づいてしまった以上、キンクスも紹介しないわけにはいかない。僕にとって彼らの最高傑作は『サムシング・エルス』か『ヴィレッジ・グリーン』、と20年以上信じ込んでいたけれど、改めて聴き直すと『PRESERVATION ACT 1』もなかなか(確か『ヴィレッジ・グリーン』を下敷きにしたアルバムのはず)。“SITTING IN THE MID-DAY SUN”は邦題も“日なたぼっこが俺の趣味”と最高で、山下洋も愛唱歌にしていると最近知った。
10/31にカフェ・アプレミディで行われた加藤紀子&カジヒデキのライヴでも「陽だまり」がMCのキーワードになったり、それに続くp-4kのCDリリース記念パーティーでも陽だまりの中、この曲をDJでかけたら、昼下がりのサウンドトラックに相応しくこの上なく気持ちよくて、無性に嬉しくなってしまった。僕がこの半月の間、すっかり“日なたぼっこが俺の趣味”に取りつかれてしまったのは、そんな経緯があったからで、吉本宏とはジョシュ・ラウズの“QUIET TOWN”やジョルジオ・トゥマの“MUSICAL EXPRESS”をプレイしながら、これからは昼間のDJパーティーを増やしたいね、と意気投合したりもした。
そんな気分を抱いてHMV渋谷店に行ったら、今回アプレミディ・セレソン店長の武田が紹介するカレン・ラノが「“陽だまり系”フォーキー・ジャズ・ヴォーカル」という惹句で大プッシュされていたのも、シンクロニシティーを感じて嬉しかった。美しい逆光のジャケットに包まれた彼女のそのアルバムも、確かにニール・ヤングやトム・ウェイツのカヴァーからオリジナル曲まで好感度大だが、僕はそのとき別の「陽だまりの大名盤」とでも言うべき決定的な一枚と出会ってしまった。それがここで全身全霊を賭けて推薦したいマイケル・ディーコンの1975年作『RUNNIN' IN THE MEADOW』だ(アルバム・タイトルも何となくペイル・ファウンテンズ的で好きだなあ)。
マーク・ヘンリーを始めとする一連のミネアポリスのシンガー・ソングライターの復刻CDの中でも、これは本当にとびきりの素晴らしさ。初めて“GIVE WHAT YOU CAN”という曲を聴いたときは心が踊り出して、すぐに誰かに電話して、その感激を一刻も早く伝えたくなってしまったほど。ソウルとジャズとフォークとボサが溶け込んだメロウな風合い。切ないピアノに心地よいギターの刻みと管や弦のアレンジ、心洗われるメロディーが風のように流れゆく。敢えてよく似た空気感のアーティストを挙げるなら、ジェシ・コリン・ヤングとブルース・コバーンとケニー・ランキンとフィフス・アヴェニュー・バンド、それにシュガー・ベイブ。“GIVE WHAT YOU CAN”と並ぶ名曲“WET AND ALIVE”、さらに“BEEN CARRYIN' A SONG”“WON'T BE LONG”“TREASURE THE WORLD”“WIND RIVER CHILDREN”“QUIET LADY”……とにかく素敵な、心疼かせる曲、胸を打つ曲のオン・パレードで、ボーナス・トラックも4曲。ぜひとも聴いていただきたい、という純粋な気持ちが多くの音楽ファンに伝わることを祈って。
追記:次回はこれまた素晴らしすぎる、ビルド・アン・アークの新作『LOVE』や、ノスタルジア77・プロデュースによるジェブ・ロイ・ニコルズの絶品ジャズ・フォーク・アルバム『STRANGE FAITH AND PRACTICE』について書こうと思います。

2009年11月上旬

BUILD AN ARK / LOVE
JEB LOY NICHOLS / STRANGE FAITH AND PRACTICE
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


パーフェクト。素晴らしすぎる。結実、という手応え。オープニングのタイトル曲のイントロのピアノが流れた瞬間、世紀の名盤と確信した。
「人生に肯定的で心に伝わる音楽の、制作と支持のために精力的に活動する」(ディスクガイド「Jazz Supreme」より)男カルロス・ニーニョが全身全霊を込めた一枚。フィル・ラネリンやドゥワイト・トリブルといった伝説のミュージシャンから、デイモン・アーロン/ミア・ドイ・トッド/ギャビー・ヘルナンデスなどソロで活躍するアーティストまでが、まるでファミリーのように集まったLAのスピリチュアル・ジャズ・コレクティヴ、ビルド・アン・アークの2年ぶり3作目。深い感銘を受けたJ・ディラ・トリビュート作『SUITE FOR MA DUKES』(僕が書いた5月下旬のこのコーナーをぜひご覧ください)のスピリチュアルな室内楽風アンサンブルに大きな貢献を果たしていた、ミゲル・アットウッド・ファーガソンの存在感が増しているのにも、強い必然を感じる。
先行シングルになった“THIS PRAYER: FOR THE WHOLE WORLD”は、何度聴いても胸が熱くなる、一生忘れることのない2009年のアンセムだ。生に対する歓喜も哀切も、爽やかさも儚さも、力強いスウィングの中にすべて含まれている。それに尽きる。続いてはトライブ時代のフィル・ラネリンの代表作“HOW DO WE END ALL THIS MADNESS?”(このタイトルは現代に生きる人間にとって不可避のテーマだろう)のカヴァーから、サン・ラと彼のアーケストラに捧げられた“PLAY THE MUSIC!”へのメドレー。そしてドゥワイト・トリブルが切々と感極まるように歌う“CELEBRATE”に続いて、僕の生涯の愛聴盤、ヴァン・モリソンの『ASTRAL WEEKS』から“SWEET THING”がカヴァーされる。これも涙が出るほど嬉しかった。
フルートやバスーン、フレンチ・ホルンが印象的な“SUNFLOWERS IN MY GARDEN”も、穏やかに心を鎮めてくれるワベリ・ジョーダンによる名曲だ。続くのはインタールード的にアダプトされたファラオ・サンダース“LOVE IS EVERYWHERE”。あの“THE BLESSING SONG”のマイケル・ホワイトがヴァイオリンを奏でる“WORLD MUSIC”から、やはり鎮魂と慈愛の調べ“WORLD PEACE NOW”、やがてゆっくりとポジティヴな感動が沸き上がる“MAY IT BE SO”、カーメン・ランディーをフィーチャーした“MORE LOVE”へのエンディングもこの上なく尊く美しい。
桃源郷を描いたようなマシーンによるグラフィックも、この「愛の組曲」に相応しいアートワークだ。ラヴ&ピースという、本来は慎重に扱うべきフレーズで讃美することに、何のいやらしさのかけらも感じない。迫真的であると同時に詩的なこのアルバムを聴き終えて、僕はワールズ・エクスペリエンス・オーケストラの“THE PRAYER”という曲を無性に聴きたくなったが、とにかく、ただただ素直な心で耳を傾けていただければ、この音楽の力は伝わるだろうと思う。蛇足ながら付け加えると、CDの帯キャップにはこんな言葉が綴られている──「この世界の美しさのすべて/人々の喜び/安寧と創造、それらを愛してやまぬこの思いはどこへ向かうのか。祈りと祝福と瞑想が創りあげた、比類なき愛の音楽」。
僕はこの音楽を信じる。
追記:ビルド・アン・アークのカルロス・ニーニョと並んで、クラブ・ジャズ界隈で僕が音楽ファンとして信頼に値すると思える貴重なアーティストと言えるのが、ノスタルジア77のベン・ラムディン(その他の日欧のDJ諸氏などは、僕には小賢しいビジネスマンのようにしか見えません)。彼が制作したジェブ・ロイ・ニコルズの『STRANGE FAITH AND PRACTICE』が本当に素晴らしいことも、ここで改めて強調しておきたいと思います。英国ならではのジャズとフォークの出会い、ジャズとフォークの蜜月。侘びさびというか、枯れた味わいゆえに心温まる、ベン・ラムディンのプロデュース・ワークの中でも屈指の絶品です。ずっと繰り返し聴いていられ、聴けば聴くほど飽きることなく、聴けば聴くほど言葉にするのが難しい──というわけで、僕よりニュアンス豊かなアプレミディ・セレソン武田の文章で紹介してもらうことにしましたので、ぜひそちらを読んでみてください。僕的には、その空間性に富んだリズムの音質に、飽きない魅力の秘密があるような気がしているのですが。

ジャン=リュック・ゴダール / 気狂いピエロ(DVD)
ルイ・マル / 鬼火(DVD)
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


「気狂いピエロ」が¥1,500でDVD化されたと知ったら、紹介しないわけにはいかない。リニューアルされたHMV渋谷店の3Fに単行本「公園通りの春夏秋冬」と一緒に並べられていた。その後タワーレコード渋谷店に行ったら、お洒落映画の代表、というようなキャプションが添えられていて、卒倒しそうになった。これほど胸かきむしられる、切実で悲痛な愛の映画はない、と20年以上信じ込んでいたから。
愛の誠実を信じる男が翻弄され裏切られてもなお惹かれ追いかけてしまう宿命の女(ファム・ファタール)への絶望的な恋を描いた、ゴダール映画の最も美しく残酷な瞬間。鮮烈な赤や青の原色とロマンティックな音楽、奔放なアクションと自分への問いかけのような内省的なモノローグをまとった、どこか祝祭的で躍動感に満ちた冒険活劇(逃避行)は、ロマン主義的な恋愛幻想と、不信感・倦怠・破滅願望が激しく交錯する。僕は高校生だった1983年のリヴァイヴァル上映のときに初めて観たが、その強烈な印象が記憶に焼きついて離れない。現れては消える光・色・文字・音──それはめまいのような112分だった。
アンナ・カリーナの美しさ、奔放さ、魅惑的な目くばせも衝撃的だった。彼女が口ずさむ“いつまでも愛するとは言わなかった”“私の運命線”のふたつの歌のシーンもあまりに素晴らしい。劇中でジャン=ポール・ベルモンドがつぶやくように、「彼女がいると音楽が鳴る」(……それが恋というものでしょう)。そして絶望を誘う眼差しと意地悪な微笑み。
かつての恋人と再会し、再び恋に落ちるという設定、恋とは無為のものであるべきだ、無為であるほど純粋で美しいという考えも、この映画を観て僕の中でオブセッションになったのかもしれない。ゴダール(とカリーナ)の男女の愛の哲学、ふたりの愛の葛藤と恋の矛盾が滲みでたような一本、とは言いすぎだろうか。「気狂いピエロ」の撮影時、すでに私生活では別れていたふたりだが、ゴダールの希望で監督と女優としての関係は続けられていた、と知ったのは大学生になって自由が丘の名画座で「勝手にしやがれ」との併映で再観したときだったが。
改めて観直してみても、本当に自由で、映画的昂揚にあふれた作品だと思う。眩しいほどのポップ・アート性や引用のコラージュ(確かにお洒落かもしれない)、イメージの飛翔の鮮やかさにも目を奪われる。ピカソ、ルノワール、モディリアーニなどの絵の挿入も効果的だが、やはり今の僕が刮目してしまうのは、めまいのように押し寄せる文学や詩の一文一文。中でも何度観ても言葉を失ってしまうラスト・シーンの、アルチュール・ランボーの「地獄の季節」の一節は、いつまでも忘れることはないだろう。
顔に真っ青なペンキを塗りつけたベルモンドが、黄色と赤のダイナマイトを巻いて導火線に火をつける。我にかえってあわてて消そうとするが間に合わない。すぐに大きな爆発音が鳴り響き、島に黒煙が立ちのぼる。白く輝く地中海の水平線上をカメラはゆっくりと右にパンしていき、しばしの静寂が訪れる。この静寂の何秒かが、僕の胸を引き裂くように締めつける。「瞬間と永遠」──太陽と海が溶け合うとき、虚空にランボーの詩が流れる。
追記:タワーレコード渋谷店ではルイ・マル監督の「鬼火」も¥1,890で売っていて、「こんなに安いんだ」と僕は古いヴィデオ・テープを持っているのに思わず購入して、じっくりと観直してしまった。1960年代のパリの光景。モノクロームの映像と淡々とした演出。この映画を観るのは3度目で、初めて観たときからやはりラスト・シーンの刹那に言葉を失ったが、今回がいちばん深く、ゆっくりと胸に沁みてきたような気がする。アルコール依存症と晴れない霧のような鬱。絶望と自己憐憫。女たちの優しさ。フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」「夜はやさし」。何げなく語られる「女は現実的な愛が好きだから」という台詞。そしてエリック・サティの音楽。“ジムノペディ”と“グノシエンヌ”が流れ続けるこの映画の音楽を集めたCDがあったなら、僕はひと晩中、繰り返し聴くだろう。
透明な哀しみで包まれる孤独の音楽。ルイ・マルが深いセピア色のフィルムに描き留めた、青春の蒼き幻影を抱いたまま自らの命を絶つ男の2日間。傷つきやすい魂の鎮魂歌のように、男の空虚な心情を静かに伝えるエリック・サティの儚いほどに美しいピアノ曲が淡々と流れ続ける。やがてゆっくりと訪れる、限りなく静謐な結末を予告していたかのように。(「Suburbia Suite; Future Antiques」より)

2009年11月下旬 

SEBASTIAN MACCHI - CLAUDIO BOLZANI - FERNANDO SILVA / LUZ DE AGUA
BELEN ILE / SOMBRA DE OMBU
BALMORHEA / RIVERS ARMS
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


奇跡の一枚が少数ながら奇跡の入荷! 初めて聴いたときから惚れ込み、夢中になり、そして聴くほどにマジカルな美しさを放つアルバム。カルロス・アギーレへの憧憬・共感が「素晴らしきメランコリーの世界」を描くアルゼンチンのピアニスト、セバスチャン・マッキがフアン・L. オルティスの詩に音楽をつけた、小さな珠玉のような2005年の作品。そのささやかなピアノのきらめき、ゆっくりと胸に染み込むクラウディオ・ボルサーニの歌、フェルナンド・シルヴァのコントラバスやヴァイオリンチェロ(アンドレス・ベエウサエルトの『DOS RIOS』でも印象的でしたね)も魔法のようだ。カルロス・アギーレのレーベル「SHAGRADA MEDRA」のCDは、いつも造形から紙質・発色まで凝った装丁の素晴らしさに感激するが、これはとりわけ愛おしい詩集のような佇まいで、一生の宝物にしたくなる。『水の光』というタイトルもこの音楽の美しさをシンプルにさりげなく表現していてあまりに素敵だ(ジョイスの『水と光』を思い出しますね)。
オープニング曲“ROSA Y DORADA...”のエンディングで聴ける、古いイタリア映画のような語りと真珠のようなピアノに耳を澄ませてほしい。僕は何度聴いても、その美しさに言葉を失う。続く“NO ERA NECESARIO...”も高音ピアノの澄んだ響きが聴こえる瞬間、何かに打たれたように恍惚となる。まさに水の光がゆらめくような極めつけの一曲“FUI AL RIO...”の気の遠くなるような美しさは、とても僕などには言葉にできない。その曲と共にセバスチャン・マッキがしみじみと歌う“RAMA DE SAUCE”ではカルロス・アギーレもギターを弾き、フェルナンド・シルヴァはビリンバウを奏でる。そしてメランコリックなピアノに始まる“CLARIDAD, CLARIDAD”でアルバムは穏やかに幕を閉じる。
カルロス・アギーレのファーストと並ぶ、「心の調律師」のような音楽。大好きなミナスのアーティストやカエターノ・ヴェローゾのレコードの中にも、これほどエレガントで優しい無常感を伴って胸に沁みとおってくる音楽との出会いはなかった。ひとり物思いに耽る時間にはもちろん、美しく物静かな女性へのプレゼントとしても最良のアルバム。そのときに備え、僕はシールドで2枚ストックしている。
『LUZ DE AGUA』より2割ほどテンション高めだけれど、やはりカルロス・アギーレ・コネクションから、彼の秘蔵っ娘という印象さえ抱くブエノスアイレス生まれの女性シンガー・ソングライター、ベレン・イレーの2008年のデビュー作も、この機会に紹介しよう。アギーレはもちろんフェルナンド・シルヴァ、フアン・キンテーロやアンドレス・ベエウサエルトといったアカ・セカ・トリオのメンバーがサポートしているのだから見逃すわけにはいかない。ジャズ〜クラシック〜現代音楽の素養にボサノヴァやフォルクローレなどのアコースティック・グルーヴが溶け込む、パンパに吹くゆるやかな風のような一枚だ。
1曲目の“ESTAMPA DE RIO CRECIDO”からカルロス・アギーレ節と言いたくなるピアノの旋律が耳をとらえる。続いて登場するグルーヴィーでしなやかな“EL VIENTO EN LA CARA”を耳にする頃には、誰もがアルゼンチンのジョニ・ミッチェル、もしくはアルゼンチンのジョイス、という形容を思い浮かべるだろう。そして絶対に聴き逃すことができないのは、隣国ウルグアイの偉人エドゥアルド・マテオのカヴァー“LA MAMA VIEJA”。この曲の後半で聴けるアンドレス・ベエウサエルトによる神がかったようなピアノ・ソロは、まさしく絶品という他ないのだから。
最後にもう一枚、カルロス・アギーレやセバスチャン・マッキを愛する方に、特別にお薦めしたい一枚を。ピアノとギターによるテキサスのデュオ、バルモレアの2008年発表のセカンド・アルバムで、ヴァイオリンやチェロ、ベースが加わる室内楽風アンサンブルに、エリオット・スミスの“WALTZ #1”を思わせる夢の中へ誘うようなクラシカルなメロディー・センスが素晴らしい。トータス周辺のプルマンを彷佛とさせる、というキャプションに惹かれ買ってみたが、特筆すべきは効果音の音色や使い方が醸し出す、遠い記憶がよみがえるような余情感で、Nujabesなら“AFTER HANABI”、Uyama Hirotoなら“ONE DREAM”という感じの叙情美あふれる世界が、冒頭の名曲“SAN SOLOMON”から広がる。『MELLOW BEATS, FRIENDS & LOVERS』の2曲目に収録したno.9の“AFTER IT”を連想せずにいられない、ピアノと弦楽器がセンティメンタルに胸を突く“THE WINTER”や物憂い感傷に包まれる“LIMMAT”、優しくポスト・クラシカルな風合いの“BALEEN MORNING”、小川のせせらぎのようなエリック・サティ風の“THEME NO.1”などは、アンドレス・ベエウサエルトやクレプスキュール・レーベル、初期ドゥルッティ・コラムにも通じる魅力を湛え、雨音のSEから情景が浮かぶ“DIVISADERO”にはネオアコ心が疼き、「雨と休日」という言葉をつぶやいてしまう。
実はこの愛すべきアルバム、去年の暮れに友人の吉本宏が「shibuya B+2通信」というフリーペーパーで推薦していたことを、昨夜知った。何てことはない、燈台もとくらし。彼はYouTubeの映像で、バルモレアのライヴがビーチ・ボーイズの“GOD ONLY KNOWS”が流れる中、“SAN SOLOMON”で幕を開けるという、嬉しくなるようなエピソードも教えてくれた。
追記:フアナ・モリーナやモノ・フォンタナとの交流で、アルゼンチン音響派最重要人物と言われることの多いアレハンドロ・フラノフの新作も届いたばかりです。まだ聴き込むのはこれから先ですが、一聴しただけで名盤の予感はたっぷり。思えば前々作の『KHARI』は個人的にかなりの愛聴盤になり(プエンテ・セレステの“PAMPA”へ連なっていくような、オープニングのムビラの響きが忘れられません)、去年の夏「ブルータス」誌のチルアウト特集で“深夜、自宅で心を鎮めるアルバム10枚”というテーマを与えられたときも、サン・ラの『SLEEPING BEAUTY』と共に真っ先にリストアップしたほどでした。
今回もシタールやムビラなどの民族楽器とエレクトロニクスが溶け合う、無国籍でデジャ・ヴュを誘う宇宙旅行のようなサウンドは健在で、スペイシーでオリエンタルでメディテイティヴでドリーミーな音像は猫のゆりかごのよう。CALMが標榜していた『ANCIENT FUTURE』という世界観を想起させます。アルバム・タイトルの『DIGITARIA』とは、地球上から見える最も明るい恒星として知られるシリウス座の星のことで、子供が生まれたばかりのフラノフが人生に託した希望を象徴しているそうですが、彼がときどきのぞかせるこういうロマンティックな一面が僕は好きです。ストラタ・イーストのスタンリー・カウエルやヒース・ブラザースとも太古の記憶で通じ合い、エセキエル・ボーラの新作(グレイ盤)『LAS COSAS DEL MUNDO』のエクスペリメンタルなアヴァン・フォーク感とも共振するこのアルバムの魅力は、この後アプレミディ・セレソン店長の武田が、快挙のリイシューが実現したエドゥアルド・マテオの幻のセカンドと共に詳しく紹介しますので、ぜひお読みください。

LAURA NYRO / SPREAD YOUR WINGS AND FLY: LIVE AT THE FILLMORE EAST
V.A. / CAFE APRES-MIDI CHRISTMAS
KENNY RANKIN / A CHRISTMAS ALBUM
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


日増しに寒くなるこの季節になると、毎年聴きたくなるアルバム。その筆頭が、2004年に陽の目を見た、ローラ・ニーロの1971年のNYフィルモア・イーストでの実況録音。真の意味でスピリチュアルな、歌の力。グランド・ピアノの弾き語りによる魔法のようなパフォーマンス。幼い頃からラヴェルやドビュッシーに親しみ、14歳のときにはニューヨークの街角でストリート・コーナー・シンフォニーを奏で、ハイスクール時代にはニーナ・シモンに心酔していた彼女ならではの一枚。ソウルフルで情感豊かで、少しずつ胸が熱くなる、心の奥にろうそくの炎が灯るような音楽。それは静寂と魂の息吹、都市の詩情があふれる純度の高い霊歌でもある。
このライヴ盤で初めて聴くことができた「秘宝」と言うべきオープニングの“AMERICAN DOVE”とエンディングの“MOTHER EARTH”が、ローラの音楽を愛する者には時を止めるような名曲だ。愛と平和を願う崇高なほどのメッセージ・ソングで、静かに神々しい光が射す。彼女の歌声は天が僕らに授けてくれた贈りもの、と敬虔な思いがこみ上げる。やはりピアノ弾き語りが素晴らしい1969年の『NEW YORK TENDABERRY』(ロマンをかきたてるタイトルですね)制作時にローラがギル・エヴァンスの編曲とマイルス・デイヴィスの参加を望んだとき、マイルスが「僕が付け加えるべきものは何もない」と彼女に告げたという痺れるエピソードがあったはずだが、その逸話はこのCDにも相応しいと思う。
同年の暮れにラベルとの共演、ギャンブル&ハフのプロデュースで発表される、僕の最愛の名盤『GONNA TAKE A MIRACLE』に連なるようなカヴァー曲もどれも聴きもの。考えてみれば、ローラほど多くのアーティストにカヴァーされ、また多くのアーティストの曲をカヴァーしたシンガー・ソングライターはいないかもしれない。マーヴィン・ゲイ&タミー・テレルの“AIN'T NOTHING LIKE THE REAL THING”、アレサ・フランクリン(キャロル・キング作)の“A NATURAL WOMAN”、ドリフターズの“SPANISH HARLEM”と“UP ON THE ROOF”、ディオンヌ・ワーウィック/アレサ・フランクリン(バカラック&デヴィッド作)の“WALK ON BY”、マーサ・リーヴス&ザ・ヴァンデラスの“DANCING IN THE STREET”、ファイヴ・ステアステップスの“O-O-H CHILD”……いずれも琴線を震わせる透き通るような名唱だ。そして自作のポジティヴなクリスマス・ソング“CHRISTMAS IN MY SOUL”。僕はこのアルバムを15年前の来日ステージの記憶をたどりながら、ひとり静かに聴くことが多いが、クリスマスの夜に愛する人とふたり、ベッドの中で聴くのもいいだろうと夢想する。
追記:僕が2005年に選曲させていただいたコンピレイション『CAFE APRES-MIDI CHRISTMAS』のフィナーレを飾るのも、ローラ・ニーロが厳かな祈りをこめて歌う“LET IT BE ME〜THE CHRISTMAS SONG”でした。他にもポール・マッカートニー、プリテンダーズ、ペイル・ファウンテンズ、ロータリー・コネクション(ミニー・リパートン)、フレンチ・インプレッショニスツ、ダニー・ハサウェイ、スリー・ワイズ・メン(XTC)、ロイ・ウッド、チェット・ベイカー、NRBQ、ジュリー・ロンドン、ナット・キング・コールなどの、本当にとっておきのクリスマス・ソングばかり25曲が並んでいます。今年も多くの皆さんに聴いていただき、たくさんの思い出が生まれますように。
また、6月に惜しくも亡くなられたケニー・ランキンの『A CHRISTMAS ALBUM』(僕が昨年、長いライナーを書きました)が、追悼の意と共に紙ジャケットで再登場しました。これ以上素敵な“JINGLE BELLS”を僕は聴いたことがありません。彼の歌声もまた、人間が天から授かったプレゼントだったに違いありません。天国のケニー・ランキンを思いながら、併せて推薦させていただきます。

2009年12月上旬

ORNETTE COLEMAN / AN EVENING WITH ORNETTE COLEMAN
CECIL TAYLOR / LIVE AT THE CAFE MONTMARTRE
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


2010年代最初の選曲CDは、ある種のマニフェストとして、僕にとって初となるフリー・ジャズ・コンピにしたいと決意して、日夜セレクションに励んでいる。やりきれないことばっかりだから(by ECD)レコードを聴いていた2000年代を弔うように。
植草甚一さんの「フリーダム・レコードはジャズの勉強にとてもいい」と題されたエッセイも忘れられない、アラン・ベイツ主宰フリーダム音源の編集盤だから、もちろんタイトルは『FREEDOM SUITE』(ラスカルズやヤング・ディサイプルズや山下洋も思い出してください)。僕は今日もまた『AN EVENING WITH ORNETTE COLEMAN』(『クロイドン・コンサート』の原題です)という具合だが、何度聴き返しても“CLERGYMAN'S DREAM”と“HAPPY FOOL”、どちらを収録するか選べない。鋭く胸に迫り、深く心を揺り動かすエモーショナルな何かを刻みつけるアルト・サックス。いっそ両方入れてしまおうか、とたびたび考えながら、このアルバムのオープニング、フルート/オーボエ/バスーン/クラリネット/イングリッシュ・ホルンの木管五重奏“SOUNDS AND FORMS FOR WIND QUINTET”を聴いて、カルロス・ニーニョ&ミゲル・アットウッド・ファーガソンの『SUITE FOR MA DUKES』を思い浮かべる貴方とは、きっと親友になれるだろうと思う。
そしてセシル・テイラーのカフェ・モンマルトルでの伝説のライヴ、20分を越える“D. TRAD, THAT'S WHAT”(やはりフリー・ジャズの真髄はこれに尽きる、と言えるめくるめく金字塔のような演奏ですよね?)もどうしても収録したい。ときにアルチュール・ランボーの詩集にも喩えられる、この知的で破壊的で戦慄的な音の美しさを皆さんに届けたい。というわけで、フリーダム・レーベルの日本での発売権を持つミューザックの代表・福井亮司さんに、価格は¥2,500のままで何とか2枚組にできないか、とわがままな相談をしたら、選曲料を抑えるという条件つきながら、男気で首を縦に振ってくれた(快挙・感謝!)。
そうして2枚に分けることになったセレクション(トータル160分!)には、それぞれ“ジャズ来るべきもの再訪”“十月革命の戦士たちへのレクイエム”と副題を(英語で)冠した。コールマンとテイラー以外の収録アーティストは、アルバート・アイラー/アーチー・シェップ/マリオン・ブラウン/チャールズ・トリヴァー/スタンリー・カウエル/アート・アンサンブル・オブ・シカゴ/ポール・ブレイ/アンソニー・ブラクストン/テッド・カーソン/デューイ・レッドマン/アンドリュー・ヒル/ダラー・ブランド/ドゥドゥ・プクワナ/ノア・ハワード/オリヴァー・レイク/ヤン・ガルバレク……といった震えが来るような錚々たる面々。この顔ぶれを見て鳥肌が立たない方はジャズ・ファンを名乗らないでほしい、と頭の固い評論家のようなことを言いたくなってしまう。
破壊せよ、とアイラーは言った、60年代の「熱」を鮮やかに印画紙に焼きつけた中平穂積さんの写真を使ったモノクロ・ジャケットも、特大のポスターが欲しくなるほど素晴らしい。200枚を越えた僕がこれまで手がけてきたコンピの中でも、間違いなく最も(群を抜いて)硬派な一枚。ジャン=リュック・ゴダールや中上健次に心酔する諸兄も聴き逃し厳禁だが、発売はまだ先、2/3の予定なので、それまではここに挙げた2枚で(もちろんコールマンは『ジャズ来るべきもの』や『ゴールデン・サークル』、テイラーは『コンキスタドール』や『ユニット・ストラクチャーズ』でも構いません)充分な予習とウォーミング・アップを。

VAN MORRISON / ASTRAL WEEKS
VAN MORRISON / MOONDANCE
SYD BARRETT / THE MADCAP LAUGHS
THE DOORS / THE DOORS
THE DOORS / STRANGE DAYS
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


12月のある週末の夜、60年代後半のロックのレコードを聴いて一晩中すごした。こんな一日は大学生のとき以来だ。
きっかけは昼間、あまりに素晴らしいビルド・アン・アークの新作『LOVE』を聴いていて、ふとジャケットが似ているよな、と思ってゾンビーズの『ODESSEY AND ORACLE』を取り出し、“TIME OF THE SEASON”(ふたりのシーズン)に針を落としたのが始まりだった。深いエコーとため息のようなリフが印象的な、甘い翳りを帯びた音像。もうすぐコリン・ブランストーンは日本にやってくる。
そして夜になって、いつものようにヴァン・モリソンの『ASTRAL WEEKS』を何気なく聴く。冒頭のタイトル曲は僕の座右の一曲という感じだし、“SWEET THING”はビルド・アン・アークが『LOVE』でカヴァーした。“THE WAY YOUNG LOVERS DO”は今度ジャズに混ぜてクラブでもスピンしてみようと思い、“MADAME GEORGE”にはなぜかプリンスの沁みるバラード“SOMETIMES IT SNOWS IN APRIL”がフラッシュバックして涙が滲みそうになる。本当に頬ずりしたくなるようなレコードだ。
それで60年代末の空気に火がついてしまった。ビルド・アン・アークのカルロス・ニーニョが「僕の人生に最も影響を与えたミュージシャンのひとりなんだ」と語っていた(全然意外じゃありません)ドノヴァンを2枚、続いてクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの『DEJA VU』、そして自分で編集したニック・ドレイクのMDを流しているうちに、どうしても(中毒的に)聴きたくなってしまったのはシド・バレットの“TERRAPIN”(カメに捧ぐ詩)だった。
結局60年代後半を好きな人間は、シド・バレットやブライアン・ジョーンズのようなルックスが好きなのかもしれない、そんなことを思う。だからか、その後のピンク・フロイドの歩みにはほとんど興味がないが、彼のファーストを聴くのも、実はほぼ20年ぶりだろう。僕が持っている国内オリジナル盤は、邦題が『帽子が笑う…不気味に』ではなく『幽幻の世界』(誤植じゃないよ)。『サージェント・ペパーズ』〜『オデッセイ・アンド・オラクル』後のアビー・ロード録音、ジェイムス・ジョイス「ユリシーズ」への憧憬、ヒプノシスによるアートワーク。“カメに捧ぐ詩”はこの歳になっても自分にはリアルなラヴ・ソングとして響く。僕は失われた「クレイジー・ダイアモンド」の輝きを悼みながら、高校3年生のとき、今は死んでしまった親友と、「カメ」へのアンサーと言えるジュリアン・コープの『FRIED』を愛聴したことを思い出していた。
“カメに捧ぐ詩”の次に聴くのは、大学生の頃からドアーズの“THE CRYSTAL SHIP”と決まっている。これもまた「夜のために」ある音楽。フランスの異端作家セリーヌにインスパイアされたという“END OF THE NIGHT”の妖気も捨てがたいが、昔からドアーズのファーストの中でもいちばん好きだった、幻想的なまでに美しい曲だ(高校のときからネオアコ〜ニュー・ウェイヴと同列で聴けました)。ジム・モリソンを失うまでのドアーズのアルバムは、もちろん6枚ともアナログ盤で持っているが、最初の2枚はオリジナル・エンジニアのブルース・ボトニックが手がけた40周年記念ミックス盤が出たときにCDで買い直していて、その音が衝撃的だった。アート・ブレイキーやエルヴィン・ジョーンズに心酔していたジョン・デンズモアのドラミングなどが、圧倒的に精気あふれるダイナミズムを獲得していて、オープニングの“BREAK ON THROUGH”からDJでかけたい衝動に駆られる。“LIGHT MY FIRE”(ハートに火をつけて)にいたってはピッチ(タイム)まで違い、その疾走感に思わず息を呑むほど。バッハ風の熱いオルガン・ソロにリムショットの効いた荘厳なドリアン・モードのジャズ・ロック。「マイルス・デイヴィスの“ALL BLUES”の3拍子をヒントにした」とジョン・デンズモアが発言し、デイヴ・ブルーベックの変拍子ジャズやラテン・ジャズ〜ジャズ・サンバの影響も色濃いこの曲のカタルシスを堪能できる(ジャズ好きのために言うなら、ロビー・クリーガーのギターはジョン・コルトレーン“MY FAVORITE THINGS”でのエリック・ドルフィーのフルート・ソロを思わせる)。ジム・モリソンとUCLA映画学科の同窓だったフランシス・コッポラが「地獄の黙示録」のエンド・ロールに使って有名になった“THE END”に続いては、嬉しいボーナス・トラックも。モンテ・ヘルマンの映画「断絶」(2008年4月下旬のこのコーナーの僕の推薦文をお読みください)でも印象深く流れていた“MOONLIGHT DRIVE”を2ヴァージョンに、シンプルな歌詞も大好きな“INDIAN SUMMER”。
ちなみにドアーズは、ファーストに負けず劣らず(というか、個人的にはそれ以上に)、フェリーニの世界観を象徴したアルバム・カヴァーもシュールで魅惑的なセカンド『STRANGE DAYS』も最高なことを、若い読者のために付け加えておこう。長くなるので詳しい解説は控えるが、“PEOPLE ARE STRANGE”(まぼろしの世界)そして“WHEN THE MUSIC'S OVER”(音楽が終わったら)といった曲名を列記するだけで、何か特別な余韻のようなものが感じ取れるだろう。
夜も深い時間にドアーズを聴いていたら、バンドのキーボード奏者レイ・マンザレクがインタヴューで、彼らがいちばん大きな影響を受けたのはヴァン・モリソン&ゼムで、LAのウイスキー・ア・ゴー・ゴーのハウス・バンドになって共演したときのエピソードを、喜々として語っていたのを思い出した。「ふたりのモリソン」が最後に一緒に“GLORIA”を歌ったという夢のような話だ。タイムスリップがかなわないのならと、さっそくゼムのベスト盤をレコード棚に探したが、どうにも行方不明で見つからない。代わりに『MOONDANCE』が出てきて、昔は『ASTRAL WEEKS』よりよく聴いていたな、と思いながら久しぶりに針を下ろすことにした。やはりとてもとても素晴らしい。ブラウン・アイド・ソウル、という言葉が頭に浮かぶ。ピーター・バラカンさんが「一度針を落としたら釘づけになる、マーヴィン・ゲイの『WHAT'S GOING ON』と並ぶ完璧なA面」と話されていたっけ。全くの同感だ。
最近は孤独の影や喪失感を滲ませた、いつまでも絶頂を迎えることのない音楽に惹かれることが多くなったが、これからもたまに、こういう夜があるような気がする。60年代後半と2000年代の後半が似ているのか似ていないのか、僕にはそれはわからない。ただ、ようやく2000年代が終わる。音楽が終わったら、そこには何が残るのだろう。

2009年12月下旬

NINA SIMONE / NINA SIMONE AND PIANO! 
箱 / long conte
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


年末年始という理由にかこつけて、このコーナーの原稿を書くのがずいぶん遅れてしまった(1/12記)。今日は昼間はフリー・ソウル・コンピのホセ・フェリシアーノ盤のマスタリングで、素晴らしくエモーショナルな作品集に仕上がったが、同時リリースをめざしているニーナ・シモン盤の曲順もそろそろ決めなければならない(現在は、仏キャリーアのギルバート・オサリヴァン“ALONE AGAIN”、CTIのランディー・ニューマン“BALTIMORE”とホール&オーツ“RICH GIRL”という、3曲のカヴァーの許諾待機中)。
フリー・ソウル・シリーズだから、もちろんグルーヴィーな曲が中心になるが、オープニングは自分らしく“O-O-H CHILD”(ファイヴ・ステアステップス)〜“TOMORROW IS MY TURN”(シャルル・アズナヴール)と感極まる流れにこだわりたいと思っている。そこからシャネルのCMでも人気を呼んだ“MY BABY JUST CARES FOR ME”のライヴ、山下洋も熱烈に愛する“AIN'T GOT NO / I GOT LIFE”のヨーロッパ盤7インチ・ヴァージョン(ジャケットもそのモッドなシングル盤のカッコ良い横顔のポートレイトをモティーフにしました)、『FREE SOUL VISIONS』15周年記念エディションにも収録した“FUNKIER THAN A MOSQUITO'S TWEETER”といった感じで盛り上げていこうか。何しろオリジナル・アルバムが30枚以上あるから、20曲前後に絞るだけでも至難の技(ぜひ決定版ベストにしたいと願っています!)。アルバム単位ではこれまではファーストのベツレヘム盤を推薦することが多かったが、今回は冬の日に聴くならこの一枚、という前々回のローラ・ニーロと同じような意味合いで、ピアノ弾き語りの1969年作『ニーナとピアノ』を紹介したいと思う。
まずはディスクガイド「Jazz Supreme」でCALMがこの作品に寄せた熱い一節を引用しよう──「何より楽曲の素晴らしさとソウルフルな歌声が感動を誘う。このアルバムに出会ったのは衝撃だったし、出会えたことに感謝している。音楽の神よ、ありがとう!」。本当に、歌とピアノで人生のドラマを語れる稀有なアーティストの、聴けば聴くほど沁みてくる一枚だ。シャーデーもエリカ・バドゥもローリン・ヒルもアリシア・キーズもインディア・アリーも、彼女の音楽を聴いて育ち、彼女への敬愛の情を言葉にしている。ジル・スコットやミシェル・ンデゲオチェロやカサンドラ・ウィルソンだって、きっとそうだろう。“EVERYONE'S GONE TO THE MOON”(みんな月へ行ってしまった)を聴いて僕は胸がいっぱいになるし、“LITTLE GIRL BLUE”についても同じことを書いた経験があるが、“I GET ALONG WITHOUT YOU VERY WELL”はチェット・ベイカー版と並ぶ時を止めるような名唱だ(それぞれ『音楽のある風景』シリーズで聴けるナジャ・ストーラー・トリオとホドリーゴ・ホドリゲスもとても素晴らしいですが)。
さて、今夜は外も冷たい雨、どこにも出かけずこの文章を書こうと思い立ったのは、先ほどからずっと繰り返し聴いているアルバムのことを、永く憶えていたいと考えたからだ。それは、THE MICETEETHのヴォーカリストだった次松大助が2007年に「箱」という名義で発表した実質上のソロ・デビュー作。実は彼の音楽と出会ったのはたった3日前。青山の「月見ル君想フ」というライヴハウスで、“夏の面影”という曲を初めて聴いて涙が出そうになってしまった(同行のガールフレンド姉に悟られないように、「オレが書いた歌詞かと思ったよ」と冗談を言わずにいられなかったくらいでした)。そうして今も、孤独な夜だからか、ライヴと同じピアノ弾き語り中心のCDを聴いていて、感傷に涙腺がゆるんでしまう。“にれの木の幽霊”という曲で口笛が聴こえてきた瞬間には、特に参ってしまった。
そして、歌詞カードを見てみようとインナー・ブックレットを開き、最後に“with, greatest respect for Nina Simone.”という文字を発見したときの嬉しさと言ったら。そう、彼もニーナ・シモンと同じように、クラシックとジャズとソウルの素養を併せもった優れたパフォーマーなのだ。『ニーナとピアノ』の“WHO AM I”でドビュッシー風のフレーズが弾かれるような印象深いシーンが(ベツレヘム盤のバッハ〜バロック音楽のイディオムを想像してもらっても構いません)、次松大助の音楽にも、そこかしこにあふれている。とりわけクラシック・アプレミディ・シリーズのパスカル・ロジェ編を好きな方なら、必ず何かを感じるはずだ。ドビュッシーやラヴェルあるいはシベリウス、そしてマッコイ・タイナーからミシェル・ルグランまで。娘が生まれた日に書かれたという“手紙”に始まり、美しく切ない風景が広がる“夏の沼”以下、叙情美と夢幻性と季節感が溶け合う歌とピアノが続き、ボブ・マーリー“Waiting in vain”のカヴァーも登場する。スリーヴ・デザインは北山雅和(HELP!)。
僕は何よりも、次松大助が身に纏っている、優しいいきがりと照れ、その少年性と表裏一体に滲みでる青い老成感のようなものが好きだ(酒飲みで博識なところも)。彼もまた“Lunatic”なのかもしれない。またライヴにも行ってみようと思っている。明日はTHE MICETEETHのCDを買いに行こうか。一昨日のタワーレコード30周年記念パーティーのために一夜だけ再結成された彼らのステージが終わろうとしているとき、その日のDJを務めた僕の頭に浮かんでいたのは、ニーナ・シモンの“MY BABY JUST CARES FOR ME”だった。

CARMEN LUNDY / SOLAMENTE
V.A. / JAZZ SUPREME 〜 FENDER RHODES PRAYER
V.A. / MUSICAANOSSA SIENNA JAZZ LOUNGE
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


この冬休みに最もヘヴィー・ローテイションしていた新譜CDがカーメン・ランディーの『SOLAMENTE』。さっそく「usen for Cafe Apres-midi」冬選曲に、ほぼ全曲を使いたくなってしまったほど。これほど深みと高みを感じさせてくれるアルバムはそうないだろう。ポッター&ティルマンでの歌唱を経ての1985年のファースト『GOOD MORNING KISS』(この時期のカーメン・ランディーの輝きについては、単行本「Jazz Supreme」や、彼女を主役とした中村智昭・選曲のコンピ『MUSICAANOSSA SIENNA JAZZ LOUNGE』の当コーナー2008年11月下旬のレヴューで詳しく触れました)、そして2007年末の前作『COME HOME』(そこからは彼女のプロダクション名ともなっているピースフルでメディテイティヴな“AFRASIA”を、『JAZZ SUPREME ~ FENDER RHODES PRAYER』に収めています)という素晴らしい2枚さえ凌ぐペースで、個人的にいちばんの愛聴作となっている。
たゆたうようなスピリチュアルな浮遊感と憂いを帯びたメロウネスをたたえた音像は、期待していた通り“AFRASIA”の延長線上で洗練を究めたと言っていいだろう。作詞/作曲/編曲/歌/楽器演奏/レコーディング/ミキシング/プロデュースそしてジャケットの油彩ペインティングまで、創作のすべてをカーメン・ランディーがひとりで手がけているのも特筆すべきだ。スキャットはまるで魔法のようだし、彼女のリズムの呼吸というか独特のタイム感、音の揺らぎや余韻のすべてが自分の肌に合うから、柔らかな空気に溶け出すように、このアルバムは永遠に聴いていられるのだ。
冒頭の“I KNOW WHY THE CAGED BIRD SINGS”から、時の挟間と心の隙間にゆっくりと染み込むような絶品だが、“REQUIEM FOR KATHRYN”のような静かに波紋を広げる鎮魂の調べも胸を打つ。ヒューマンな温もり、と書くと陳腐だが、孤愁のひとときに、おやすみ前のメランコリックな時間に、レクイエムでありララバイでありセレナーデでありノクターンとして響く、長年連れ添ったアンティーク・ランプが放つほのかな暖色の光のような一枚だ。もはやサラ・ヴォーンやエラ・フィッツジェラルドの名を引き合いに出す必要もない、崇高なほどの名作。

2010年1月上旬

V.A. / FREEDOM SUITE
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


単行本「Jazz Supreme」の編集・執筆を終えた一昨年の秋、オーネット・コールマンの“LONELY WOMAN”を1日に5回聴いていた頃から、いつかこんなコンピを作れたらと考えていた。そして先月、アラン・ベイツ主宰フリーダム・レーベルのアルバムを40枚以上聴き返して、ジャズに殉死する思いでこの冬休みに選曲を終えた。ジョン・コルトレーンやファラオ・サンダースを愛する視線で、前衛的と見られることの多いアヴァンギャルド〜スピリチュアル系のミュージシャンの「心」が最も伝わる演奏を集め、自由で荘厳な組曲のように構成した。
ディスク1「The Shape of Jazz to Come Revisited」は、僕がジャズの根源的な魅力を象徴すると考える、オーネット・コールマンのアルト・サックスで幕を開ける。続くチャールズ・トリヴァーの“ON THE NILE”はスタンリー・カウエルのピアノも素晴らしく、ストラタ・イースト前夜のふたりの蜜月が生んだ、シャープなリズム隊も際立つ精気に満ちた名演。デューイ・レッドマンの“FOR ELDON”はボサ・ジャズのビート感にコルトレーンを思わせる歌心あふれるブロウがほとばしり、南アフリカのアルト・サックス奏者ドゥドゥ・プクワナの“DIAMOND EXPRESS”はグルーヴ感と生命力がみなぎる陽性アフロ・ジャズ。アーチー・シェップの“STEAM”は『JAZZ SUPREME 〜 SPIRITUAL WALTZ-A-NOVA』に収めたジョー・リー・ウィルソンが歌うチャールズ・グリーンリー版と同じワルツ・ジャズ曲で、シェップのソプラノ・サックスとグリーンリーのトロンボーンが天を舞うようなモントルーでのライヴ録音だ。
そしてスタンリー・カウエルのメディテイティヴな名曲“TRAVELLING MAN”が登場。彼の作品ではボビー・ハッチャーソンとの“BOBBY'S TUNE”もぜひ収録したかったが、このエレクトリック・ピアノによるヴァージョンはまるでマッドリブだ(彼も実際この曲をカヴァーしていた)。もちろん後のカリンバやヴォーカルが切なげにメロディーを紡ぐ吹き込みも絶品。次も神秘的で親密な光を放つ名作でアート・アンサンブル・オブ・シカゴの“LORI SONG”。サラヴァ・レーベルのブリジット・フォンテーヌ(“ラジオのように”)つながりのアレスキに通じる、優しく琴線に触れるスピリチュアリティーが息づいている。さらに続いてのアンソニー・ブラクストン“SOPRANO BALLAD”も、彼のソプラノ・サックスとチック・コリアのピアノが絶妙なインタープレイで幽玄の旋律を綴る瞑想的な名品だ。
デューク・エリントンに見初められた南アフリカ出身のピアニスト、ダラー・ブランドによるセロニアス・モンク“ROUND MIDNIGHT”のカヴァーも、硬質でビターな特別な魔力を宿している。植草甚一の「フリーダム・レコードはジャズの勉強にとてもいい」というコラムで、この曲の演奏としてはマイルスとコルトレーンのクインテットについで2番目に素晴らしいと称賛されていた。アンドリュー・ヒルの“QUIET DAWN”は『JAZZ SUPREME 〜 SPIRITUAL LOVE IS EVERYWHERE』に収めたアーチー・シェップやジョー・ボナーで知られるカル・マッセイ作とは同名異曲(ノスタルジア77にもまた別の“QUIET DAWN”という僕の大好きな曲がある)だが、タイトルに“DAWN”とつくジャズに新旧問わず間違いはない。知性的で華麗なアンドリュー・ヒルのピアノと情熱的でソウルフルなロビン・ケニヤッタのアルト・サックスの対比に引き込まれてしまう。そして知る人ぞ知る憂愁の名曲、ポール・ブレイの“CLOSER”へ。ラヴェル〜ドビュッシー的なルナティックな魔性を秘めた美旋律。“ROUND MIDNIGHT”〜“QUIET DAWN”〜“CLOSER”という曲名からも漂う時の流れを感じながら、ピアノ・ジャズをニック・ドレイクのように聴けることが伝われば本望だ。
ディスク2「Requiem for Soldiers of October Revolution」は、レオ・スミスのトランペットが奏でる美しい鎮魂の調べに始まる。心の平安へと誘われ、やがてプリミティヴなパーカッションに太古の記憶が呼び覚まされる。マリオン・ブラウンのアルト・サックスが生の鼓動を伝え、“AND THEN THEY DANCED”というタイトルも示唆的だ。続いてはロフト・ジャズの精鋭オリヴァー・レイクによる、まさにオーネット・コールマンのように胸を突くアルト・サックスのソロ“LONELY BLACKS”。光が零れるようなパーカッションに導かれるノア・ハワードの“QUEEN ANNE”は、魂の息吹を讃えるような悠久の響きに詩情があふれる。「フリーダム・レコードはジャズの勉強にとてもいい」に、植草甚一がノリス・ジョーンズのベースの音を「どこか知らない国へ行って、そこで河の流れる音を聴いているみたいで、とても美しいなあ」と褒めたというエピソードがあるが、同感だ。
そして再び、僕には胸がすきっとするオーネットの吹奏。いつ聴いても清々しい気持ちになれる快演だ。続くアーチー・シェップの“CRUSIFICADO”はデイヴ・バレル作のメロウな夕暮れ感に魅せられるジャズ・ボサ。モーダルなピアノも美しく、やはりチャールズ・グリーンリー盤でも再演された。黙祷を捧げるようなテッド・カーソンによるエリック・ドルフィーへのレクイエム“TEARS FOR DOLPHY”(同名のアルバムもフリーダムきっての僕の愛聴盤だ)も幽玄・憂愁という言葉が浮かび、ジャズが都会に住む物憂い黒人たちのための霊歌のように響くとき、自分も最も心が休まることに気づかされる。
アプレミディ・ファンには“WITCHI-TAI-TO”でお馴染みだろうノルウェイのヤン・ガルバレクは、ウェイン・ショーターの名曲とよく似た表題を持つ、やるせなくも透明なリリシズムに満ちた“NEFERTITE”を。CDジャケットのインナーに“Trane was the Father, Pharoah was the Son, I was the Holy Ghost.”という発言を引用したアルバート・アイラーは、圧巻のジョージ・ガーシュウィン作“SUMMERTIME”。聴けば聴くほどドラマがあり、ジャズが音色のアートでもあることを実感させられる、「大きな哀しみ」のような極めつけの一曲だ(もちろん『SPIRITUAL UNITY』なども必聴だが)。
そしてクライマックスで迎えるのは、フリー・ジャズの真髄ここに究まれりという感じの、セシル・テイラーの伝説的なカフェ・モンマルトルでのライヴから“D. TRAD, THAT'S WHAT”。とにかくカッコ良い、“トランス”(この曲も凄い!)できる、激しく強いエモーションがめまいのように渦巻く20分。テイラーはかつてナット・ヘントフに、「愛に満ちた、喜びいっぱいの、祭りなんだ!」と自分の音楽を語ったという。最後にエピローグとして置いたのは、ガトー・バルビエリのテナー・サックスとダラー・ブランドのピアノによる「合流」セッション。僕はそう、現代のクラブ・ミュージックの未来が、例えばこのような音楽であればと願っている。
追記:今回は僕の気合いが入りすぎているからといって、皆さん引かないでくださいね。ただ純粋に、聴いて何か感じてもらえたら嬉しいです。

2010年1月下旬

JOSE JAMES / BLACKMAGIC
SADE / SOLDIER OF LOVE
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


ここ2年ほどフィーチャリング・ヴォーカリストとしても引く手あまただったホセ・ジェイムスの新作。ジョン・コルトレーンの甥としても知られるフライング・ロータスの低音が効いた深海を揺らぐようなトラックが気持ちよく、早くから話題を呼んでいたようだが、ベン・ウエストビーチとのダブル・ヴォイスによる“ELECTRO MAGNETIC”とDJ Mitsu the Beatsの昨年のアルバムでもお馴染みの“PROMISE IN LOVE”の連なり、そしてジョルダナ・ドゥ・ラヴリーの女性ヴォーカルも印象的な“LOVE CONVERSATION”以降の温かみあふれる後半の流れでは、ロマンティストでありドリーマーとしての姿も健在だ。しかしそれ以上に、僕には嬉しいトピックがふたつある。
ひとつは“DESIRE”のリミックスも素晴らしかったムーディーマンとのコラボレイション、その名も“DETROIT LOVELETTER”。『I WANT YOU』を最も大切なレコードに挙げるマーヴィン・ゲイ信奉者ふたりによる濃密なメロウネス、その官能性と神秘性に強く惹かれる。前作はジョン・コルトレーンやビリー・ホリデイといった尊敬する音楽家に捧げるジャズ・アルバムだったのに対し、今作はマーヴィン・ゲイやアル・グリーンをインスピレイションの源にソウル・ミュージックへの敬愛を歌った、という本人の発言を裏づける名品だ(彼が高校時代に心酔していたというトライブ・コールド・クエストの『MIDNIGHT MARAUDERS』を思わせる雰囲気で、ベース・ラインはスライ&ザ・ファミリー・ストーンを彷佛とさせたりもする)。
もうひとつはダブ・ステップの要人ベンガの“EMOTIONS”を、“WARRIOR”という表題でジャズ・フィーリング濃厚にカヴァーしていること。ベンガの『DIARY OF AN AFRO WARRIOR』と言えば、僕がダブ・ステップで唯一アルバム単位で今も愛聴していると言っていい作品だが、その中のとっておきが“EMOTIONS”で、このホセ・ジェイムスによるヴァージョンは掛け値なしに逸品だ。僕はこの曲を聴いていたら、イマジネイションが膨らんで、彼に4ヒーローの“UNIVERSAL LOVE”を歌ってほしくなってしまった。“UNIVERSAL LOVE”は最近出た4ヒーローとDJ・マーキーが1枚ずつ編んだコンピ『THE KINGS OF DRUM+BASS』(最高にシャープな内容で、ガツンと行きたい気分のときによく聴いています)でも1曲目に選ばれていたが、僕がドラムンベースを好きになるきっかけになった名曲で、ちょうどダブ・ステップにおける“EMOTIONS”のような存在なのだ。
ホセ・ジェイムスの『BLACKMAGIC』はジャズとクラブ・ミュージックを礎にしたエクレクティックなソウル・アルバムの典型だと思うが、年を明けてからそうしたタイプの傑作が他にも続々と到着していて嬉しい。4ヒーローのディーゴとカイディ・テイタムとベンベ・セグェ(と今回はレディー・アルマ)によるシルエット・ブラウンや、ヨルバ・レコーズのオスンラデの、共にスピリチュアルでスペイシーな新作などは特に好印象を受けた。トラス・ミーのプライム・ナンバーズからリリースされた、カイディ・テイタムとミスター・スクラフの12インチ“FRESH NOODLES”もこのところDJでへヴィー・プレイしているが、その曲やアンドレスやモーター・シティー・ドラム・アンサンブルのキラー・トラックを含むショウケース盤『PRIME NUMBERS VOL.2』も必聴だ。もう少しポップ・フィールド寄りなら、シャーデー(やや地味かな、という声も聞いたが、僕はやはりとても素晴らしいと思います)やエイドリアナ・エヴァンス(&ドレッド・スコット)のニュー・アルバムも、ファンならずとも聴き逃せないはずだろう。いずれも今後改めて紹介することがあると思うが、2010年代の音楽がこうした潮流にのって進化していくことを、僕は何となく望んでいる。そういう状況を踏まえて、古い音楽も一緒に楽しめることが、僕にはささやかな歓びなのだ。

GIRL WITH THE GUN / GIRL WITH THE GUN
KRONOS QUARTET / MUSIC OF BILL EVANS
JAMES TAYLOR / JAMES TAYLOR
LAMBCHOP / IS A WOMAN
RICHARD CRANDELL / SPRING STEEL
CARLOS AGUIRRE GRUPO / (CREMA) 
CARLOS AGUIRRE GRUPO / (ROJO) 
CARLOS AGUIRRE / CAMINOS
SEBASTIAN MACCHI - CLAUDIO BOLZANI - FERNANDO SILVA / LUZ DE AGUA
橋本徹 (SUBURBIA/アプレミディ) 推薦


今週は2/22から4/4の間、毎週土曜深夜24時から2時間にわたって「usen for Cafe Apres-midi」で放送されるスペシャル・プログラム「素晴らしきメランコリーの世界」の選曲をしていて、その特集番組から派生した同タイトルのCD-Rも2枚作った。もちろん山本勇樹・発行の同名のフリー・ペーパーへのオマージュでもあるが、僕にとって選曲することはある種のセラピーになっているから、気持ちを穏やかに落ちつけ、神経を和らげることができている。感謝の気持ちを込め、そこにフィーチャーした作品をいくつか推薦していこう。
まずはイタリアからガール・ウィズ・ザ・ガン。「usen for Cafe Apres-midi」のリスナーにはもうお馴染みかもしれないが、独モール・ミュージックでの諸作でも知られる奇才ポピュラスと多才な女性アーティストのマティルデ・ダヴォリとのアコースティック・デュオ・ユニットだ。何と言ってもジョルジオ・トゥマが自分の曲の中で最も美しいと語る、優しい語り口とピアノが白日夢の蜃気楼のような“IN THE SUNSHINE”、そして甘美な未来へのノスタルジーをかきたてる、銀河に身を委ね流れ星が行き交う宇宙と交信しているように音の粒子が舞い散る“FIX THE STARS”が絶品のメランコリー・サウンド。
クロノス・カルテットによるリリカルでクラシカルなビル・エヴァンス集も、すでに「usen for Cafe Apres-midi」で何度か耳にされた方がいるだろう。優雅でしなやかな室内楽的佇まいもこの季節に相応しい、キャンドルの火が揺れるような映像美あふれるアンサンブル。“WALTZ FOR DEBBY”“PEACE PIECE”の素晴らしさは言うまでもないが、スピリチュアルな魔性のような神秘性と幻想性を秘めた“VERY EARLY”の崇高な美しさも、この機会にぜひ知っていただきたい。エディー・ゴメスの存在感あふれるベース・プレイもいい。
クロノス・カルテットに続いてジェイムス・テイラーのアップルからのデビュー・アルバムの起用をひらめいたときは、無性にときめいた。弦楽四重奏に彩られた英国民謡“GREENSLEEVES”の旋律(クープがサンプリングしたモーダルなワルツ・ジャズ演奏のジョン・コルトレーン版も感動的です)から僕にとってJTでいちばん心に伝わる曲“SOMETHING'S WRONG”へ。最近の真夜中セレクションの主役になっている印象派的なポスト・クラシカルから内省的なシンガー・ソングライターへのブリッジとして、「素晴らしきメランコリーの世界」選曲の肝であるばかりでなく、今後もきっと重宝するに違いない。コリン・ブランストーンの『ONE YEAR』やルイス・エサ『PIANO E CORDAS』なども同じような使い方ができるのではないか。
JTに続いてラムチョップ、そしてフェアグラウンド・アトラクションの日本公演でエディー・リーダーが歌うスウィートマウス“DANGELOUS”(『音楽のある風景〜春から夏へ〜』に収録しました)という流れもひどく気に入っている。それにしてもラムチョップの2001年ナッシュヴィル録音『IS A WOMAN』は冬の夜の大名盤だ。凍え冷えきった心も溶かしてくれる、静かな奇跡が宿るアルバム・トータルで素晴らしいセピア色の一枚。真珠のように美しいピアノに導かれ、朴訥とした滋味深い歌声が魂の奥にある熱いものに訴えかける“THE DAILY GROWL”、深いため息のような歌と天使のようなコーラスが奏でる“I CAN HARDLY SPELL MY NAME”(プリファブ・スプラウトを思い出す方もいるかもしれません)に涙してしまう。
僕はNUMEROが編纂したコンピ『WAYFARING STRANGERS : GUITAR SOLI』でその名を意識するようになったオレゴンのギタリスト、リチャード・グランデールがジョン・ゾーン主宰TZADIKに吹き込んだムビラ(親指ピアノ)演奏集も、メディテイティヴな音色で疲れた心を休めてくれるベッドサイドの愛聴盤だ。スティーヴ・ライヒやテリー・ライリー、あるいはジョン・フェイヒィといったミニマリストたちと共振し、ブライアン・イーノのアンビエント・ミュージックの進化形のように聴けるが、風鈴のような音に始まる冒頭の“INNER CIRCLE”は、敢えて言うなら“E2-E4”的な永遠に聴いていられるグルーヴも内包している。それは光や水の流れのようであり、大地のささやきや宇宙の羽音のようだ。デイデラスとその妻ローラによるロング・ロストの“WOEBEGONE”(哀しみに打ちひしがれた、という意味で、“ジムノペディ”と“マイ・フェイヴァリット・シングス”が合わさったような憂愁のメロディーが親指ピアノで紡がれる)や、懐かしいオルゴールのようなアレハンドロ・フラノフのソロ・ピアノと遠い記憶や夢うつつのまどろみの中で溶け合う。
最後は1/25の[staff blog]でも少し触れたカルロス・アギーレのファースト・アルバム。『美しきメランコリーのブエノスアイレス』でも『素晴らしきメランコリーの世界』でも、その慈愛に満ちた大地と宇宙の中心にいるのは彼とその仲間たちだ。オープニングの“LOS TRES DESEOS DE SIEMPRE”から、余情に富んだメランコリックな響きが温かな郷愁を誘い、心の平穏がもたらされるが、とりわけ“ZAMBA DE USTED”という曲は僕には特別に響く。本当に2050年には“ジムノペディ”や“スパルタカス”に匹敵するスタンダードになっているかもしれない切ない名曲だと思う。まだ、この、涙が結晶した宝石のような曲に続けてニーナ・シモンが歌う“TOMORROW IS MY TURN”をかけたことはないのだけれど……。
2/17追記:カルロス・アギーレのファースト(通称白盤“CREMA”)に優るとも劣らない好内容のセカンド(通称赤盤“ROJO”で、名作“SUENO DE ARENA”“VIDARA QUE RONDA”“LA MUSICA Y LA PARABRA”を含む)と、やはり素晴らしく美しい3枚目となるピアノ・アルバム『CAMINOS』(“CANCION DE CUNA COSTERA”や“ROMANZA”は優美の極みです)、それに僕が去年のNo.1ディスカヴァリー作に選んだセバスチャン・マッキ/クラウディオ・ボルサーニ/フェルナンド・シルヴァの『LUZ DE AGUA』(詳しくは2009年11月下旬のこのコーナーをご参照ください)も少数ながら入荷しましたので、よろしければぜひお聴きいただければと思います。
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